王様と私
2020年11月29日にhttps://www.modernstylus.com/home/the_king_and_iに乗せた文章を再投稿しています。
この可愛らしくてどことなくミステリアスなジャケットのLPを僕が見つけたのは、東池袋の明治通り沿いにある小さなレコードショップだった。新文芸坐やミカド劇場や、そのほか種々雑多な店が軒を連ねるあの怪しげなエリアだ。
店は雑居ビルの2階にあり、ビルの裏手の狭くて薄暗い階段を上らないと中に入ることができない。16畳ほどのフロアに雑然と並んだ棚には、古いレコードがぎっしりと詰まっている。僕が店を訪れたときは、無精ひげを生やした店主らしき男が一人レジにいて、パイプ椅子に腰かけて寡黙にレコードを磨いていた。レコードショップなんだからそれなりに趣味の良いBGMが流れていたはずなんだけど、残念ながらどんな音楽が掛かっていたのかまるで思い出すことができない。なにしろ1年以上前のことだから、ところどころ記憶が曖昧になっている。
とにかく僕はそこで『王様と私』のLPを買った。東南アジア風の宮廷衣装を着た女の子がトランペットを手にダンスを踊る、印象的なイラストが一目で気に入った。ウィルバー・ハーデンというトランペット奏者のことは知らなかったけど、ちょうどジャズに興味を持ち始めた時期でもあったから、ジャケットに印字された謳い文句(ヒットミュージカルの"モダンジャズ的"解釈)と、トミー・フラナガンという名前だけでかなり好奇心をくすぐられたことを憶えている。
一度聴いてもらえばわかると思うけど、演奏自体はシンプルというか、素朴というか、要するにこれといったパンチラインのない比較的地味な盤ではある。しかし腰を据えてじっくり聴いてみると、繊細かつ屈託のないとても素直な演奏だということがだんだんわかってくる。音の粒がみんなすっくと立っていて、そろって前を向いているのだ。名盤と呼ばれるジャズアルバムは数あるけれど、これほど実直にして前向きな演奏はそうは聴けない。少なくとも僕にとっては唯一の音楽だ。
僕が所有しているのは1995年に日本コロムビアから復刻再販されたものだが、オリジナル盤は1958年にサヴォイ・レコードから発売されている。当時はブロードウェイミュージカルの楽曲を、モダンジャズ界隈のミュージシャンがアレンジして録音することがよくあったらしい。
1950年代後半といえば、ジャズが世界で最も革新的でスリリングな音楽だった時代だ。もちろん他にも新しくて刺激的な音楽はあっただろう。その頃はR&Bや初期のロックンロールが若者の人気を集めていたし、女の子たちはテレビに映るエルビス・プレスリーに夢中だったはずだ。だがそれでも、街でいちばんクールな音楽といえばジャズだった。ソニー・ロリンズが『サクソフォン・コロッサス』に奔放な個性の捌け口を見出し、マイルス・デイビスが『カインド・オブ・ブルー』の中で魔術的な実験を試み、ビル・エヴァンズが『ポートレイト・イン・ジャズ』で音の底に沈んでいった時代。そこにはとにかくありとあらゆるヴァリエーションが存在した。時代の最先端の表現手法はいつだって、巨大な台風のような求心力であらゆるものをその身の内に取り込んでいく。2000年代以降の日本でアニメーションや漫画が子供向け物語の枠を超え、僕ら(大人)の興味関心を捉えて「時代を表現する」媒体にスケールしたのと同じように、1950~60年代にジャズは、ミュージカルやクラシックや電子音楽を吸収して一つの巨大なムーブメントになったのだ。『王様と私』も、そこから派生した無数のヴァリエーションのささやかな一つということができるだろう。
以下の文章は、ジャケット裏の紹介文からの引用と、僕の適当な和訳だ。
参考までに、ここにハーデンの伝記的事実を簡単に記しておく。
ウィルバー・ハーデンは1924年にアラバマ州バーミンガムに生まれた。世界恐慌の深刻な不況の煽りをうけ、1930年代に一家とともにデトロイトへ居を移した彼は、この地でトランペットを吹き始め、やがて地元の有名な演奏家たちとブルースを演奏するようになる。第二次世界大戦末期に海兵として徴兵された際には、ブラスバンドの一員としても技術を磨いた。月日は流れ、トミー・フラナガンやケニー・バレルらと演奏が行えるまでになった彼は、1958年に4枚のリーダー作を録音した(そのうちの一つが『王様と私』である)。しかし、同じ年に重い病を患い、1960年のカーティス・フラーとの共演を最後にジャズの表舞台から姿を消す。そして、およそ10年間におよぶ長い療養生活の末に、1969年にニューヨークで静かに息を引き取った。享年45歳。
狂騒の20年代アメリカに生まれ、ビバップ全盛の50年代にジャズミュージシャンとして活躍し、60年代は過熱する公民権運動を横目に病床で最期の日々を送った一人の男。苛烈でドラスティックに過ぎる変化の渦の中で、彼はどのようにその温かく実直な演奏スタイルを形成していったのだろう? それはもちろん、想像するしかない。
20世紀......。
高校の世界史の授業では、受験が間近に控えていることもあってさらっと流し聞きする程度だったが、あらためて書き出してみると、この時代には目に見える変化が本当にたくさん起こっていたことがわかる。
たとえば20年代には、チャールズ・リンドバーグが大陸間無着陸飛行を初めて単独で成功させ、ベーブ・ルースのホームランに全米が熱狂し、禁酒法の裏でアル・カポネが暗躍していた。
たとえば50年代には、ラジオに代わってテレビが一家団欒の中心となり、エルビス・プレスリーはロックンロールをポピュラー音楽に昇華し、フィデル・カストロが米国境のすぐ南に浮かぶ島に社会主義国家を成立させた。
たとえば60年代には、ジョン・F・ケネディとマーティン・ルーサー・キングが凶弾に倒れ、ビートルズが一世を風靡し、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが人類史上初めて月面に降り立った。
そう、それはまさにアメリカの世紀だった。
ウィルバー・ハーデンはそんなアメリカ社会の片隅で、ひたすら実直にトランペットを吹き続けた。その音楽は今、時代を超えて僕の心を癒してくれる。まるで王の高慢な心を熱意と献身によってしだいに溶かしていった、異邦の女教師アンナのように。
『王様と私』には、ハードバップ的な技巧が凝らされているわけでもなければ、ハーデンの他のリーダー作のように若き日のコルトレーンが参加してるわけでもない。そういった意味では、たしかに派手さや外連味に欠けるかもしれない。たとえるならそれは、カーチェイスもラブシーンもないロードムービーのようなものだ。それでもその道中には、温かい血の通った生命の気配がある。頭と心を空っぽにして耳を澄ませば、木漏れ日の差す森の中の陽だまりから、小さな生き物たちのささやく声が聴こえてくるだろう。
さて、『王様と私』のレコードを買って店を出た僕は、それからどうしたんだっけ?
たしか、東池袋の錆びれたゲームセンターや楽器屋を覗いて夕方まで時間をつぶして、それから西口公園近くの家庭的なイタリアンレストランに入った。その日僕のレコードショップ巡りに付き合ってくれた友達の地元が池袋だったので、近所の安くて美味しいお店を知っていたのだ。僕らはそこでサラダとパスタを注文した。食後には赤ワインも飲んだ。テーブル席は一席残らず埋まっていて、店は盛況だった。
その頃はまだ一席おきに間隔を空けて座る決まりはなかったし、飛沫を気にして小声で話す習慣なんて誰も持ち合わせてはいなかった。客たちは顔を寄せ合って熱心に互いの話に聞き入っていた。もちろん店の入り口にアルコール消毒液なんて設置されていなかった。黄色い照明に照らされた満席の店内。銘々の話声が交じり合った雑然とした響き。擦れ合う食器の音。グラスの縁についた赤い染み。たった1年半前のことなのに、なんだかずいぶん昔のことみたいだ。
そのようにしていくつかの情景を思い出すことはできるけれど、そのとき自分が何を考えていて、何を話したかということになると、僕は途方に暮れてしまう。ある意味ではそれはもう、歴史的事実みたいなものだから。
僕にとって過去を思い出すことは、一人のトランペット吹きの生涯に思いを巡らせたり、おとぎ話の登場人物に想いを馳せたりするのとさして変わらない。夢を見るように過去を想い、歴史の中に醒めない夢を見る。それは純粋に想像力の問題なんだ。
ビバップ全盛期のアメリカで音楽に人生をささげること。遠い異国の地で頑固な王様にダンスの踊り方を教えること。一日かけてレコードを探して、満席のレストランで友人と何の気兼ねもなく近況や音楽について話をすること。
それはいったいどんな気持ちがするものなのだろう?
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