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帰省したから、うつ病だと診断されたことを両親に話した。

この前帰省した。

久しぶりの記事だけど、今日はその話をしよう。

僕の実家はど田舎にある。東京に出てくるまで、僕は山の隙間の集落で生活していた。東京とは何もかも違う。夕日はビルではなく山に沈んでいく。


帰省すると母は咳をしていた。この前帰省していた姉からうつされたらしい。僕が会った時にはだいぶ良くなっていたけど、少し前は咳が止まらず夜もあまり眠れなくて大変だったらしい。

僕の実家は田舎にもそんなに多くはない大きな家だ。100年以上前に建てられたと聞いたことがある。トイレが4個あって部屋もいっぱい。部屋を余らせたそんな家に住んでいるにも関わらず、僕の両親は普段一緒の部屋で寝ている。

夜中咳が止まらなかった母が迷惑だろうと寝室を抜けて別の部屋で寝ようとしたところ、すぐに父が探しにきたと母は笑って話してくれた。「気にしないからここで寝なさい」と言って実際すぐに寝てしまったらしい。昔から寝つきと寝起きがいい父らしい話だ。


ある夜の話だ。

久しぶりに帰省した僕がこう表現するのは変かもしれないけど、いつも通りに晩御飯を食べた。僕のいつもの箸が他の箸と混ざって立ててあるのを僕は嬉しく思った。

認知症の入ったばあちゃんが同じ話を何度も繰り返すのをいなしながら、僕と両親はいろんな話をした。その中で、姉の話になった。

僕の3つ上の姉は体と心の調子を悪くして今年の春時点でまだ大学生をしていた。これ以上休学すると放校になる、という状態だった。体に合う薬がやっと見つかり体調的には安定していたけど、精神的には安定していない姉がここから一度も休学せずに卒業するのは絶望的だった。

僕が春に帰省した時ちょうどそんな状況だった姉は、それでも元気そうにしていた。母は親戚の元でゆっくり働くことを勧めたけど、姉はもう一度大学に行くことを決めた。

それからどうなっていたのかを僕は知らなかった。ただ、最近姉から連絡があって、それを見る限りでは体調は良さそうだった。「美味しい日本酒があるから一緒に飲もう」と言っていた。

僕は母に今の姉の状態を聞いた。


姉はもう一度休学することになっていた。そして来年の春、正式に放校になることが決まっているらしかった。

そっか。と思った。

どう感じていいのか分からなかった。世間的には悪い結末なのかもしれないけど、姉が大学という、「普通の道」という一つの呪縛から解放されたようにも感じた。自分がどう感じているのかがわからなくて、どう感じるべきなのかを考えようとした。だけど、よくわからなかった。

まだ人生は長い。人生にはハッピーエンドもバッドエンドもなかなかやって来ない。これは結末じゃない。これからどうなるのかはわからない。


それから、ご飯を食べ終わって母が居間でドラマを見ている時間があった。

父は自分の部屋で晩酌をしていたから、部屋には僕と母しかいなかった。

僕はどこかでうつ病と診断されたことを話そうと思っていた。診断されたのは去年の11月。それから年末と春に2回帰省していたけどまだ両親には言えずにいた。

姉がうつ病だと診断された時の母の様子を思い出すと伝えるのが怖かった。


母がドラマを見ている間、僕はずっと踏ん切りがつかずにいた。ドラマが終わって、少しして、やっと僕は口を開いた。

「うつ病だって診断された」


母は「そうか」と落ち着いた口調で言った。

僕は少しずつ話した。言ってしまえば気持ちは楽になるかと思っていたけど、そんなことはなかった。それでも、ただ伝えた。

母は「お姉ちゃんと一緒だね」と言って、時々質問をした。

「どうして病院に行こうと思ったの」
「大学には相談したの」

「どうして今まで言わなかったの」とは聞かれなかった。

僕が伝え終わってから、母が「実はね」と話し出した。


「年末だったかな、もどろいが帰省した時に薬を置いて帰ってるのを見つけてね」
「多分忘れてたでしょ」
「そこに心療内科みたいな名前が書いてあったからもしかしたらとは思ってたよ」


ああ。僕そんなことしてたんだ。

薬を忘れていたことにすら気づいていなかった。ズボラな性格すぎる。母はそれに気づいて、だけど僕には何も言わなかったらしい。ただ、そういえば「医療費の領収書があれば持って帰ってきてほしい」というLINEが来ていたなと思った。

自分から話すまで聞いてこなかった母に静かに感謝した。

病院に行って薬をもらうとそこそこなお金がかかる。僕は自分の貯金からそれを出していたから、そこそこ大変だった。そういう話を母にすると、「お金は親が出すから病院に行きなさい」と怒られた。


それから一時間くらい経って母が寝室に行ってしまったから、僕は一人で居間にいた。すると、父がやってきた。

父は「お母さんからさっき話を聞いてな」と話し始めた。

「いいか、お金の心配はするな」

父はそう言った。

「お父さんは若い頃から資産運用とかちゃんとやってたから、お金の心配はするな」
「多分お前はお金に気をつけて生活してるんだろうけど、正直今の倍使っても暮らしていける」
「子どもをもう一人大学に入れるくらいならできる」

頼もしい父だと思った。真面目でえらい男だ。

僕のうつ病の話には一切触れずにただ、お金を気にせず病院には行けという話をしたのが父らしいなと思った。そういう気の遣い方をする人だ。

どんな資産運用をしていたかの自慢もされた。もっとドルが安い時からドル貯金をしていたとか言っていた。こういう自慢を欠かさないのも父らしい。

僕は静かに父に感謝した。


それから、父は「子どもをもう一人大学に入れるくらいならできる」と言った時に、少しだけ僕の兄の話をした。僕には姉がいるけど、実は兄もいたという話を聞いたことがある。幼くして亡くなってしまったらしい。僕が生まれる前の話だ。その後に生まれた僕は大事に育てられた。この話をする時、父はいつも優しくて寂しそうな顔をする。


その話も終わって、父は寝室に戻っていった。

父と母のそれぞれの対応があまりにも父と母すぎて、僕は伝えて良かったと思った。


いい家族だな。

頑張ろうと思った。なんで大変なことが降りかかってくるんだとも思った。

僕は今東京にいる。

行きやすい病院を探そうと思う。


僕たちの家族がうまくいきますように。

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