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或る1日の記録

 副編集長に昇進する辞令を受けたのは昨日のことだった。入社してから常に特集記事の企画採用率がトップだった私としては、やっとという思いだった。上司や同僚たちからお祝いをしようと飲み会に誘われ、帰宅したのは深夜2時近くだった。朝は強い方なので普段は目覚ましなしで起きられるのだが、今朝起きて枕元の時計を見るといつもより30分も遅かった。急いで身支度を済ませて家を出ると、少しだけ足取りが重かった。気分は悪くなかったので久しぶりの深酒のせいだと思い、できるだけ急いで歩いた。
 オフィスに足を踏み入れた瞬間、周囲のざわめきが一斉に私の耳に迫ってきた。一瞬圧倒されながら、何気なくオフィスの時計を見ると始業時刻の9時を指している。いつもは8時に出社しているので1時間も遅かった。通勤途中に思いついたアイデアを忘れないよう、急いでパソコンを立ち上げメモアプリを開いた。画面を見るとカーソルが激しく点滅している。文字を入力している最中も、急かすように点滅するカーソルを見て少しめまいがした。パソコンの調子が悪いのだと思いすぐに再起動をする。顔をあげオフィスを見まわすと、同僚たちがせわしなく動き回っていた。彼らの動きが異常に速く、時間そのものが加速しているように感じる。ふと、先月号で『時間の概念を覆す物理法則の矛盾』という特集記事を担当したことを思い出した。記事の内容を思い出そうとしていると、同僚が心配そうに私の顔を覗き込んできた。私は右手を挙げて彼を制止し、小さく首を左右に振った。パソコンに目を戻すとデスクトップが表示されていた。時計を見ると出社してから既に1時間が経過している。まだ20〜30分程度しか経っていないように感じていたのだが、オフィスの時計を見ても確かに出社時刻から1時間が経過していた。急いで自分の腕時計を確認すると、時計の針は8時ちょうどを指している。不思議に思いながら、腕時計の時刻を合わせて仕事に取り掛かった。メールをチェックすると大量の未読メールが表示された。返信を書いて送信ボタンを押すと、受信トレイにはさらに何通かの新着メールが届いている。混乱しながらも次のメールに対応していると、上司が声をかけてきた。
「なんか様子が変だぞ、大丈夫か?」
 私は返答に困り苦笑いしか返せなかった。
 ランチタイムになり同僚に誘われて一緒に食堂へ向かった。彼らは早口で話し、私は会話についていくのが精一杯だった。彼らは食事のペースもいつもより早く、私は結局すべて食べきらないうちに食事を終えた。オフィスに戻って腕時計を見ると針は11時30分を指していた。このとき、朝から感じていた違和感の正体が時間感覚のズレだということに気がついた。時間感覚のズレを確かめるため、私はオフィスの時計を見ながら自分の腕時計をもう一度合わせた。オフィスの時計が10分進むのを待ち、自分の腕時計を確認する。すると、腕時計は5分しか進んでいなかった。腕時計だけではなく自分の感覚も、10分も経過しているとは感じられなかった。この瞬間、先月号の特集記事の内容を思い出した。記事には、量子のもつれと相対性理論の関係性が書かれており、それが現実に起こり得る可能性についても触れられていた。今の自分の状況は、記事に書かれていたそれと同じだった。自分(と自分の腕時計)だけが異なる時間の流れに取り残されている。気がつくと14時からの企画会議の時間を過ぎていた。急いで会議室に向かいドアを開けると上司から厳しい視線を投げかけられた。私のプレゼンテーションはうまくいかず、挙げ句の果てにこの企画から外されることになった。
 その後のことはあまり覚えていない。いくら早く行動をしても周囲は自分の2倍のスピードで進んでいく。どれだけ急いでも間に合わなかった。これが今日だけのことなのか、この先も続くのか、どう受け止めたら良いのか全くわからなかった。ただひとつ確実に言えるのは、周囲が早いのではなく、私が遅いのだ。腕時計を見ると終業時刻の17時を過ぎている。何時間悩んでいたのだろう。オフィスの時計は21時を過ぎていた。自宅に帰りシャワーを浴びてベッドにもぐり込んだ。明日の朝にはこの状況が解消されていることを願いながら、腕時計の時刻を直して眠りについた。
 翌朝目覚めると、窓の外は暗くどんよりとしていた。布団の中から腕を出し、手首を持ち上げて腕時計を見ると、時刻は6時30分だった。私は昨日の出来事を思い出しながら、恐る恐る枕元のデジタル時計を手元に引き寄せた。19時32分と表示されている。私は思考が停止し、仰向けになって天井を見つめた。少しして再び時計を見ると、時刻は20時02分になっていた。

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