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空間を聴く・描く・編む〜リュック・フェラーリ没後20年アクースモニウム・コンサート〜

プログラム:
プレトーク(檜垣 智也)
1. 檜垣 智也Tomonari Higaki “沈黙の木 Arbre de silence” (2003) 11’47
[演奏:渡辺 愛]
2. ブリュンヒルド・フェラーリBrunhild Ferrari “Dérivatif” (2008) 27’09
[演奏:檜垣 智也]
3. リュック・フェラーリLuc Ferrari “盲人の階段 L’Escalier des aveugles” (1991) 34’18
[演奏:佐藤 亜矢子]
〜休憩〜
アフタートーク(ゲスト:椎名 亮輔、クリストフ・シャルル)

2日間のうち1日目を鑑賞。コンサートのステートメントには「2025年8月に没後20年を迎えるフランスの作曲家リュック・フェラーリの⻑編作品を、ブリュンヒルド・フェラーリの作品とともに特集します」とある。
終演後のトークでは、主として“Presque Rien”との関連から“L’Escalier des aveugles”の特色が語られた。

「アクースモニウム」について、檜垣氏の解説を引用する。

アクースモニウム(Acousmonium)は、電子音楽をコンサートで上演する演奏ツールとして、1974年にフランスの作曲家、フランソワ・ベイルによって考案された音響システムです。アクースモニウムの演奏者は、おもにステレオ方式 (2チャンネル)で制作された電子音楽を再生しながら、コンサート・ホールなどの上演空間内に配置された、多数の独立したスピーカー(群)の音量を、音響調整卓でリアルタイムに調整します。

アクースモニウムによる音の世界─再創造される電子音楽の可能性(檜垣智也 協力:川崎弘二  https://www.musicircus.net/post/140723999714/アクースモニウムによる音の世界ー再創造される電子音楽の可能性 にて閲覧)

檜垣作品は、爽やかな印象。B.フェラーリ作品は、L.フェラーリ氏(以下便宜上「L.氏」と略す)の遺した素材によるものとのことで、作家の創作プロセスをうかがうには好適な作と言えるだろう。

けれども、Lフェラーリ作品の最初の音が鳴った途端、それまでとは全く別の世界が広がったかのように感じた。

フランス語、スペイン語それぞれの文の、ニュアンスに応じて微妙に揺れ動くことばのリズムを細やかに確実に看取し掬い取っている。優れた写真家の正確無比なフレーミングを連想させる、耳の鋭さ。

ところで、「アクースモニウムの語源となるアクースマティック(Acousmatique)という珍しい単語は、発音源を見ることなしに聴くという状況を意味するフランス語」だという(上記檜垣氏文献)。ここから、「アクースマティック」とは、「声はすれども姿は見えず」に近い意味合いではないかと妄想した。音や声そのものに耳を向ける姿勢であり、ことばの場合、意味を一旦棚上げにし、純粋に音として捉えているように感じる。

L.氏の仕事は「実験音楽」として括られるのだけれど、どの作品に触れても、冷たさがない。常に「体温」のようなものを感じる。ただし、それは「ぬくもり」とか「人間味」といった微温的なものではない。美醜に拘泥しない、純粋な肌感覚とでもいうべきか。そうした印象を生むのは、諸処に見出される手跡によるかと思う。セグメントが終わった時に音をぶつっと断ち切るぶっきらぼうさ、対照的に話し手の息遣いの感じられるような繊細なマイクの使い方。トークの際、フロアからL.氏の創作における身体性への言及があった。これも「体温」と関わってくる点だと思う。

アクースモニウムにおける「演奏者(アクースマティスト)」は、作品の持つ起伏、凹凸をさらに明瞭な形で示すことが役割なのではと思いつつ聴いた。今回のコンサートのあと、ネット上にある本作の音源を、簡易な音響機器で聴いてみたのだけれど、至って平面的で、深みのない音であることに気づいた。音素材自体のおもしろさはあるのだけれど、「アクースマティスト」による演奏には及ぶべくもない。作品に施されている彫琢は、ライブで細やかな音響調整がなされてこそ活きるものだと思った。

L.氏の器楽作品の実演に触れたのは、だいぶ前にアンサンブル・ノマドによる「ソシエテⅡ」(1967)の演奏(2016年サントリーホール・サマーフェスティバル)を聴いたくらいなのだけれど、その際、音の響きの中に絶えず洒脱さが感じられた。今回の作品も、常に洒脱な味わいがある。これも、作家の手による仕事が感じられるゆえだろう。

L.氏がジェラール・パトリス監督との協働でいろいろな音楽家を取り上げたドキュメンタリー「大いなるリハーサル」のうち、「シュトックハウゼンの「モメンテ」」を観たことがある。激しく切り替わるカメラワークが、指揮し、語るシュトックハウゼン氏に密着する。緊張感と奇妙な高揚感に、熱に浮かされているかのような感覚に陥ったのを覚えている。これも、先に触れた「体温」の実例とも言える。

L.氏は、器楽、電子音楽、さらには映像と、メディアの種別を軽やかに越境しつつ、自由に表現を重ねた作家なのだろうと感じた。

この作曲家についてあまりにも不勉強だったことを猛省。きちんと時間を作って少しずつ聴いていこうと思う。

フライヤーデザイン:今井 さつき
音響:石原 遼太郎、高松 慶実、半田 有希、守谷 悠吾
照明:三浦 あさ子
撮影:吉成 行夫
主催:佐藤 亜矢子
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成]、公益財団法人野村財団
後援:先端芸術音楽創作学会、日本電子音楽協会-協力:Association Presque Rien(プレスク·リヤン協会)、Maison ONA、東海大学教養学部芸術学科 作曲·音楽制作ラボラトリー(檜垣智也研究室)
感謝:茅野市美術館
(2025年2月10日 絵空箱)
※見出し写真は会場風景

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