小説ですわよの番外編ですわよ3
番外編3『吸血鬼とアクアマリン・エトランゼ』
2022年 12月20日 火曜日。
綾子は事務所の社長室で、大摩羅の工場を占拠したと客人に聞かせた。客人はピロロロと奇妙な音を、身体の奥から立てて唸る。
「おぞましいな」
「心外ね。誰も不幸になってないのだけれど。悪趣味なアリ社長でさえ」
「君じゃなく、その社長だ。この世界の人間なのだろう? それが超常能力を有した返送者たちを、恐怖と暴力で支配していた」
「別の返送者コミュニティと繋がりがあったおかげよ」
「そこは重要ではない。この世界の人間は、キッカケさえあれば異世界人を屈服させることができる。能力はなくとも、そういった可能性を持っている。精神性とも……いや、危険性と表現するのが正しいか」
「“本国”に報告する?」
「どうかな。今日はキミの顔を見にきただけだ」
「遊びにきたというなら、もっとリラックスして欲しいわね。そう“身構えた姿”では、もてなす方も気を遣うわ」
「そうか、では遠慮なく……」
無精ひげを生やしたチリ毛頭の男が顎を撫でる。それからヨレた背広の襟を正し、横に曲がったネクタイを引っ張り、靴の裏をコンコンとノックした。
すると男の全身に、映像ノイズのような空間の歪みが生じる。そして男の姿は本来の姿に戻った。
鉱石を思わせる青い硬質なボディ。その表面は作り始めの彫刻がごとく、粗い断面がいくつもあった。顔(と綾子は認識している)には、切れ込みのような目(これも綾子がそう認識しているだけだ。本人曰く鼻と耳も兼ねる外部情報感知器官だという)が、左右それぞれ縦に3つ並んでいる。その頭頂部は険しい岩山のように尖っていた。
「いかがかな?」
「結構。コーヒー、岸田に淹れ直してもらう?」
「このままでいい。資源は大切にすべきだ。なにより僕は“猫舌”でね」
男はコーヒーカップに手をかざす。指はなく、頭頂部と同様に尖っているだけだが、不自由した様子を綾子は見たことがない。すっかり冷めたコーヒーがひとりでに、かさを減らしていき、すぐに底面が露になる。
口がないのに、どうやってコーヒーを摂取し、味わったのか綾子は気になったが、ここ10年くらいの付き合いで疑問を口にしたことはなかった。他人の身体的特徴に対し、安易に触れるべきではないのは、どこの誰であろうと変わらぬマナーだ。
「うまいな。コーヒーはインスタントに限る」
「お金がかからない男は嫌いじゃないわ。よければ、どら焼きもどうぞ」
「いただこう」
お盆に乗ったどら焼きも、男が手をかざすだけで円の形を失い、やがて食べカスひとつ残さず消えてなくなる。
「やはり、うまいものだなあ。どら焼きは『うなぎや』が最も美味だ。いくつもの世界へ出張したが、『うなぎや』はこの世界が誇る唯一無二の文化といっていいだろう」
男は都内の名店を賞賛した。彼の舌は、この世界における基準とは当然ながら違うようだ。
「それで、なんの話をしてたんだっけ」
「この世界は美しく豊かな文化を持ちながら、ひどく残虐性に満ちているという話題だろう」
「そうだったかしら……まあいいわ、聞かせて」
「マルチアヌスにおいて、ここより科学や魔法が発展した世界は無数にある。そして、それらに住まう人間たちの精神は発展に合わせて成熟していく。例外はこの世界と、ごく近隣の並行世界のみ。心だけが貧しく暴力的なまま歴史を刻んでいる」
「“異世界人様たち”の基準で測れば、そう見えるだけではなくて?」
「違う。この“基準世界”、すなわち“ベースアヌス”から、在り方が離れれば離れた世界の人間ほど豊かさと温和さが共存している。何度も説明しただろう」
「ええ、耳にタコができるほど聞いたわ。ミニにタコだったっけ?」
「田代まさしの話はやめろ!」
男の青い全身が、真っ赤に変色する。6つの目はイルミネーションのように代わる代わる発光した。綾子にとって男は、かなり遠くに位置する世界の人間だが、それでも怒りを表明していると理解できた。
「ごめんなさい。貴方は田代まさしが救われる可能性の世界を見つけることが、子供のころからの夢だったものね。だけど貴方の出方次第で、その夢は泡と消える。今、この場で」
「落ち着け。すぐにこの世界へ介入するつもりはない。僕の仕事は監査と報告だけだ。しかし遠くない未来、ベースアヌスたるこの世界がマルチアヌスへ侵攻をしようものなら、我々も黙っていないだろう」
「黙れないなら、どうする?」
「ベースアヌスを我らが支配する。キミには二度も辛い思いをさせることになるが」
「そうとは限らないわよ。私はこの世界の仲間と共に、侵略者を討つわ」
男の目の発光が6つとも弱まる。綾子に怯えたからではない。呆れていた。
「この世界の原住知的生命体はキミたちだろう!? そう、吸血鬼として古来から恐れ虐げられるキミたちが、本来の“人間”と呼ばれるべき種族だった。今のうのうと太陽の下で暮らしているのは、マルチアヌスの概念の外側から現れた侵略者なんだぞ。なぜ手を組もうとする?」
「ルスブン卿に、ヴラド伯、オルロック伯ならば貴方のように考えたかもしれない。私も虐げられ、憎しみに囚われたことがあったわ。だけど……」
「だけど?」
「ふふ。実際のところ、自分でもよくわからないわ。ただこのベースアヌスにはJリーグカレーがあって、インスタントコーヒーがある。あとは……そう、草野球があって、それを愛する者たちがいる。だから私は侵略者の末裔を憎めないのよ」
「そんなに侵略者が好きになったのか、上羅綾子」
「ご自由に報告なさい。ご自由に侵略してみなさい。私は、私たちの自由を守るために戦うわ。必要とあらば、あらゆるマルチアヌスを滅ぼしてみせましょう」
男はすっと立ち上がり、万歳するように両手を天にかかげた。
「綾子、君のことは友人と思っているが、埋めがたい溝があるのも確かだ」
「そのようね。だけど、いつでも遊びにいらっしゃい」
「今の私に言えることは、インスタントコーヒーと“うなぎや”のどら焼きは、全マルチアヌスにおいて最高であり究極であるということだけだ」
「それなら、まだ友達でいられそうね」
「キミの発言は、すべて記録している。本国に帰還次第、上層部に報告させてもらう」
「それもまた自由よ」
「……では、また。ごちそうさまでした」
男の全身が、再び映像ノイズのような空間の歪みに覆われる。そして今度は男の姿が瞬く間に消えてなくなった。
綾子は、すっかり冷めた自分のコーヒーを、ひと口すすった。美味くはないが嫌いになるほどでもない。そこへ岸田がノックと共にドアの向こうから話しかけてくる。
「綾子お嬢様、お客様は?」
「帰ったわ。どら焼きが余ったから、食べて」
「よろしいのですか?」
「急に思い出したんだけど。私、ダイエット中なの」
岸田は白い手ぬぐいで額の汗をぬぐい、ペコペコと頭を下げ、どら焼きを頬張った。
「おいしゅうございますな」
「全部食べちゃっていいわよ」
「いえいえ、せっかくですからイチコ様達にも……」
岸田が言いかけたとき、社長室の向こうからドアが乱暴に開く音と、ズカズカ無遠慮に踏み入る足音、そして馴染みのある声が聞こえてきた。
「姐さん、たっだいま~! いやあウンコ話のあとにカレーを食べるのも乙なもんだねえ」
「イチコさん、やめてください! みんな連想しないように気を遣ってたのに! おえっ、うぼえっ、オロロロロロロ!!」
綾子は残りのどら焼きを指さし、岸田を見た。
「岸田、全部食べちゃいなさい。あんな下品な連中に、高級どら焼きは似合わないわ」
言いつつ、綾子は楽し気な笑みを浮かべた。
「はあ……かしこまりました」
「さ、急いで!」
岸田は慌てて、どら焼きをかきこんだ。そのせいで喉が詰まり、窒息死した。ブルーと2代目おでんつんつんおじさんが出動し、岸田は生き返った。
番外編3『吸血鬼とアクアマリン・エトランゼ』 完