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小説ですわよ第3部ですわよ7-6
※↑の続きです。
水原三平は恵まれた人生を歩んでいた。大手建設会社の部長で、年収は2000万。妻と娘ふたりに恵まれた。千葉の有名アトラクションの建設……には関われなかったが、そのスタッフが行き来する地下迷宮のような通路の建設に携わった。東京の世田谷に一軒家を建てることができた。最初は一緒に野球やテレビゲームを遊んでくれる息子が欲しいなどと考えていたが、妻の妊娠を知ったとき、そんな自己中心的な願いはすぐに吹き飛んだ。妻も子も無事で生きてほしい。そのためなら自分はどうなってもいいと。
二人目の娘を授かってから少し経ち、仕事と余暇のバランスが取れるようになった。そこで高校まで打ち込んでいた野球をなんらかの形で再開したいと考えた結果、地元の少年野球チームのコーチに採用された。
平日は仕事に情熱を注ぎ、休日は愛する家族と過ごしつつ、野球少年たちを育てる。40代前半にして、人生のピークを迎えることができた。
すべてが狂ったのは、今より14年前のことだ。身に覚えのない罪だった。裁判はまともに行わず、執行猶予もつかないまま懲役20年を言い渡され、阿江木越市の刑務所に収監された。
こうなった原因は知っている。コーチを務める少年野球チームの試合に、泥酔した中年男性が下品な野次を飛ばしたのだ。三平は毅然とした態度で男を注意したが、相手は野球チームの練習場所は自分のテリトリーだと言って聞かない。ここから口論がヒートアップし、殴りかかってきた男をもう一つの趣味――相撲の技で思わず投げ飛ばしてしまった。護身のためとはいえ、致命的だった。男は都内の有力な暴力団の直参であり、その立場を利用して三平に濡れ衣を着せた。「三平が少年野球チームに所属する男子生徒へ性的暴行を加えた」と。これは誤りだと何度も主張したが、弁護士にも裁判官にも一切取り合えってもらえなかった。
刑が確定して、最初に思ったのは自分の今後ではなく、妻と娘たちだ。迫害を受け、以前のような生活はできなくなる。経済的に支援することはできない。
なにより長女の舞が心配だ。あの子は理不尽に対し、後先考えずに行動するところが自分とそっくりだ。誇りではあるが、大きな不安でもある。彼女の長所だけを上手く引き出せる人間がいればいいが……そんな都合のいい願いは通じないだろう。
絶望で目がくらみ、文字通り視界が真っ白になって阿江木越刑務所へ移送されたところに希望が現れた。白いジャージ、テカテカのオールバック。見た目は古風なインテリヤクザだが、少なくとも自分の敵ではないようだ。
「水原三平さん、ですね」
男が語ったことは、まるで意味がわからなかった。長女の舞が特異点なる者の運命を導く存在という。そして男が所属するピンピンカートン探偵社では、自分を陥れたヤクザを裁くことはできないため、収監は避けられない。なぜなら探偵社は、この世界とは異なる場所からの侵略者と戦う組織だからだそうだ。だが檻から出すことはできないものの、他の囚人とは違って最大限の待遇を与えることはできるらしい。
それを証明するように、白ジャージの男は自分をホテルのような雑居房に入れてくれた。雑居房といっても同室者はおらず、事実上の豪華な独居房だ。家族へこの事実を語ることこそ禁じられたが、パソコンや携帯電話を与えられ、銀行口座を始めとした資産は一切凍結されず、経済的な支援を可能にしてくれた。
そして白ジャージの男は、深々と頭を下げて願った。
「あなたの娘さんは、どんな形であれ宇宙の存亡に関わることになるでしょう。そのとき、あなたが導いてあげてください」
三平は男に感謝しながらも、その願いに反する要望を伝えた。
「舞がピンピンカートン社に入らないようにしてください。事実は異なれど犯罪者の父を持ち、そのうえ宇宙の……特異点の導き手ですか? よくわかりませんけど、そんな重荷を背負わせたくないんです」
「承知致しました。隠匿の魔法という力で、舞さんが探偵社へ接触できないようにします。しかし舞さんは特別な存在ゆえ、それでも我々のこと知ることになるかもしれません。自ら使命を果たす選択をしたら?」
三平の答えは決まっていた。
「どうか娘をよろしくお願いします」
「ありがとうございます。全力で舞さんをお守り致します」
三平のおじぎに対し、白ジャージの男は躊躇なく土下座で誠意を示した。それが胡散臭くもあるが……しかしこの者たちが邪悪であれば、舞は相撲技で叩きのめすことだろう。なにより直感だが、白ジャージの男は信じられると三平は思った。
それから時は流れ、14年後。妻と舞は仕事の合間を縫っては面会に来てくれた。次女の愛からは完全に見放されているらしい。仕方ないだろう。辛かったが三平は妻だけに真実を明かしていた。娘、特に舞が知れば三平が収監されている雑居房を破壊しかねないからだ。無実の罪のために舞が犯罪者になることは避けたかった。
しかし14年後の春、ひとりの男が三平の特別雑居房に収監された。名を森川イチローという。雑居房は共有フロアから各自の収監房が繋がっているが、共有フロアとの行き来は自由だった。三平はそこでイチローから話を聞いた。彼は特別な能力を持ち、他人の特別な能力を中継・増幅して遠距離へ飛ばすことができるらしい。そしてイチロー自身も自覚していなかったが、シンプルに声を中継することもできるらしい。
そんなことを聞いた折、白ジャージの男が再び現れた。
「ご無沙汰しております。あなたの娘さんが、このあと間もなく宇宙お嬢様と交渉の場につき……」
男の話は殆ど理解できなかったが「数多の世界が滅びること」と「三平が濡れ衣を着せられなかった可能性の世界」を天秤にかけられ、舞が迷うだろうことを聞かせられた。
白ジャージの男は三平に「舞を上手く説得し、滅びを回避させてほしい」と、何度も「申し訳ない」と付け加えて頭を下げた。三平は迷うまでもなく、男の願いを聞き入れた。自分はどうなってもいいから、舞には世界を滅ぼすような選択をしてほしくない。イチローが三平の声を、舞に届けてくれることになった。彼の能力は時間や空間を超えられるらしい。
三平はイチローの背中に右手のひらを押し当てる。こうすれば三平の言葉が宇宙の彼方にいる娘へ届くという。三平は舞にどんな言葉を届けようかと頭の中を引っ掻き回した。だがその前に、宇宙の存亡を握る存在(宇宙お嬢様)に返答したであろう舞の言葉が逆流してくる。
「お父さんが濡れ衣を着せられて、家族みんなが大変な目に遭って、私は仕事を失って……その事実が消えるってことでしょ?」
「ええ。貴方がが味わった無念も屈辱も、すべてがなかったことになりますわ」
「……ダメだ」
「えっ」
「私がピンピンカートン探偵社に入ることもなくなる。イチコさんや社長、岸田さん、軍団、七宝さんとの出会い……これまで轢いてきた返送者たちも……すべてがなかったことになる。神沼の一派にイチコさんが頭を吹っ飛ばされた悔しさや、マサヨさんがアヌス02に拉致された悲しみも」
「その通りです。負の過去は一切消えてなくなるのです」
「ダメなんだよ」
「なぜですの?」
「悲しいことや辛いことを受けて、今があるんだ。それを乗り越えて、みんなで蕎麦屋で飲み食いしたんだ。愛助はロボットのくせにゲロ吐きやがって。とてもベストな人生とは言えない。むしろクソだった。それでも今、この瞬間が幸せだって思いたいから、みんな頑張ってる!」
「そんな苦労をしなくても、貴方に幸福を与えると申しているのですわ!」
「いらねえ!」
肉と肉がぶつかる鈍い音が三平の耳に届いた。舞が宇宙お嬢様をぶん殴ったのだろう。心配していた通りに育ったが、だからこそ誇れる娘になったのだ。
続きは娘が帰ってから聞こう。三平はイチローの背中から手を離すし、白いジャージの男へ謝罪のお辞儀をして、自らの独居房へ戻った。
つづく。