春秋诸侯大国简图

秦は辺境の未開国なのか?

歴史雑記035
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 秦という国がある。関中から興って徐々にその勢力を増し、31代目の王とされる政のときに六国を滅ぼして「統一」を達成した国である。
 この秦という国については、どうしても「西北の野蛮なやつら」というイメージが付きまとっている風がある。
 その理由はいくつかあるだろうが、いわゆる「戦国七雄」のなかでもっとも西北に位置すること、戦国期に成った『左伝』など斉魯系の文献の認識(当然、成書地域から見たものになる)の影響、そしてこれも戦国後期になって仮構された「商君変法」によって後進国から脱したというような「設定」が、秦に「辺境」「野蛮」「後進国」といったイメージを付与している面は否定できない。

西周の故地

 しかし、忘れてはいけないのは、そもそも関中は西周王朝の故地であるということである。
 周室の分裂と東遷によって東周時代が始まるが、周王朝を正統とする歴史認識に立つならば、本来関中は「先進地域」でなければならないはずで、秦を後進的と位置づける歴史認識はバイアスがかかったものと考えるべきではないだろうか。
 われわれのよく目にする春秋〜秦漢期の地図では、確かに秦地域は西北の端にある。しかし、土地はそこで尽きているわけではないのである。

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