退職して社会問題になった話
#転職体験記
そのお題を目にして私の事を考えた。
私の転職は、退職して、、就職していない。
私って転職したことなかったんだ。
ってことに退職から5年経って気が付いた。
私は総合商社で5年間営業をしていた。
営業といっても新規案件をばんばん取ってくるというよりも、降り注がれ続ける案件を円滑にこなしていくのが私の仕事(だと思ってる)。クライアントの依頼を聞きに行って、“メーカーにこれは無理って言われる納期だなあ”とか“この案件そのまま持っていったらそんなものつくれないって怒られそうだなあ”とか考えながら、いろいろ調整する。
もともと営業職を希望していなかったのに配属されたこともあってあまり意欲的な営業マンではなかった。最初は打ち合わせに行っても全然話がわからなかった。わからないけど仕事はしなきゃいけないし、誰も教えてくれないし、悔しくて駅で泣けてきたこともあった。そんなんだけど、やらなきゃいけないことはしっかりやりたいからそれなりに仕事はやっていたと思う。というよりがんばるしかなかった。
商品は悪くないがニーズと合っていないどう考えても売れづらい、けどメーカーの押しが強すぎて会社として売らなきゃいけない商品を何故か売っちゃって報告発表したこともあった。何で売れたのか自分でもわからないのに。
特別面白い訳じゃなかったけど、なんとなく仕事が一件落着した時とかいろんな人に出会ったりとかそういうとこに楽しさも感じてた。けど、もういいかなーと思って計画的に突然辞めた。
上司と何で辞めるのか面談もした。何で辞めるのか、、「…なんとなく」さすがに「もういいかなーと思って!」とは言えなかった。「俺は数十年働いているけどなんとなく仕事を辞める人は初めてだ」って言われた。どう考えても最低な辞める理由だ。そんな私だけどお花や寄せ書き、贈り物、温かく見送ってくれた会社の人達には心から感謝している。
そしてその後どうなったのか。
私は山小屋にいた。
かばんはたくさん資料が入る大きなブランドバックから50Lのザックに。服はパンツスーツからアウトドアブランドに。靴は歩くとコツコツいうパンプスから長靴に。
街に行くのに片道10時間。お風呂は週に数回、電車も車もない。毎日のようにかかってくる納期短縮や突然の追加発注、不具合連絡の電話もない。山小屋での仕事(生活)はとても快適だった。
個室はなくて夜は従業員みんなで雑魚寝。油断をしているとトイレを急いでいる時に登山客に道を尋ねられたり集合写真のカメラ係にされたり、歯を磨いている時に写真を撮られたり、まかないのパスタを注文したいとだだこねられたり。プライベート空間どころか油断も隙もない。
そんな常に誰かの存在がある環境だけど、仕事とプライベートのバランスをとるのが上手いのか図々しいのか、さほどストレスに思うことなく暮らすことが出来た。
ほとんどの山小屋の仕事は夏だけ。夏はいつも山にいるけれどそれ以外の期間は決まっていない。今の私がなんなのかと言われると、たぶんリゾバの人。定職には就いてなくてずっと短期バイトだから、ある意味転職を繰り返してるのかもだけど。行ってみたい場所の求人情報がなかったら直接問い合わせたり、やってみたい仕事の求人出てない時もとりあえず問い合わせてみたり大学の就活よりちゃんと職探ししてる気がする。あとは日雇いで大根売ったり、間借りで1日飲食やってみたり。仕事の合間に一人旅をしたり。
考えてたらなんだか壮大なモラトリアムを過ごしてる気がしてきた。それでなんとなくモラトリアムって検索したら「モラトリアム人間」っていう単語が出てきてそれがまさに私。ニートやフリーターもその一種らしい。“モラトリアム人間を脱却して社会に出よう!”みたいな感じになってて私えらいことになってるなあ。まるで社会問題じゃん。ちゃんと納税もしてるのに社会問題扱いだなんて。そもそもどこもかしこもバイトもパートも正社員も求人だらけでなにやったって誰かの役には立っていると思うんだけど、だめなのかな。日本の少子高齢化には役立っていないけれど、人様の迷惑になるような存在を世に排出してもいない。
ということで、なんだかんだ5年も転職活動している。でも、こんな無茶苦茶でもなんかしてれば面白い話は年に1回くらい出てくるからきっと大丈夫だと思ってる。
夏は3000mの山、冬は沖縄や北海道と今や春夏秋冬なんてめちゃくちゃであったもんじゃない。けど、そろそろ春夏秋冬のリズムも取り戻したい。
いつになったら転職活動が終わるのかわからないけど足掻きながらやっていきたいと思う。