神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズVol.2 サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』
プログラムなど
プログラム
「瓦礫のある風景」(2022年)[日本初演]
作曲:サルヴァトーレ・シャリーノ
「ローエングリン」(1982-84 年)[日本初演/日本語訳上演 *一部原語上演]
原作:ジュール・ラフォルグ
音楽・台本:サルヴァトーレ・シャリーノ
修辞:大崎 清夏
演出:吉開 菜央・山崎 阿弥
作品構成:プロローグ、第1~4場、エピローグ
2025年1月開館50年を迎える神奈川県民ホールだが、老朽化のため2024年度末で休館となり、再開時期は未定とのこと。いささかくたびれてはいるけれど、ゆったりとした構えの空間が閉じられてしまうのは残念である。
「瓦礫のある風景」
「風と埃」開始部からしばらくフルートが弱音で旋律を奏でているが、ほかの楽器のノイズにより、ほぼ聴き取れない。雑音のひどいラジオを聴いているかのよう。
「粉砕」ショパンのマズルカが切れ切れに綴られる。時折聴こえる螺子を巻く音(ラチェット)、増幅されたギターの弦の擦れる音は、オルゴールの機械音を思わせる。
「抹消」ではラチェット奏者がアンサンブルの前に出て演奏するが、増幅しても良かったか。
ショパンの生きた時代、祖国ポーランドはロシアの支配下にあった。ショパンがウィーンに滞在していた1830年に、祖国では11月蜂起が起こったが、翌年失敗に終わった。愛国主義者であったショパンはこの出来事に深く心を痛めたという。
また、ワーグナーは1849年ドレスデンで生じたドイツ三月革命に参加している。革命が失敗すると指名手配されてスイスに亡命し、そのため、歌劇「ローエングリン」の初演に立ち会うことができなかったという。
両者とも、社会の中での表現者であることを明確に自覚していた作曲家だったと思われる。本作においても、ロシアのウクライナ侵攻に対して、社会への関わりを深く思索する作曲者の姿勢が表明されている。今回のプログラムを貫く視座が感じられた。
「ローエングリン」
作品について
演者の舞台上での動きはごく限られている。幕が開くと、演者の橋本氏が舞台後方に後ろ向きで立っている。ゆっくりとこちらに向き直り、舞台前方中央に移動すると、以後はその位置からほとんど動くことがない。舞台後方に広げられている薄い布をスクリーンとして、いくつかの映像が投影される。それも水面の波紋と白いベッドに限られている。前半では演者に当てられるスポットが周期的に翳り、月明かりを思わせる。月光を、エルザが狂気に向かう要因として位置付ける意図もあったか。
舞台上に登場する演者はただ一人で、さまざまな声ー語る声、叫び声、早口、声色、唇を使った各種子音ー、そして呼吸音と、身体一つで作り出せる音による表現の可能性を追求している。器楽の繊細な響きと一体となって、味わい深い音空間を作り出していた。今回のリアライゼーションには吉開氏と山崎氏のコンセプトが明確にあらわれていると感じた。以前に観た吉関氏の映像作品「静坐社」(2017年)は、全編にわたって続く囁きと静かな呼吸音が印象的だった。小さな音一つひとつに丁寧に耳を澄ます姿勢が今回の作品の趣旨とよく適合していた。
演奏について
橋本氏は、エルザはもちろん、騎士、魔女、弟を丁寧に演じ分けていた。作品が進むにつれ、それぞれの声音が安定し、各キャラクターがくっきりと立ち上がっていったのは流石。本作の演者は、セリフのみならず、唸り声、クリック音、両唇を閉じて放出する音、咳き込む音などさまざまな声を繰り出し、極めて豊かな表現を実現することを求められる。橋本氏のパフォーマンスは、余分な力の入らない、ごく自然な演技と映った。吉開氏とは、ダンスのレッスンを通じて出会ったとのことで、周到な準備をおこなったことがうかがわれた。現代作品のスペシャリストたちとも堂々と渡り合う声の妙技に感服。今後も新しい表現に挑戦していただきたい。
先述の通り、演者の身体の動きはごく限定的だった。舞台後方に投影される映像はシンプルながら、必要十分な情報を与えていた。けれども、あまりに広大な舞台空間は活かしきれていなかった。この作品は、もっと小さい空間での上演の方が適しているだろう(今回の会場である県民ホールで言えば、小ホールだろうし、あるいはもっと小さい空間でも良いと感じた)。演者の声も、PAなしのほうが迫ってくるものがあったはずである。
杉山氏の巧みなリードのもと、切れ味鋭い演奏を聴かせてくださった楽士の皆さんに大拍手。
テクストについて
原作としているラフォルグによるパロディは、作曲者の手によって切り刻まれ、順序も大きく変えられているという。その結果、原作の諧謔性は後退し、結果的に原典のもつ神秘性にたちかえっているように感じられた。また、騎士に素性を尋ねる「禁じられた問い」はラフォルグ版では完全に切り捨てられている。ところが本作では、切り貼りの結果として騎士の言動は何やら謎めいた雰囲気を帯びており、明確には示されないものの、件の問いかけもどこかで蘇っているのではないかとさえ思われる。
本来の「ローエングリン」の物語は一種の異類婚姻譚と捉えることができる。本作において動物を思わせる唸り声や叫び声が用いられているのは、そうした面を拡大してみせたものかと思われる。また、白鳥が姿を変えるのが枕としている点で、エルザと弟との間での近親相姦も仄めかされているのではないか。生命同士の生々しい出会いと衝突によって物語らしきものが進んでいく。時に痛々しくさえある関わり合い。だけれど、最後の場面に向かって、一種のカタルシスが実現されている。社会的な通念を敢えて取り払ったところでの、純粋な生命同士の結びつきを示すものだろうか。本作は、下地であるワーグナーの構想を拡張・増幅することによって、生きること自体が孕む痛みを表現しようとしているのかもしれない。
出演者・スタッフ
●=「ローエングリン」 ◆=「瓦礫のある風景」
指揮:杉山 洋一●◆
出演 エルザ役:橋本 愛●
演奏:
成田 達輝 ●◆(ヴァイオリン/コンサートマスター)
百留 敬雄 ●(ヴァイオリン)
東条 慧 ●(ヴィオラ)
笹沼 樹 ●◆(チェロ)
加藤 雄太 ●◆(コントラバス)
齋藤 志野 ●◆(フルート)
山本 英 ●(フルート)
鷹栖 美恵子 ●◆(オーボエ)
田中 香織 ●◆(クラリネット)
マルコス・ペレス・ミランダ ●(クラリネット)
鈴木 一成 ●(ファゴット)
岡野 公孝 ●(ファゴット)
福川 伸陽 ●(ホルン)
守岡 未央 ●(トランペット)
古賀 光 ●(トロンボーン)
新野 将之 ●◆(打楽器)
金沢 青児 ●(テノール)
松平 敬 ●(バリトン)
新見 準平 ●(バス)
山田 剛史 ◆(ピアノ)
藤元 高輝 ◆(ギター)
[美術]豊永恭子
[振付]柿崎麻莉子
[衣裳]幾左田千佳
[照明]高田政義
[音響]菊地徹
[スタイリング]清水奈緒美
[ヘアメイク]石川ひろ子
[舞台監督]山貫理恵
[プロダクションマネージャー]大平久美
[副指揮]矢野雄太
[音楽アシスタント]小松桃、市橋 杏子、眞壁 謙太郎、吉野 良祐
[オーケストラステージマネージャー]杉浦 友彦
[オーケストラステージマネージャーアシスタント]木本拓夢
[演出助手]田丸 一宏
[ワードローブ]狩俣恵利子
[ヘアメイクアシスタント]高場奈緒
[演出部]重見有基仁、溝口 明日美、清水蘭子
[大道具製作]株式会社スタッフオンリー生駒研介、株式会社東広
[照明操作]清水 朋久、板垣史子、西山真由美、大庭 圭二、小川結歩
[音響ミキサー]大森あゆみ
[音響モニターミキサー]石ケ森凛
[音響エンジニア]佐藤 天
[音響アシスタントエンジニア]豊島梨緒、村上 妃
[制作]神奈川県民ホール 山根 悟郎、坂元 恵海
[協力]合同会社オフィス山根、有限会社Orfeo、株式会社K Productions、有限会社C-COM、株式会社東京音響通信研究所、株式会社東京コンサーツ、有限会社NIKE STAGE WORKS、株式会社ヤマハミュージックジャパン、株式会社流、市村貴絵、井内 美香、河村絢音、金千恵子、高田和文、豊永 恭子、森岡 実穂、横堀 応彦
[宣伝美術衣装協力]tanakadaisuke
[宣伝美術 撮影]トキ
[宣伝美術チラシデザイン]畑ユリエ
[記録]阿部 章仁、安保 茂美
[神奈川芸術文化財団名誉芸術総監督]團伊玖磨、一柳慧
[県民ホール·音楽堂 芸術参与]沼野雄司
[統括プロデューサー]眞野純
[企画制作]神奈川県民ホール
(2024年10月5日・6日 神奈川県民ホール・大ホール)