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お役御免の生存戦略
ほっとくとすぐ調子に乗(って何かよくないことが起き)るから油断ならない、ちゃんとしなきゃと自分に対しておもっている。自分を絶えず見張っていなくてはいけないし、まあ疲れる。
なんてことを今週のコーチングセッションで扱った。交換noteをしているふみちゃんとのコーチングセッションでも話したり。ここ1ヶ月くらい自責傾向が強く出ていて、疲れが増している気がする。これは鶏と卵かも。
以前、ヘラヘラしてしまうのは自分ががっかりしたくない・感情的になりたくないからだと書いた。
相手に原因があろうとも、環境要因に何があろうとも、自分がなんとかすることでその場を乗り切ろうとする癖があるのだけど、理由としては同じ。
他人への期待値は高くない、と書いたけど、自分への期待値がとても高いのだというのも最近発見したことのひとつ。
期待値が高すぎてもいいことはあんまりない。自分への要求は上がる一方だし、できて当たり前でしょと認識しているので自分に対する称賛もない。
きっとできる、というような、自分への期待感の軽やかさとはまた別で、達成しないといけないノルマが常に課されているような感覚なんだよなあ。
いらない生存戦略は捨てよう
こういう難儀な心の動きは、そうしなければ生きてこれなかった過去とだいたいセットになっているらしい。できたことを認めたり、調子に乗ったりしていては生きていけなかった何年かがあるのを今日思い出した。
そのときの生存戦略を必要なくなってからも使い続け、10年以上が経った。
結果として、エネルギーを使い果たすほどに自分を削ってやったことや、自分の最大値を出したときでないと、自分で自分をほめるのが難しい状態になっている。
noteの連続更新も実は87日(!)なのだけど、いつの間にかすごいことだとは思えなくなっていた。ほめてもらっても、そうだっけ?となる。
ぜんぜん物事が納得いく形で続けられなかったことを思えば、とってもすごいので、まっとうに自分を承認できるようになりたいな。
気づいていないだけで、影響が出ているところは他にもたくさんあるんだろうな。
大人になったいま、昔お世話になった生存戦略はもう必要ない。
今日まで生き延びるためにがんばってくれた彼らに感謝して、手放そうとおもう。
もっと軽やかに生きるために
ここから1ヶ月くらいでやってみるアクションを考えた。
〜しちゃったな、ちゃんとしなきゃ。の観察
自分を監視して厳しくチェックしようとする状況にはどんなものがあるのか観察する。これはすぐどうにかなるものじゃないので、まず傾向がつかめたらいいな。
できたことを文字にする&ほめる
自分をどうとらえられたらもっと軽やかになりそう?という質問に対して、「天才!」っておもえたらいいかも…!と答えた。
note書いた、天才!みたいな。文字にしないとすぐなかったことにしてしまうので1日の終わりにふりかえる。
調子に乗るのはどれ?と考える
ふみちゃんに「調子に乗るくらいでちょうどいいよ」と言ったら、そっくりそのまま返してもらった。
どっちがいいか?だと、こっちを選ぶべき、とかの他人軸が入り込むスキが生まれる。
どっちの方が自分が調子に乗れるか?だと自分軸100%になるんじゃないか説。
自分でドヤ顔するぶんには誰にも迷惑かけないし、調子にはやっぱり乗った方がいい。なんかいい感じで日々をやっていけるようにのんびり考えてみます。それでは〜〜
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