Music City #1(soul)
Toshio Ushijima
①プロフィール
Toshio Ushijima (NIGHT FOX CLUB)
1983年生まれ。
東京のノーザンソウル・クラブ“NIGHT FOX CLUB”主催。
東京のスクーター・チーム“THE NUMBERS!”のメンバー。
中学生・高校生時代の多感な時期を福岡県福岡市で過ごしました。
②“ソウル”と出会うキッカケやエピソード
“モッズ”という言葉を初めて見た、聞いた瞬間ははっきり覚えていて、14歳のとき。
そのころ夢中だったビートルズの映画を観ていたら出くわした、パーティーでリンゴ・スターが「あなたたちはモッズなの?ロッカーズなの?」と聞かれ「モッカーかな。」と答えるシーン。
出てくるすべての単語の意味がさっぱり分かりませんでしたが、当時はビートルズについて仕入れた知識をなんであろうと周囲に披露する癖があったため、翌日クラスの友達に「知ってるか?ビートルズはモッズでもロッカーズでもなくて、モッカーなんだぜ。」と聞かれてもいないのに触れ回って無視されていました。それが自分で“モッズ”という言葉を口にした最初です。
その後、10代を通して60年代のロックや70年代のパンク、90年代以降のリアルタイムのロックなどを浴びるように聴いて、自然と“モッズ”というキーワードを各地で目にするようになります。
なるほどあれはそういうことだったのかと。しかしその頃は、他にもたくさんのカルチャーや音楽が好きで興味があって、“モッズ”はそのうちの一つでしかありませんでした。
ボーダーライン・レコーズの下にあったショップ“エリー・キャット”でフライヤーを見かけて、福岡にモッズのイベントがあることも知っていましたが、まさかそこに足を踏み入れようなんて、考えすらしませんでした(エリー・キャットに入るのだって決死の覚悟が必要でした・・・・)。
大学で上京し、原宿を歩いていたら、その頃キャット・ストリートに店を構えていた某モッド・ブランドのスタッフの方に声をかけられ、引きずり込まれるように店に連れていかれ「モッズにならない!?」と迫られます。なのでモッドシーンに足を踏み入れたきっかけは「スカウトされたから」でしょうか?(笑)
そのブランドの洋服を着て、そのブランドが主催していたモッド・イベントに足しげく通うようになり、そこで流れていた爆音のR&B、家で聴いていても、いまいちよくわからなかったものが「そうか、これはダンスミュージック、クラブミュージックなんだ。」と当たり前の、それゆえ大きな事実を身体で体感しました。
それからは、今までどこか「教養・お勉強」的なノリで聴いていたブラック・ミュージックに熱にうかされたようにのめりこんでゆきます。
その音楽は、LPでなくシングル盤がメイン・フォーマットであることにも気づき、またクラブでDJがシングル盤を扱っているさまがとてもかっこよかったので、家にあったロックのLPがどんどん消えてドーナツ盤に変ってゆきました。学校にほとんど行っていなかったため、大学も退学し、就職して収入ができてからはさらに熱中してゆきます。
※イベント“ウィスキー・ア・ゴー・ゴー”にて
「ノーザン・ソウル」という言葉に出会ったのも、そのクラブでした。そのクラブで主にかかっていたのは90年代の東京モッズシーンクラシック、映画「ヘア・スプレー」に出てくるライン・ダンスや、“ドッグ”や“モンキー”みたいな動物の名前のダンス、そして“スカ”や“チャチャ”などをみんな踊っていました。
ある朝、明かりのついたクラブにまだ残っている人たちがそのままダンスの練習に興じていて、そこで一人の女性が突然、自分が今まで見たことのなかったダンスを踊り始めました。
その女性は、床をすべるような細かいステップで前後左右に動いて、やがて上半身を後ろにのけぞらせた態勢で床に倒れた!びっくりしました。
そのダンスは、自分がそこで見てきたどのダンスとも似ていなかった。今まで覚えてきたダンスは、皆が同じような動きをするものだったけれど、その女性が踊ったダンスは、どうもそうではないようだった。それは即興的、自然発生的なものに見えました。自由なものに感じられました。
その女性は「ダサい奴なんかとは一言もしゃべりたくない。」という雰囲気をいつも発していたので自分は怖かったのだけど、衝動的にはじめて話しかけていました。
「それは一体何ですか?」彼女は「ノーザンソウル・ダンサーのマネ」と答えて、それが自分が初めて「ノーザン・ソウル」という言葉を聞いた瞬間。
「もう一回やってくれませんか?」と彼女に聞きました。断られました。
その直後に中野ブロードウェイに雑誌【STUDIO VOICE】のモッズ特集号を探しに行ったら、ポール・ウェラーの表紙より前に“特集・ノーザンソウル”に出会ってしまったのは、運が良かったのか悪かったのか。
表紙でスキンヘッドのイギリス人が上半身をのけぞらせて宙に浮いている、そのポーズはこの間の女の人がやっていたのと同じだった。「あ、これだ!」とすぐに買って、開くと今までに見たことのない世界が広がっていました。
※STUDIO VOICEを持つ男性は、この号の表紙を飾るChris Harvey氏。
2020年2月“100 Club”で本人に会い撮影!
翌日、誌面で紹介されていた音楽を一刻も早く聞きたいと、文字通りレコード屋に走っていき、買ったのが、STEVE MANCHAとJ.J.BARNESの“RARE STAMPS”とOkehレーベルのコンピレーション。
最初からデトロイトとシカゴだったわけで、それがそれから今日まで、ずっと続きます。
「ノーザン・ソウル」というカルチャーはモッズの進化系といってもいいものです。
この二つは「米黒人音楽への熱狂」というおなじ「母」を持ちながら、まったく相反するアティチュードがあるように思います。
ものすごく乱暴にまとめると、モッズは【どんな洋服を着ていて、どんなレコードを持っていて、どんなスクーターに乗っているか、それらがすべて】ですが、ノーザン・ソウルは【音楽がすべて、最も至上なもので、あとはどんな服を着ていたってどんなダンスを踊ったっていい】という感じ。
【STUDIO VOICE】の誌面で繰り広げられていたノーザン・ソウルの世界は、そのころ自分が信望していたモッズとは明らかに違う世界だというのは分かりつつも、私は音楽が好きでモッズの世界に入ったので、ノーザン・ソウルの宗教的なまでにソウル・ミュージックに熱中する生き様が、なんだか自分の行きつく果てはここなのではないか?という予感が最初からありました。その後、いくつかの幸運な出会いがあり、いろんな人たちの影響があり、その予感は果たして、的中したのでした。
もちろんスクーターもファッションもみんな大好きだし、あの映画にあるような若さからくる刹那性・不良性みたいなものにも憧れましたが、もっとも自分が影響を受け、今後も自分の大きな根幹となっていくであろうは【モッズ=イギリス人による黒人音楽の愛し方・その流儀・心意気】それに尽きます。粋なんですよね、とにかく。
※映画“ノーザンソウル”上映のトークショー等に協力した際に、弟がパンフレット表紙をデザイン。上記写真はその原画画像。
③レコード紹介
<福岡で出会ったmodミュージック3曲>
1.Main Title “Blow Up”/HERBIE HANCOCK
16歳の時にこの映画をVHSで観ましたが、冒頭でかかるこの曲が人生で初めての「ファンキー」だったと思います。
観終わってすぐにこのサントラないかなと街を回っていたら、家の近くの中古CD屋さん(西新にあった“ウエストサイド”というお店)で、このCDではないけど、BOOKER T & THE MG'sの“HIP HUG HER”のCDが面だしで売っていて、そのジャケを見て「なんかほとんど一緒じゃない?」と思い込んで購入したのは幸運でした(サントラのほうは再発のアナログ盤をすぐ後に天神のタワレコで無事入手)。
映画のテーマ曲だけあって短い時間の中にいろいろなリズム、展開が詰まっていますが、クールでファンキーな感覚が、とにかくモッドのイメージにぴったりきます。
さっきまでダンスフロアで激しく踊っていたモッドが、ふと動きを止めて無表情になって、うつろな目でカフボタンを直しながらゆっくりとバーへ向かう、そんな情景がこの曲を聴いていると浮かんできます。
2.“Make Her Mine”/HIPSTER IMAGE
やはり16歳の時だったと思いますが、60sをテーマにしたリーバイスのCMでこの曲が使われ、合わせてデッカの“The mod scene”というコンピレーションCDが発売され、そのマニアックな内容に反し大ヒットしたのはとても大きなきっかけでした。なんというか「こういうのが俺好きだよな。」と思った。
シンコーミュージックから“ALL THAT MODS!”というムックが出たのも同じタイミングだったと記憶します。
そういう本を読んで、“さらば青春の光”も観て、学校の英語の授業の作文でモッズについて書いてみんなの前で読んで、「モッズってモッズヘアーと関係あると?」と同級生の女の子から聞かれ返答に困ったりしました。
中学校の同級生だったアリクニ君に、当時「最近ハマってる曲」としてこの曲を聴かせたら「これ、ジャズやろ?」と言われたので、「ちがうよ、わかっちゃいないなこれは『アール・アンド・ビー』だよ~。」と本やCDのライナーで読んだだけの知識をそのまま彼の前でドヤ顔で披露しましたが、アリクニ君の言ってたことも正しかった。
あの場にタイムマシンで戻って「まあしいて言うならジャズR&Bポップかな?」と会話に加わりたい。この場を借りてアリクニ君に謝ります。
今でもよくクラブでかかることがありますが、ちょっとその会話を思い出して恥ずかしい気持ちになります。いや「ジャズR&Bポップ」も十分恥ずかしいな。恥の多い人生です。
3.“What's Going On”/MARVIN GAYE
黒人音楽の魅力を自分に最初に教えてくれたのはポール・ウェラーでした。
ジャムの時にカバーしていた“MOVE ON UP”だったり、“OUR FAVORITE SHOP”の床に並べられていたスライ&ザ・ファミリー・ストーンのLPなんかが、ブラック・アメリカン音楽という宇宙への入り口でした。
同時に、例えばローリング・ストーンズからさかのぼってマディ・ウォーターズやボ・ディドリーを聴いたりもしていたのですが、正直高校生にはまだその魅力はちゃんと分からず、わかったフリして「うん、うん。さ、ストーンズ聴こ。」って感じでした(それらの音楽の魅力を本当に理解するのは上京して先述のモッド・クラブに行ってからです)。
それらの50年代、60年代のオリジネイターよりも、ウェラーが教えてくれた70年代のソウル、ニュー・ソウルあたりの音のほうがロック好きの少年にしっくりくる何かがありました。
このLPは18歳の時に大名のチクロ・マーケットで購入しました。
ジャケットのマービン・ゲイの物憂げな表情にすごく感銘をうけていて、これはどうしてもレコードで欲しかった。
大事に家に持って帰って、針を落として曲がはじまった瞬間、部屋の中の空気が一瞬がらっと変わったように感じました。
いままで音楽を聴いてて、感じたことのなかった種類の感覚がその音の中にありました。
受験を控えて、将来に不安でざわつく少年の胸を、この音楽は優しく抱きとめてくれました。
<for moderns 3曲>
モッド的なフィーリングを持つ音楽の最後の「ムーブメント」はアシッド・ジャズであると聞いたことがあります。
その後ももちろんモッド的な音楽は常にどこかで誰かが作っていると信じますが、こと「ムーブメント」まで至るかというと、確かにアシッド・ジャズが今のところ最後になるのかもしれません。
しかし、モッドが聴くべき音楽は2020年の今も誰かが発信しているのはまちがいありません。
ここでは、ここ数年の間に発表された「新譜」のレコードの中から自分がモッドを感じたものを紹介します。
1.“LONELY GIRL”/BOBBY OROZA (BIG CROWN 2019)
NYはブルックリンのレーベル“BIG CROWN”がイチオシするのがこのボビー・オロサというシンガーです。
ものすごく歌がうまいというわけでもないのですが、哀愁を帯びた独特の声質で、特にこういうミッド・テンポの曲にぴったし、昨今ブームのチカーノ・ソウル・ファンのハートもがっしり掴んでいるのも頷けます。
BIG CROWNレーベルは、60s~70sのブラック・ミュージックのサウンドを意識した【新譜】を扱っているレーベルという印象ですが、そこにNYのインディー・バンドなどが絡んでいたりしてとても面白いです!
2.“No Laggin’and Draggin’”/RENALD DOMINO(COLEMINE 2020)
米オハイオをベースとする“COLEMINE”レーベルのリリース。
ヨーロッパのレア・ソウル・シーンを意識した【新譜】やマニアックなリイシューをハイペースでリリースしています。
昨今ブームの“LOWRIDER SOUL”(日本では以前“甘茶ソウル”とよばれていましたね)で人気のDURAND JONESもこのレーベル。
このRENALD DOMINOは60年代からシカゴで活動していたシンガーで、これは新録。INVICTUSレーベルを思い出させるサウンドにまだまだ現役な歌声、最高です。ノーザンダンサー!
3.“LET’S GET TOGETHER”/JOHNNY BENAVIDEZ (TIMMION 2018)
レアソウル先進国である北欧フィンランドの至宝ともいえるのが“TIMMION”レーベルです。
JOHNNY BENAVIDEZはアメリカ人のシンガーで、とにかくビンテージ音楽が好きなようです(たぶんオタク)。
この曲に関してはまるで60年代のカーティス・メイフィールドが蘇ったかのようなサウンド。感動するのが、サウンドだけでなく曲に込められたメッセージ。
「ブラックもホワイトもブラウンも、みんなこの曲で踊ろうよ」という歌詞を奇を衒わずにまっすぐな気持ちで今の世の中に歌える強さ。
これは、カーティスの音楽をサウンドだけでなくその精神性も含めて現世に蘇らせようという運動でしょう。
PVも最高、ぜひ見てみてください。エイメン!!