普通に息を吸って、普通に吐いている
3月22日。今日、私は無事に誕生日を迎えることができた。21歳になった。
実を言うと、昨夜はたくさん泣きました。また私の心の弱い部分がばーって出てきて。心がずたぼろになった。自分が嫌になって。消えたくなって、死にたくなった。20歳まで生きたしもういいじゃんって思った。死ぬなら今しかないとも思った。
でも、今日を迎えてしまった。
いや、迎えることが「できた」、だな正しくは。
親に「おめでとう」って言われて弟からは「今日誕生日だね」とか言われて。弟に関しては、私の誕生日を覚えていてくれたことがうれしかった。ああ、私って今生きているんだなあ、普通に息を吸って、普通に吐いているんあだよなあって思って。なんだか、感慨深くなった。
不二家のケーキを買ってもらって、自宅で食べた。
プレミアムショートケーキとプレミアムモンブラン、それとティラミス。
これを食べている時、私は本気で「生きていてよかった」って思った。死んだら食べられなかったんだよなあって考えたら、今まで生きてきてよかった、生きていてよかったなって。
21歳。ここまでは本当に長かった。
というかこの1年…、20歳から21歳になるまでの1年は、人生で最も密度が濃くて、長いと感じる年だったなって、今思う。
たくさん死にたくなって、たくさん死のうとした。
でもそのたびにいろいろな人に助けられた。
いろいろな人がかけてくれた「言葉」によって、私は生かされてきた。
そして、何よりも私自身が「生きる」という選択を、都度繰り返してきた。
だから今があるし、今生きている。
そう、まさに『普通に息を吸って、普通に吐いている。』
私はここまで、いろいろな人がかけてくれた「言葉」によって、私は生かされてきた。
だから今度は、私自身がその「言葉」を使って、気持ちを発信していきたい、と強く強く、感じるのだ。
そしてあわよくば、私自身が紡ぐ言葉が、誰かの「生きるきっかけ」になることがあったらいいなあって、思っている。
私は繊細なところがあって、心が弱いなって思う。
だけど、それだって長所。
長所は生かしたいし、「私だからこそ」紡げる言葉って、きっとあるって思っている。ここで「信じている」って言うと、神頼みみたいになってなんかちょっと違和感を感じるから、「思っている。」という表現にしておく。
きっと、私自身の力で、その「言葉」を紡いでみせる。
私はこれからどう生きたいのか。
常に常に考えている。
私は、好きなこと、やりたいことをやって生きる。
わがままかもしれないけれど、私の今考えている究極の目標?はそれ。
というか、やりたいことじゃないと、途中で続けることが「しんどいな」って思ってしまうから。心が「No」と叫ぶから。
それは嫌というほど、今までの人生で学んできた。
だから、私はこれから、自分の気持ちや考えに、まっすぐに生きることにしてみようと思う。
自分の心に、ちょっとでも違和感を感じたら、一旦手を止めてみること、足を止めてみることも、間違いではないんだなってことが、分かったから。
とりあえず、やりたいなって思ったことは、やってみよう。手を、足を、心を動かそう。
私は、それらが動かされるものをしたい。
自分自身が心から、生き生きと感じるものをしたい。
誕生日の報告と、これからの抱負を書いていたら、なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが。
これからも、よろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?