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型にはまりゃしないとありふれた夢を転がしてばかり。
私が欲している「文章力」ってそもそもなんだろうと内省からの、
型にはまった文章がかけなくても、型にはまらない発想ができるぜ☆という黒歴史についてなどなど。
①表彰される作文、呼び出される作文
後者は私のこと。
「教師が望むような回答を書いて何が楽しいんだ、文章は自分の思ったことを表現するためにある」と批評家ぶって、およそ教師受けが悪い文章ばかり書いていた私。
教科書に収録された話があまりに駄作だと、つまらない点を列挙して、「もっと楽しいことを書きましょう」と、呼び出された。
当然、作文関係の課題で、表彰されたことは、なかった。
あのころは、常に作文を書いて選ばれる子が不思議だったし、長期休みの作文や読書感想文にも苦手意識があり、憂鬱な課題の一つだった。
私の母は「子どものころから、こういうことを書けば教師にウケるだろうとわかっていた。みんなチョロいよ」と、常に作文を書けば、表彰される子。
あまりにも私の作文が下手だったため、見かねた母が代わりに書いたこともある。
でも、生みだされた作文は、どこから拾ってきたんだというような模範解答で、なんだか気持ち悪いなぁと結局自分の文章に書き替えて出してしまった。
(その後、作文の宿題は、母が少し書き出し、あとは自分の文章で、というスタイルになった。よくわかっている)
相変わらず表彰もされないけれど、このあたりから、友人の親御さんには「もえこちゃんの感想は、個性的で面白いね」と声をかけていただく。
あれか、文章というか、発想が面白いのか、私は。
表彰される文章は書けないけど、「型にはまらない文章は私にしか書けない」と、およそ型通りの発想にいきつく。
型にはまりゃしないとありふれた夢が転がる♪
ミスチルの歌詞にもありましたね……。
まぁ、子どもの頃、発想はよく褒められたからなぁ・・・・
②型にはまったありふれた文章への需要
そりゃー、多いに、ある!
というのも、身内が何人か認知症になるたび、母が介護認定や成年後見人の調書を仕上げていた。
「役人は、根拠と文書が欲しいんでしょ。先回りして『通す』ための文書を作っておくの」と、「役人ウケ」する文章をばっちり書く。(書かれていることは、そのすべて真実、です念のため)
ああ「申請が通る文書」って超大事…!
きわめて当たり前のことだ、文章だって「読む相手ありき」だ。
当り前田のクラッカー。(化石のようなことば……)
需要がない文章を供給しても仕方がない。
教師だって立場上、「作文コンクール」に推しても、職業意識が疑われないような、まともな感想文しか選べないじゃないか。
一応、私も働き出してから、多少は「型にはまった」ありふれた文章も書けるようになっている。(はず)
子どもの頃から、型にはまりゃしないとありふれた夢を転がしていないで、「申請が通る(=型にはまる)文章を書く」訓練をしていりゃよかったぜ。
わかったことは「型にはまった」文章を書いたところで、消えてしまうような、「型にはまらない着想」じゃない。(と、またありふれた夢を転がしている)
③結論
アナーキーな発想と、「良識人」も擬態できる文章との両立が、最強。
という、「まずは型を覚えましょう☆」という、非常に型にはまった、ありふれたお話でした。
着想をつかまえるために、文章をさくっと書けるようになりたくて、いったん型を覚えなきゃね。