「子供でも産んで、1年半くらい休もっかな」と思った私に起きたこと。
こんにちは。
「自分軸で生きられる日本を作り、日本の精神的貧困をなくす」
ざっくりといえばそんな夢を抱き、7年間勤めた会社をやめ、2022年4月からデザイン系の大学院に通います。
日々あった忘れたくないこと、読んだ本、大学院での学びなどを書き留めたいと思い、noteをはじめました。
共感する仲間や、お仕事につながる出会いなどができたら嬉しいなと思っています^^
さて、今日のテーマは「『子供でも産んで、1年半くらい休もっかな』と思った私に起きたこと。」です。
こんなことを言ったら世の中の子育て世代に怒られそうですが、私が本当に思っていたことです。そして、そんな考えに至ったことがある人って私だけじゃないんじゃないかな、と思ったりします。(私だけだったらごめんなさい)
でも、結果的に私は子供を産む選択をしませんでした。というか、できませんでした。
「今は頑張るときだよ」と言われている気がして、今があります。そんなエピソードをご紹介したいと思います。
記事の中には、病気に関することが軽く書かれていますが、当時私がググった内容や、私のケースとして医師から説明された内容です。医学的な正しさは保証できませんので、参考にされないようにお願いします。
期待していた目標が崩れた
複数の会社や団体と、とある新規事業開発に関わっていた。
「遠くない将来、お互い出資をして、会社を作る。」
上の方の人たちでは、そんな話が何回か出ていると上司から聞いていた。その遠くない将来は、かなり近いものだということも。
新しい会社を作る楽しさを味わえる。私は何部の配属になるかな。企画系がいいな。などと考えながら、楽しみにしていた。
もちろん、関わる人全てが好きな人はなかったし、日々仕事をする中で、嫌なこともたくさん見えていた。でも、みんな同じ会社になれば、分かり合えること、同じ方向を向けることも出てくるだろう。そう思っていた。
「〇〇社が、このプロジェクトを進めるために企業買収をした。」
一昨年のことだった。話を聞くと、プロジェクトを進めるためには今ある会社を買った方が早い、という判断だったようだ。
先方の今までのスタンスも変わっていない。会社を作るのではなく、既存の会社に合流して欲しいという意向だ、と上司は言った。
そう聞いて、多少安心した。でも、安心したのも束の間だった。
買収先の会社と、自分たちを含むプロジェクトに関わる関係者の話し合いの場が設けられた。そこで、私は愕然とした。恐ろしく話が噛み合わないのだ。
目標としていたことが崩れ去った瞬間だった。もちろん、その後も話の噛み合わない状態はずっと続いた。
目標を失った。それならば、子供を産んで、1年半くらい休んでもいいんじゃないか。そんな安直とも言える考えが、私をよぎった。
自分の身に起こるなんて。病気との出会い
そう思った私は、念のため、と思い、産婦人科を受診した。何かあるならば、事前に知っておきたいと思った。何もないと思っていたけど。
信じられない医師の言葉だった。
おそらく悪性ではなく、よくある病気であること、薬では良くならないこと、手術しなければならないこと、激痛が走れば緊急手術となること、いろいろ説明されたが、頭の中が真っ白だった。
吐きそうだった。
今日何か判断する必要はないから、様子をみましょう。3ヶ月後にまた来てください、と言われて帰ってきた。
電車に乗って、冷静になって考えてみた。
今まで大きな病気もなく、入院せずに生きてきたのに。健康だと思ってたから、もちろん保険にも入っていない。
よくならない?手術?子供は産めるの?お金は?どのくらいのスピードで悪くなるの?何もかも、知るのが怖い。
1つ1つ、スマホで検索をした。確かに手術は必要だが、大した病気ではない。でも、種類によっては厄介だ。ガンの可能性とか、子宮内膜症とか、たくさん出てくる。見たくない。そう思った。
その中で、1つ決まったことがあった。
「今は子供は諦めなければ。」
入院、手術、そして決断
3ヶ月後、再度病院を訪れた。
やはりそろそろ手術を受けた方がいいようで、大きな病院を紹介され、精密検査を受け、良性であることがわかった。あまり厄介な種類のものではなく安心したが、手術を受けた。
入院の期間、いろいろ考えた。たくさん本を読んで、医師に笑われた。このまま会社員を続けるべきなのか、悩んでいた。
来年は30歳になる。人生はいつ、どんなことが起こるかわからない。できるだけ、自分のライフステージに合わせて働き続けていきたい。
仕事における自己実現ってなんだろう。私が仕事を通じて実現したいことってなんだろう。
1つ出た結論があった。
今やっている仕事は、私が叶えたい夢ではない。そして、自分を超越したところで物事が決められる仕事では、自分の人生に合わせた働き方は不可能だ。
これが、私の出した結論だった。残された時間は1年。
退院後、決意がブレないうちに、上司に言った。
だから、今を頑張る
その後、術後の経過観察も無事終え、医師からは問題ないと告げられた。
そう思った半年前の私は、もういなかった。
そう思った親から生まれた子供はかわいそうだ。子供だって、自分の夢に向かい、生き生きと生きている親の元に生まれたいはずだ。少なくとも私はそう思う。
だから、自分の夢を見つけよう。そしてそこに向かって歩もう。歩んでいる途中、然るべきタイミングが来るはずだ。
だから、私は今を頑張ろうと思っている。