大好きな人達に、私は何を返せるか
私が初めて「学校が好き」だと思えたのは、大学生になってから。集団の中には一定数存在する、傲慢な人を除けば、周りはやさしくて思いやりに溢れていて、包み込んでくれる人ばかり。私はその人達のおかげで、ここまで生きてこられたと言っても、過言ではない。
大好きな人達に、私は何を返せるんだろう。
いつからか、周りの人達に対して、そんなふうに考えるようになった。こんなことを考えるのは、時期尚早だろうか。あと半年で卒業することを視野に入れ始めたのは、何も今に始まったことではない。
こうやって考えられているということは、私の心に余裕がある証拠。自分に余裕がないと、周りのことなんて、とてもじゃないけど考えられないから。だからこうして考えられている今のうちに、私の気持ちを書き綴っておこうと思う。
私にとって、大学、延いては学科は、自分が自分で居られる場所。偽らなくていいんだって思えた初めての場所。もう何度もそうやってnoteに書いているのだけれど、本当にそうだから。
大学に入って、私は少しずつ、本当に少しずつだったけれど、自分のやりたいことや、自分の気持ちや意見を「相手に伝える術」を見に着けられた。
そしてそれを言うことは「我儘」とは違う、ということもまた、大学に入って学んだことだった。自分を押し殺して相手に合わせるだけが、コミュニケーションじゃない。そう教えてくれたのは、心理学の授業だった。
また、「自分が卒業後、どういう専門職・人物になりたいか」について、小論文を書く機会もあった。私はそこに書いた目標を、今でも覚えている。
それは「やさしい人」になることだった。今振り返れば、本質をついている気がする。当時の私はそこまで見えていたのかな。それともたまたまかな。
と言うのも、過去の私は、自他共に認める「他人にやさしい人」だった。これだけ聞くといい人のように聞こえるが、そうではなかった。
私は他人にやさしい分、自分にとてつもなく厳しかった。
極度の完璧主義は、いつしか自分を追い込んでいった。
特に顕著だったのは、大学2.3年の2年間だった。
それはどのくらいかと言うと、「GPAは3.5以上じゃないとクズ」で、「自分には生きる資格がない、生きている価値がない」と本気で思っていたし、成績評価はSじゃないと満足できなかったくらい。Aを取った暁には「自分の努力不足」だったと自責する日々だった。
そんな日々はあまりにも苦しくて、孤独と寂寥感で、つらかった。今思い出しても、胸が詰まる。駅のホームを見ては、建造物から窓を見下ろしては、自殺をしようと思ったことも何度もあったし、大好きな人達へ向けて、遺書を書いたこともあった。大学が好きだからが故に、いっそのこと大学で死ねるなら本望だ、と思っていたことも認める。(今だから言える)
その時は本気で死のうと思っていたし、死ぬことに対して恐怖もなかった。それほどまでに追い詰められていたと言えばそうかもしれないが、周りの人からの様々な言葉が、私を死から引き止めてくれた。
私は結局、本気で死のうだなんて、思っていなかったのだと思う。リストカットをしようとカッターナイフを腕に翳しても、恐怖と一瞬の冷静さを取り戻しては、慌てて机の中にしまい込んだし、ODをしようにも、行為後の周囲にかかる迷惑や影響を考える余裕がまだ私にはあったから、実行することはなかった。
今だってそうだ。
希死念慮さえなくなったものの、他者と比べがちな私はいつだって、「自分が今頑張れているのか」と、「自分は資格取得を目指す周りと比べて劣っていて、怠けているだけなのではないか。」そんなふうに思い悩んでは、涙を流す日々。
でもある時、それを大好きな人に相談したら
「美咲ちゃんは頑張ってるじゃん」
って、真面目に言ってくれる人が、身近には居て。
そんな近くで私のことを、そこまでしっかりと見てくれている人がいるのなら、頑張れていないわけがないし、差し伸ばしてくれている手があるのだから、私もそれに気付ける自分で在りたい、と強く思うから。
だからその人から受け取った言葉を、私は自分のものとして吸収する。
私は頑張っている。
そう反芻して。
大好きな人達に、私は何を返せるか。
今の私には、明確な答えは出せない。
ただ、今の私ができることを、実践していくこと。
私らしく生きていることを、証明し続けていくこと。
その一歩は小さくても、足踏みをするのではなく、一歩一歩、前に進んでいくこと。
それらがいつかきっと、実を結ぶことを信じて。
私は今日も、歩き続ける。
この足で、生きて行く。
読んでくださってありがとうございます。