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大学生がボランティアを行う意味とは...?

2020年、私は挑戦したボランティアを通して、考えを巡らせることが多くあった。
とにかく知りたい気持ちと挑戦したい気持ちと、自分にできることをしたい気持ち。
私は、金銭ではない何かを得ることができるボランティアだからこそ、自分を成長させてくれたと思う。

ボランティアとは

「自発的な意志に基づき他人や 社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、 「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられる

厚生労働省社会・援護局 地域福祉課 「ボランティアについて」

高校3年生の2月

受験が終わり、大学入学までの2ヶ月間。
何もしないのはもったいない。
そこでやりたいと思ったのが、ボランティアだった。

地域の社会福祉協議会のボランティアセンターを訪ねた。
「なんでもいいのでボランティアがしたいです!」と...。
おそらくそんな高校生は、異質だったのだと思う。
「なんでやりたいと思ったの?」なんてたくさん聞かれたっけ?笑

デイサービスでの1ヶ月間のボランティア。
体が不自由な方、車椅子を使用している方、認知症で自分の名前を連呼し続ける方、自分で食事ができない方...。
通所サービスだったが様々な方がいて、"高齢者"と一括りに言えないと感じた。

せっかく週3回ボランティアに参加しているのだから話がしたいと思い、たくさん話しかけた。
高校生の自分と高齢者の方を繋ぐ言葉と内容は、なかなか見つからなくて...。
模索し続けた日々だった。

雪山の麓での日々…

大学2年生の1月

ずっと、子供への学習支援のボランティアをしてみたかった。

私は中高生から海外に暮らし、両親のおかげで、お金が無くて何かを諦めた経験は無い。
大学合格も海外生活から得たもののため、両親と環境があったからこそ、今の生活と学歴があると思っている。

選べない生まれながらの環境で、全てが左右される。努力では無い。

そう理解しているからこそ、そんな自分だからこそ、経済的に困窮している子供や様々な問題を抱える子供に目を向け、知ることが重要だと思っている。
だから、私は福祉を学ぶ必要があるとさえ思っている。

そう思い学び続けて、大学生のまだまだ未熟な私でもできることがあるのではないか、と考えた。

本当のことを言うと、塾のバイトは、私自身の中にある教えることに対するハードルを取っ払うために始めた。
教えることに慣れたら学習支援ボランティアがしたいと、初めから考えていた。

学習支援団体に所属し、ボランティアを始めた。
正直に言うと、想像と何かが違った。
決められた時間ただ教えるだけ。
これでは、塾バイトと大差は無い。むしろお金を貰える塾バイトの方がいいのではないか...。
周りに大学生ボランティアがいなく、年配な方しかいなかったことも決定打だった。

ボランティアに行くことを辞めてしまった。

ちょうどこの時期、冬の金沢に訪れた

大学3年生の7月〜現在

今、私は、中学生や不登校の小中高生の、居場所となるような場所を作りたい
そんな思いで、仲間と団体を立ち上げ、活動している。

大学生が活動とともに、運営を行う意味があるようにするためにはどうするべきか…。
大学生が活動しやすく、子どもたちが行きたいと思える場所を作るには…。
そう考えながら、試行錯誤の日々。

1地域の小さな団体。
けれど、子供達のために、社会のために動いているという実感がある今が、私は心地良く楽しい。

ユニバの雲が幻想的だった…

ボランティアの矛盾

収入の発生しないボランティアに時間をかける、ということは、結局両親からの金銭援助のある大学生だから、できることである。

困窮世帯の子供との壁はあるまま。

どれだけ学習支援をしても、自分たちと同じように大学に行けるとは限らない。
大学に行くためには、学力・努力だけでは解決できないハードルがある。
置かれた環境の違う支援対象者と支援者が関わることで、両者に何か影響をもたらすのだろうか。

青と黄色の空が共存。これって矛盾みたいな感じ?笑

ボランティアとして行う意義は?

ボランティアは、金銭の発生しない活動である。
その分、考えることも多く、難しいことも多い。
だからこそ、前向きに継続できる方法をより模索するのかもしれない。
かける時間に意味を持たせようとするのかもしれない。

あなたは、ボランティアを行った経験がありますか?

たくさんの思い出とともに…

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