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おいでよ、辰野の町 〜長野県辰野町で二拠点生活を始めた話〜

突然ですが、最近長野県辰野町との2拠点生活を始めました。

1ヶ月に1週間ほど辰野町に滞在してコワーキングスペースで仕事をしつつ、色々なゲストハウスを転々とするという生活をかれこれ3ヶ月ほど続けています。

辰野町との出会いは8月。一足先に辰野町との2拠点生活を始めていた大学のサークルの先輩にワーケーションに誘われたことがきっかけでした。先輩の高校時代からの友人の方が3年ほど前から辰野町に移住していたため辰野町に通っているとのことでした。

当時の私は辰野町という名前を聞いたこともなければ、2拠点生活という言葉にも馴染みがありませんでしたが、誘われるがままに軽い気持ちで初めて辰野を訪れたのでした。

最初の印象は、言葉を選ばずに言えば、寂しげな町。

1時間に1本しか電車が止まらない駅に降り立ち、10分ほど歩いて辿り着いた、シャッターを降ろしている店も多い商店街のはずれにあるコワーキングスペース。

移住者を積極的に受け入れていて町おこしに精力的に取り組んでいる、という事前情報から想像する姿とは少し違った町の姿で、「なんだ、こんなものか」というのが最初に浮かんだ言葉でした。

それから4ヶ月、辰野に魅せられた先人達の例に漏れず、いつの間にか私も2拠点生活を始め、通いつめることとなっていました。

辰野とはどんな町なのでしょうか。

多い年は1年に30世帯100名もの人が移住する町。建築家やデザイナー・PR会社・不動産会社・政府系機関・メーカーなど様々なバックグラウンドを持つ人が集まり、古民家をDIYで改装してレストランやゲストハウス・古着屋を営んだり、農業を行ったり、商店街の空き店舗をDIYしてダンススタジオやコワーキングスペース・ギャラリーを作ったり。

https://heni-journey.com/

昭和の香りが残る古き良き商店街には、11もの新しい店舗が生まれているそうです。

https://tobichi.jp/

また、移住まではしないけど、定期的に辰野に通う人や私のような二拠点生活者も多く、この1年間で100人もの20-30代の若い世代が2回以上辰野を訪れて様々なプロジェクトを立ち上げています。

https://kayabukinoyakata.jp/nougyou/vol24-2021-12-1/

(こうした観光客以上に辰野に関わる人(関係人口)を「たつなー」と呼んでいます)

ではなぜ、辰野がそんなに人を惹きつけるのでしょうか。

それは、「自分の居場所を作れる町」だから。

辰野の町おこしの立役者であるスーパー公務員の方を始めとした行政の方、移住者や二拠点生活者、そして前から住んでいらっしゃる住民の皆さんなど辰野に携わる方全員が新しい人を歓迎してくれ、受け入れてくれること。

受け入れてくれるとは、ただの観光客である「お客さん」では終わらずに、自分自身も辰野の町に携わる一員として居場所を作れるようにしてくれることです。

ゲストハウスに泊まって自給自足の食材で作られたご飯を食べ、窯の火を囲んで地酒を飲むなどの「手厚いおもてなし」を受けながら、様々な経験を重ねたゲストハウスのオーナーさんや、何かの縁で辰野に辿り着いた他のお客さんと「交流」して雑談しているうちに不思議と自分の人生を考えさせられます。

そしてそんな時にぽろっと自分のやりたいことや好きなことを話すと、すぐに関連のある人を「紹介」してくれて気付いたらそれを形にするための準備が整っている。

そんな、手厚いおもてなし・交流・紹介の3STEPで辰野沼に落ちるたつなーが多いことに気づきました。

住民と交流し、たつなーを繋ぐハブのようなキーパーソンと話し、自分でできることを広げていく様はまるでリアル「どうぶつの森」のようです。

実際私もビジネスコンテスト落選で行き詰まっていた時に辰野を訪れ、在宅介護者をケアするサービスを作りたいと移住&起業&前職の先輩である 橋本 直明 さんにちょっと話したところ、あっという間に前述の Takao Nozawa さんを紹介いただき、その次の日にすぐに辰野町の介護に携わる様々な関係者の方々(保健福祉課・社会福祉協議会・介護事業所・NPO法人・地域の新聞販売店など)に野澤さんの自家用車で案内していただきご挨拶する機会を設定いただきました

(実はその初めて会った日に連れて行っていただいた焼肉での会話から「想ひ人」という会社名も決まりました笑)

そしてそのご挨拶周りをしている中で「地域の中で民間の事業者同士が協力して、行政だけではできない在宅介護者ケアのモデルを作りたい、そのためにまずは辰野町で在宅介護者を取り巻く課題を知るためにワークショップを開きたい」と話したところ、すぐに地域の新聞販売店である共和堂の 宮原陽子 さんからサポートをいただきワークショップの開催が決定しました。

そして実際に12月上旬に「辰野町発のケアラーケアモデルを考える」という題でワークショップを行い、町の内外から介護者や高齢者の課題解決に携わるのべ20名の皆様に参加いただき、ケアラー・高齢者の課題と、民間の力で課題解決のためにできることを話し合いました。

ワークショップ自体やその進め方には個人的に課題が残る部分やご迷惑をおかけしてしまった部分もあり、実際の介護の現場に携わる方には不快な思いや誤解を招いてしまい反省点も多々会ったものの、長野県と辰野町で圧倒的な購読率を誇る信濃毎日新聞・たつの新聞に私の取り組みを掲載いただきました。

最初に辰野を訪れたのが8月末で、2回目の10月半ばの訪問でワークショップの開催が決定して、11月半ばには辰野町と協定を結んでいるAirbnb社との交流会にお招きいただき、12月上旬にワークショップ開催。

この間に辰野町だけで50人以上の方々に出会い、仲良くなり、サポートをいただき、私自身笑ってしまうほどのスピード感でいつの間にか辰野が居場所になっていました。

いわば「町全体がベンチャー企業」のような、この辰野町全体の余白の多さ・スピード感・立地の制約を跳ね除ける「たつなー」の皆さんの暖かさが最大の魅力なのかもしれません。

(町長さんが地域おこし協力隊の1隊員の恋愛事情まで知っていることには驚きましたが、辰野町の距離感の近さを象徴するエピソードでした)

コミュニティの有効性などは学術的にも論じ尽くされていますが、実際自分も辰野という新たな居場所ができたことで、居場所が複数あることの効果を実感しています。

自然が豊かでご飯が美味しく、温泉があり、魅力的な人に会える、パワーチャージできる町。

東京で嫌なことがあっても、仕事で上手くいかなくて落ち込んでも、「まあ、また辰野に行けば良いか」と思えるようになり、強くなれました。

2021年上半期、仕事や家族のことでメンタルが落ちて引きこもりがちになっていた私を引き上げ、起業にまで踏み出すほど私を救い上げてくれた大きな要因の1つが辰野町であることは間違いないです。

それまで辰野に縁もゆかりもなかった東京の若造に沢山の出会いと機会を与えていただき、新たな一歩を踏み出すきっかけと貴重な居場所を作って下さった辰野の皆さんには、どれだけの感謝の言葉を尽くしても足りません。本当に有難うございました。

2022年ももちろん辰野町には通い続けるため、どんな素敵な出会いが新たな道を切り拓いてくれるのか、今からワクワクが止まりません。

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ここまで読んで辰野町に興味を持っていただけた方も多いのではないでしょうか?

実は、1/10(祝)に、辰野町に携わる「たつなー」が自分の携わるプロジェクト紹介などを行うイベントが銀座にある長野県のアンテナショップで開催されます!

https://www.facebook.com/events/s/%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%93%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AA-remeetup/786616156070980/

辰野移住者でありたつなーのハブとなっている 北埜 航太 さんと元リクルートで「たつなー」の先輩である 神原 沙耶 さんが中心になって開催するイベントで、私も終日ブースを出展予定なので、辰野町ってどんなところだろう?実際どんな人が集まって何をやっているのだろう?など少しでも興味を持ってくださった方は遊びに来ていただけると嬉しいです!

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