真実は、痛い。 1
アドバイスはずいぶんと役に立たない。そう思わない?これまでの人生、いろいろと役に立たないアドバイスを聞いてきたでしょ。あれしろ、これすな、一生懸命勉強しろ、外に出てけ、仕事を見つけろ..... なんやらかんやら。
キミの周りの人々、特に親御さんや先生たちは、沸騰したヤカンが湯気を噴き出すように、規則やルールを吐き出すよね。でも、彼らを責めることはできないぜ。だってキミも彼らと同じようなことをしているんだもん。キミはキミ自身に無駄なアドバイスを与え続けてるじゃないか!もっといい人間になるんだ、これからはもっとこうするんだ、ああしないようにするんだ、とかなんとか言ってさ。
アドバイスが通常うまくいかない理由のひとつは、それが葛藤につながるからだ。キミが変わりたいと思った時、二人目の自分がそんなの嫌だ、そんなのうまくいかないと拒否するんだけど、ついには3人目の「大丈夫」なキミが登場して、むりくり変わろうとする。
これがどれだけ狂っているかわかるかい?みんなやってるんだけどね。自分1は、自分2が調子に乗ったりキレたりするのが気に入らないことに気づいて、『わかった、 これからは自分3のようになろう』って言うんだ。なんじゃそりゃ!こんなふうに自分を分裂させたって、うまくいくわけがない。
自分を変えたいと思ったときに、実際に効果がある唯一の方法は、真実を体験することだ。真実に気づいたり聞いたとき、自ずから、時には一瞬で変わることができる。姿勢が悪いと気づいたとたんに姿勢を正し、重要なことに注意を払っていないと気づいたら耳を傾ける。努力する必要もない。アドバイスする必要もない。いっぺんに変わるのだ!ただ、時間がかかる場合もある。日頃から他人をけなしたり、エラそうにしている人たちは、それが習慣になってるからなかなか気付づくことができない。気づけたとしても、そういったクセが死に絶えるまでに長い時間がかかることがある。
なぜ?なぜに真実を見つけるのはそれほど難しいのか?なぜ他の人に真実をわかってもらうことができないのか?
なぜなら、自己が真実を見出せるようになるまでは、見つけられないからだ。例えば、湖の水を小さなコップで汲みにいったとする。持って帰れるのはコップ一杯の水だけだ。限られた自己に真実を与えることは、小さな子供を山登りに連れていくようなもの。はじめのうちは興味津々、ワクワクで元気いっぱいだけど、いかんせん大きな山を登りきる筋力も強さも持ち合わせていないので、そのうち座り込んで泣き言を言いだす。そうなると、無理やり引っ張っていくことは無意味だし、底意地が悪い。
ね?真実を理解してもらうのはむずかしい。しんどいことは誰でも好きじゃないからね。
誰かにアドバイスを求められた時、彼らは真実を求めているのではない。共犯者を探しているのだ。すでに彼らが知っていること、あるいはすでに彼らが望んでいることをキミに言って欲しいのだ。真実を伝えれば、彼らは機嫌が悪くなるはず。
もしかしたら、殺されちゃうかも!
みんな偽りの人生を生きているゆえに、真実(のアドバイス)は誰にとっても苦しいものだ。真実が明らかになると、驚きや恐怖をもって受け止められる。だいたいの人は、それを聞かずにすむなら何でもする。それを思い出させるものや人を避ける。真実のほんのさわりだけ聞いただけでも大発狂する人もいるからね!キミにも心当たりがあるんじゃない?
どんな手段を使ってでも真実を聞かないようにする人もいる。良いと言われる本を避け、自分の人生の糧になるだろう人を切り離し、誰かが真実の言葉を口にするとたんにヨロヨロになって「傷つくわ」とか「攻撃しないでよ」と言い返すはずだ。
相手がどれだけ彼自身に嘘をついているかは、真実を告げた時に、どれだけすぐにムキになったり怒ったりするかでわかる。
→ 真実は、痛い。2 に続きます。
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