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コーチとして生きる。やりたいようにしかやれないから。
コーチングを学びはじめて半年以上が経ってようやく、ほかでもない自分自身がコーチをやる意義が見えてきたなあというnoteです。
訳あって、具体的な目標は掲げずに取り組んできました。
コーチとして生きていきたいなあ、が今日やっとフラットなテンションのもと、しっくりきたんだよねえ。
今年はじめのnoteでも、コーチとして生きていきたいとは書いてない。
▼コーチングを学ぼうと思った理由はこちら
フラットなテンションとは、ハイでもなくシリアスでもない起点となる状態のイメージ。気取らず、無理せず、盛ったりせず、そのままの自分でしっくりきてる。待てる自分でよかったぜ。
あえてスタンスを決めずにふわついてたんだけど、それには理由があって。
(※とはいえ時間もリソースも投資してるし、真剣に向き合ってはきたよ)
このnoteでも書いてるな。
▼自分に合ってるかを大事にしたいなっていうnote
目標:折れずにたのしく人生をやっていく
◆気をつけていること
・あえて大きな目標も持たない
→どうあったら心地よいのか、ざっくりの行きたい方向だけ決める。
”プロコーチとして生きていく!!!”みたいに大きな目標を決めてしまうと、折れるだろうなあという確信があった。ふわっとしたスタンスでいたのはそのため。
コーチとして生きていくと決められたのは、なんだか大きな変化の表出であるような気がしますね。ふむ。
コーチとして生きていく
これを決められたのは、他の誰でもない自分がコーチとしてその場にいる意義がつかめたからです。
その意義ってなんじゃい、というのはまた後日書くね。
(感覚としてはつかめたけど、言語に落とせてない)
コーチ自身の人生ぜんぶを載せられるのがコーチングで、結局やりたいようにしかやれない。自分は尊敬するあのひとやすごいなあとおもうあのひとにはなれないし、逆もしかり。そしてその必要もない。
あきらめとかではなく、それぞれが別の存在だからこそ提供できる領域があるんだなあとおもいます。
コーチ100%として生きていくわけではないんじゃないかなあともおもってるんだけど、自分の軸に据えるやつだなあ、としっくりきたよのnoteでした。
クライアント募集も再開したいなあ。
Twitterで告知するのでよかったらフォローしてね。
▼コーチっぽいこともぽくないこともつぶやく
この週末で他でもない自分がコーチとしている意義がある場についての解像度が爆増したのでお手伝いいただいたみなさまへのありがたみがすごい🔥
— もへ (@moe_wakusei) July 12, 2020
スタンスがふわついてたんだけど踏みしめて歩けるくらいにはなった🚶
あっというまに週末が終わったぜ。それでは~~
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