音の始源を求めてPresents 電子音楽の個展 NHK電子音楽スタジオ70周年記念事業Vol.5 「佐藤聰明」耳を啓く(ひらく)
曲目
エメラルド・タブレット 1978
マンダラ 1982
羅鑾幻聲(ららんげんじょう) 1983
マントラ 1986
主催:音の始源を求めて http://sound3.co.jp/denshi-ongaku/
協賛:株式会社ジェネレックジャパン
協力:スリーシェルズ
助成:公益財団法人かけはし芸術文化振興財団
作曲者の佐藤聰明氏のトークを交えながらの個展。
エメラルド・タブレット…仏教の法要などで用いられるキンなど金属製打楽器を叩く音から打撃音を除去したものを素材とする。音の立ち上がりが少し膨らむため、音が漂っていくような感触が生じる。終結部のクライマックスでは、声明のような響きも聴こえた。
マンダラ…当初男性歌手の声を素材として使おうとしたのだけれど、倍音が乏しいため、作曲者自身の声を使うことにしたという。高い倍音が、垂直方向に立ち上がっていくさまは、曼荼羅というよりも、大きな伽藍が姿をあらわすかのよう。音量のクライマックスに至る部分は確かに作曲者のいう「音の河」であった。
鑼鑾幻聲…西潟昭子氏の委嘱による作。神功皇后が巫女をつとめ、仲哀天皇が琴を弾いて神を迎えるという「古事記」の記述によるとのこと。冒頭と終結部で用いられているのは筝、中間部で登場するのは三絃だと思われた。開始部では筝と声に大きめのリンのような音が静かにかぶさっていく。「鑼」は銅鑼、「鑾」は鈴の音とのことだけれど、聴こえてくる音はどちらにも似ていない。金属製ではなく、むしろ陶器のような柔らかい音色である。そこに声明のような朗誦が入ってくる。神迎えの儀式とするなら、この声は警蹕に当たろうか。作家独自の世界観による創作ということが明確に感じられる。
マントラ…冒頭の電子音は油蝉の声を思わせる。この声は作品の最後まで持続する。そこに、作曲者の声が加わり、高い倍音を積み上げる。ここでも音の巨大伽藍が建ち上がっていく。あたかも夏の山寺を訪れたかのようである。終結部で豊かに天井から降り注ぐ蝉の声が印象的だった。設備の整った会場で、身をもって経験すべき音楽だということが感じられる。
佐藤氏は、仏教における概念やイメージが用いられている作品が多く見受けられるのだけれど、いずれの作においても、概念やイメージが抽象的にではなく、極めて感覚的に捉えられている。仏教プロパーというよりも、作家が独自に組み上げた世界観に裏打ちされていると思しい。ことに時間感覚が独特だと感じられる。聴いている側は、作品の中に静かに坐して、ゆったりと味わうよういざなわれる。けれど、作家の姿勢は決して押しつけがましいものではない。くる者拒まずといった雰囲気がある。
作曲者は、自分の作品に対して執着がないと語る。今回の作品に関しても、MCのコメントに対して"ああ、そうでしたっけ"的な応答が見られたりもした。一つの作を書き終えてしまうと、作家の心はすでに次の創作に向かっているのだろう。作品のもつ柔らかな空気感は、そうした創作姿勢に由来するのかもしない。
アンコール 組曲「橋」より第5曲「橋」(電子ピアノ 佐藤慶子氏)
ごくシンプルなふしが緩やかに綴られていく。流れていってしまうのではなく、音の一つひとつを吟味しながら撚り合わせていくような仕事と感じた。深く聴くことを基本とする点で、一連の電子音楽と根本で繋がると思った。(2024年9月26日・27日 Artware hub KAKEHASHI MEMORIAL)