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井上郷子ピアノ・リサイタル32

[プログラム]
モートン・フェルドマン(1926-1987):
 ピアノ曲 1955
 ピアノ曲 1956A
 ピアノ曲 1956B
リンダ・カトリン・スミス(1957-):白いレース(2018)
伊藤祐二(1956-):偽りなき心Ⅱ ピアノ版(2015/2022)日本初演
リンダ・カトリン・スミス(1957-):潮だまり(2022)委嘱作品・世界初演 
モートン・フェルドマン:パレドマリ(1986)

フェルドマン作品…いずれも"Slowly"ないし"Slow"と指定された三作品。短い音やごく断片的なフレーズがぽつ、ぽつと爪弾くかのように発せられる。それぞれは短い曲だけれど、いかにもこの作家らしい音によって、静かだが濃密な世界が展開する。一曲目から二曲目へと音がさらに疎になる。沈黙を柔らかく束ね、丁寧に縫い留めていくかのよう。三曲目は大きな音が鳴るのをきっかけとして音楽が少しだけ動き出すのだけれど、再び深い沈黙へと降りていく。

伊藤作品…和音と、それに続く単音という、ごくシンプルな構成による作。木管五重奏のための作品のピアノ版とのことだけれど、元の曲よりも和音・単音の抽象度が上がる分、音自体のおもしろさがずっとクリアになっているのではと想像しながら聴く。木管五重奏は、こういった趣向の作品に用いるには音色の広がりが大き過ぎるし、響きの緊張感がやや弱いのではないか。

スミス作品「白いレース」…高音部、中音部、低音部のレイヤーの相関を味わう構成かと思った。冒頭で高音部によって網目のような音型が示され、それを通してより低い声部が徐々に見えてくるのはおもしろい。が、曲半ば以降で中音部に動きが移ると、曲の視点自体がその声部に完全にシフトし、立体感が失われてしまった。全体を通じて、同じ視点から見渡すような仕掛けがあるほうがおもしろく聴かせられるのではないか。(この作品は、2019年のリサイタルで初演を聴いているはずなのだけれど、申し訳ないけれど、全く記憶になかった…)

スミス作品「潮だまり」…半ばまではごく限られた素材が少しずつ変化していくさまが明確にわかり、ついていきやすいし、微細な変化をじっくり聴けるのがおもしろい。が、アルペジオが連続したあとは曲調が転換し、楽想が次々に移り変わっていく。前半からの継続性が無くなり、構成感が失われてしまった。

フェルドマン作品…一貫して限定的な素材が繰り返しあらわれるが、都度微妙な変化がある。テンポも音価も大きくは変わっていないとおぼしいのだが、同じ素材が戻ってくるたびに、僅かずつ速度が落ちていくように感じられる。ゆっくり時間をかけて音楽がどこまでも拡張されていくような感覚の中、聴衆は一つひとつの単音・和音にじっくりと向き合うこととなる。冒頭部分は非常にメロディアスに聴こえるため、今日のプログラムの最初の三曲と非常に対照的に感じられる。それが、曲が進行していく中であたかもこれら初期作品に回帰していくかのようで興味深かった。

井上氏の演奏はいつもながら極めて真摯で、それぞれの作品に対して本当に虚心に、丁寧に寄り添う姿勢には頭が下がる思いだった。(東京オペラシティ・リサイタルホール)

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