ヒットソング
録音ブースの重い扉を閉めると部屋は一瞬真空状態になったかのように静まり返った。私は振り返って椅子に座り左側の少し低い位置にかけられているヘッドホンを手にとって付けた。ギターパートのレコーディング開始からは2時間が経過しようとしている。右側に置かれているギターを手に取るとヘッドホンからプロデューサーの声が聞こえた。
「準備はいい? 次で決めよう! 」
私は、
「はい。お願いします」
とマイクが拾える程度の声で返事をしてギターのピックを持ち直した。
演奏が終わりしばらくするとミキシングルームに呼ばれた。そこではプロデューサーとレコード会社のディレクターだけが話をしている。バンドのメンバーは何も言わず静かにその様子を見守っていた。私の姿を見た著名なミュージシャンでもあるプロデューサーは、
「やっぱりちょっとダメだな、一度俺が弾いてみるから聞いてて」
と録音ブースの中に入っていった。
録音ブースの扉が閉められプロデューサーとレコーディングエンジニアが何度か会話をした。ミキシングルームでは誰ひとり余計な話をする人間はいなかった。
演奏が始まり、4分35秒が経過して、録音は終わった。
その場にいる誰もが“文句のつけようがない演奏”だと感じていた。私もその演奏を聞かされ何も言えなかった。
ミキシングルームに戻ってきたプロデューサーは、
「どうだった? こんな感じで弾けばいいんだよ」
と悪気のない笑顔で私に微笑みかけた。
プロデューサーも含めその場にいる誰もが私にその演奏をする技量がないことは知っていた。しかしそのあとも私は何度か録音をさせられた。
レコーディングスタジオは3日間押さえられ5曲をレコーディングすることになっていた。その日は2日目でまだ2曲目のレコーディングの途中だった。誰もがあと1日で3曲を録音するのは無理だとわかっていた。
レコード会社のディレクターはスケジュールを調整し取り敢えずはあと1日で2曲を完成させようということになった。あと1日でできることは2曲分の歌の録音と全ての音の最終調整くらいだった。
レコーディング3日目が終わり2曲が完成した。出来上がった1曲の中に自分の演奏は使われておらず、代わりにプロデューサーの演奏が使われていた。
それから2ヶ月。アルバムをつくる全ての工程が終わった。中学生の頃CDを買うと家に帰るまで待ちきれずレコード店からの道すがらパッケージを開けていた自分が、出来上がったCDを受け取ってもしばらく放置していた。そして数日経ったあと、パッケージを開けることなく棚にしまった。
デビューしてからしばらくは雑誌の取材やレコード店への挨拶と忙しい日々を過ごしていた。デビューしたての若いバンドマンは誰からもチヤホヤされラジオに呼ばれると“期待の新人”と紹介された。何曲も自分たちの曲がかけられたがその中にはもちろん自分が演奏をしていない曲もあった。
それから1年。私は自分の納得のいく演奏ができるまでひたすら練習をした。同時に多くのライブ会場を巡り様々な場所で宣伝活動もした。しかしCDの売り上げは今ひとつ伸びずレコード会社との契約は終了となった。そして半年後、アルバイトをしながら続けていたそのバンドも解散した。
その後もいくつかのバンドで活動をしたがいつしかそれもなくなり私はただのコンビニエンスストアの店員になった。コンビニエンスストアのBGMはほとんどが日本のポップスで自分と同じ時期にデビューしたバンドの曲も流れた。その頃はもう自ら進んで音楽を聞くことはなくなっていた。
ある日のバイトの帰り道。ふと上京するとき父親に言われた言葉を思い出した。
「お前は音楽に取り憑かれとるなあ」
しかし今になって考えると“取り憑かれている”のではなく“取り憑いていた”だけなのかもしれないと思った。
夏の暑い日。帰宅して窓を開けるとどこからか最新のヒットソングが聞こえた。いつもコンビニエンスストアで耳にする曲だ。私は静かに窓を閉じエアコンのスイッチを入れた。