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小説ですわよ番外編ですわよ7-1
※↑の番外編です。
『シークレットミッション~幻のInoki Natural powerⅤ~』
2023/4/5(水・仏滅) 10:00。
水原 舞は最寄りの南裏筋駅前にあるミスタードーナツで、遅めの朝食をとることにした。今日の出勤は11:30からということになっている。一昨日ウラシマが壊滅したためか返送者案件がなかった。そもそも軍団の半数が退職したことで、潜伏している返送者を探知できない状況というのもある。
舞は注文した二品をトレイに乗せ、窓際の席へつく。まずは一品目のフレンチクルーラーを頬張りながら、通りを歩く人たちを観察することにした。
探偵社に入ってすぐ、舞は相棒のイチコから「人間観察する癖を身に着けてね」とアドバイスを受けた。返送者、特に危険性の高い者を見抜くための訓練だ。〇□メガネに、綾子の魔法、ピンキーに搭載されたセンサー……返送者を感知する魔法やツールはいくつかあり、その精度は高い。しかしいずれも舞の脳に直結しない外部的なものだ。返送者を感知してから舞が行動に移るまでコンマ数秒のラグが生じ、その隙が命取りとなりかねない。だからこそ舞自身が返送者を見抜いて即対応できるようにする必要があった。
だがフレンチクルーラーからダウンタウン浜田の不倫を連想してニヤニヤしまい、不審者に思われたくないので窓から視線を外した。散歩中の幼稚園児は舞に気づくことなく、幼稚園教諭に連れられて窓の向こうを通り過ぎていく。舞の杞憂であった。不審者は別にいたのだから。
一品目を食べ終え、二品目のホットドッグにかぶりついたところで、観察対象を店内の客へ変えたときだ。“その女”は否が応でも視界に入ってきた。
ブカブカの青いポリスハット。眼球の倍以上はあるレンズのサングラス。黒いチューブトップの上に、強い光沢の青いレザージャケット。膝上20cmの青いレザーミニスカート。詳しく判別できないが、腰のホルスターから隠すことなく大型のリボルバー式拳銃がぶら下がっている。ひとことで言うなら警察風のコスプレ女が、オールドファッションを噛みしめていた。
しかし舞のそれなりに鍛えた観察眼は、少なくとも女に危険性はないと判断した。ちんたま市では、この手の奇人変人は5分も歩けば遭遇する。そして本当に危険な人物は一見して判別がつかない。女はドーナツ好きなアメリカンポリスに憧れているだけのごく一般的ななちんたま市民だろう。舞の見立ては、半分正解だった。しかし外した残り半分が致命的だった。そして答え合わせは、この後すぐに女自らがしてくれた。
舞が食事を終えてゴミとトレイを片付け、事務所の面々へのお土産にテイクアウト用のドーナツを買おうとレジに向かおうとしたときだった。
窓の向こうから、けたたましいパトカーのサイレンが急接近してくる。直後、駅前ロータリーに灰色のワゴン車が猛スピードで侵入し、カーブでUターンしながら追跡してくるパトカーを回避……するはずだった。ワゴン車は速度を殺し切れず、滑るように歩道へ突っこむ。その先には、固まったまま動けない幼稚園児たちと教諭がいた。
「まずい!」
舞は心の中でそう思いながらも、動くことができない。相棒のイチコも、愛車のピンキーも、必殺武器のウネウネ棒もない。幼稚園児たちと同じく固まってしまっていた。それは通行人も、店内の客も同じだった。
静止した時間の中、ただひとりアメリカンポリス女だけが拳銃――S&W M29を滑らかに抜き、引鉄を引いた。発射されたマグナム弾は窓ガラスを貫通し、そのままワゴン車の前輪へ命中。ワゴン車はスピンしてから横転し、園児たちの眼前で動きを止めた。すかさず女はもう一発。放たれた弾丸は穴の開いた店の窓ガラスを寸分の狂わずくぐり抜け、ワゴン車の運転席の窓ガラスを貫通して運転手を射止めた。
「そうはならんやろ……」
舞は一瞬だけ動いた思考でツッコミを入れたが、現実にそうなってしまっている。混乱で再フリーズしかけるも、かろうじて本能が脳に染みついた行動を舞に取らせた。左右のレンズが〇□になっているメガネ。これをかけると返送者だけが発するピンクのオーラを視認できるようになる。女は……オーラがない、一般人だ。そしてワゴン車の運転手は……ピンクのオーラが揺らいでいる。色が薄いのは銃弾を受けて死にかけているためだろう。
舞が状況を直接的に収拾することはできない。
「皆さん、伏せて! 落ち着いて。店の中から出ないように!」
できることといえば、これくらいだ。舞の叫びで店内の時間が進み、客と店員が次々と我に返って身を屈める。そんな中、女だけは舞を意に介さずコーヒーをひと口すすってから、カップを置いた。
「や~れやれ。憩いのひと時を奪いやがって」
そして名残惜しそうに食べかけのオールドファッションを見やり、すたすたと店の外へ出ていった。舞も何かができるわけではないが、返送者を見過ごすわけにはいかない。慌てて女の後を追う。
ロータリー周辺では幼稚園児たちも他の通行人も、すでに散開したあとだ。警察官2名がパトカーから出てきて、ワゴン車を注視していたがそれ以上の行動には移れないようだった。
サイレンだけが鳴り響く中、横転したワゴンから返送者の男が這い出てくる。女の銃撃を受け、右肘から下が吹き飛んでいた。そこに女が淡々と銃口を向ける。
「ガラス越しだと銃がブレるな」
男は返答代わりに、残った右手のひらを女に突き出す。だが何も起こらず、男は信じられないとばかりに手のひらと女を何度も見比べる。
「つまらん手品は封じさせてもらったぜぇ。ほ~ら周りを見ろ、お前に飽きて客はほとんど帰っちまった」
女を独特な抑揚をつけ、口先をモゴモゴさせるように喋った。舞にはどこかで聞き覚えがある話し方だったが、記憶の片隅でしまわれたまま浮かび上がってこない。
「お前らは私たちから決して逃げられない」
『私たち』という言葉に仲間がいることを疑い、男は周囲を見渡した。女はすぐに親指を突き立て、振り向かないまま後方の舞へ向けた。
「そこのピンク頭のねーちゃんや、あたふたしてる警官連中のことじゃないぜぇ?」
引き金に女の指がかかる。舞は咄嗟に「殺す気!?」と叫んだが、女は意に介さず立てた親指を自分に向けた。
「S&Wと、私からだ」
男が超常能力の行使をあきらめ、女に飛びかかろうとする。だがその身体は、S&W M29から放たれたマグナム弾の威力で逆方向へ吹き飛んだ。そして舞は女から感じていた既視感を思い出した。
「お前らは俺達から決して逃げられない。スミスとウェッソンと俺だ」
『ダーティハリー』という映画(正確には4作目)で、主人公の刑事ハリーが女と似たセリフを発してから悪人を愛銃のS&W M29で吹っ飛ばした。独特な抑揚は、吹き替えを担当した声優の言い回しそっくりだ。舞が小さいころ、父がよく真似したので記憶の片隅に残っていたのだ。ハリーは型破りな刑事で凶悪犯の射殺をためらわなかったが、まさか現実に返送者を射殺する者がいようとは。
押し寄せる戦慄を振り切り、舞は男へ駆け寄る。舞たちの仕事は返送者を殺すことではなく、返送前の異世界へ再返送することだ。警察にコネのある軍団のホワイトならば男の身柄を確保し、治療が済み次第、再返送できるかもしれない。しかし男の脈拍を確認していた警察官たちは互いを見合わせて首を振った。本来ならば脈を取るまでもない。男の胸には拳ほどの穴があき、そこからゴボゴボと血が噴き出していた。
「偽善だな」
聞き捨てならない言葉を背後から浴びせられ、舞は振り返る。
「元の世界に送り返したところで、何も解決しやしない。手の届かない場所で、顔の見えない誰かが悪党によって苦しませられるだけだ。それは解決でなく現実逃避っていうんじゃないのかね?」
「なっ……」
舞は言葉に詰まった。もちろん女の言葉に正統性があったのは確かだ。しかしそれだけなら反論はできる。「その世界からもたらされた罪は、その世界で裁かれるべきであり、こちらの世界に持ち込まれるものではない」と。舞が言葉に窮したのは、女が返送者のことを知っていたからだ。そして初対面であるはずの舞が自分と同等の知識を持っているという前提で話を始めたことだった。つまり女は返送者だけではなく、舞が何者であるかも把握している。
問う前に、女は自ら答えを明かした。
「あ~、お仲間の白ジャージと繋がってるのは別の部署だ。あんたの詳しい素性は知らん。わかったのは目だ」
「目?」舞はオウム返しするしかなかった。
「この状況で返送者、ワゴン車、警察官、そして私。状況に関する者を迷いなく捉えていた。怯えもない。返送者と戦う者の目をしている。だが……」
女は人差し指で愛銃をくるりと回してから、ノールックでホルスターにしまう。
「私たちが決定的に違うのは『再返送』か『射殺』か、だ」
舞は先ほどの反論をぶつけようとしたが、女はその前にミスタードーナツへと向きを変え、歩き出していく。
「コーヒーもドーナツも冷めちまってるだろうが、残すことは信条に反する。お前は早くどこかへ行け、事情聴取されたら面倒だぞ」
舞は行き場をなくしたフラストレーションを、女にぶつける。
「あなたは、一体なんなの!?」
女が石畳を鳴らしていたヒールを止める。
「ちんたま市警超常能力対策室、現場隊長。針井栗兎」
女は相変わらず独特の抑揚をつけて名乗ると、今度こそミスタードーナツへ入っていった。
「針井栗兎……ダーティハリーとクリント・イーストウッドってこと? ふざけやがって」
残された舞につける悪態はそれくらいのものだった。
つづく。