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小説ですわよ第3部ですわよ5-3

※↑の続きです。

※まさおラモス化現象については↑をご参照ください。

 硬直した珊瑚に、イチコは気にせず話を続ける。
「私が復活できたのは、人間ではなかったからだ。頭を吹っ飛ばされたが、心臓はまだ動いていた。あのときブルーと2代目おでんつんつんおじさんが施したのは『まさおラモス化現象』――」
 ここでイチコは『まさおラモス化現象』の説明が複雑になりそうだったので、簡潔に言い直した。
「つまり私の再生能力を高める術を施した。そこに上羅綾子が魔法で再生を加速させたに過ぎぬ。つまり……」
 ひと呼吸置いて、イチコが決定的な事実を突きつける。
「死体を操る術はあっても、死んだ人間を生き返らせることはできない」
「そんな……」
 珊瑚は、イチコの腰から垂れる前掛けを弱々しく握る。
「じょ、冗談ですよね、イチコさん! ほら、イチコさんの冗談ってよく滑るっていうか、水原先輩や社長みたいなツッコミ役がいて初めて笑いになるじゃないですか。だから本当のことを言ってください、ね?」
「……お前の知る森川イチコの冗談は、いたずらに人を絶望させるものだったか?」
 珊瑚は即座に首を振った。その指の隙間から、イチコの前掛けが抜けていく。

「だが希望はある」
 咄嗟に、珊瑚は両手でイチコの首を締め上げにかかる。
「やっぱり冗談だったんですね! ひどい!」
「ぐ、ぐぇぇぇっ、落ち着け。死者の復活が不可能なのは、誓って真実。しかし因果を手繰り『死』という結果を回避することはできる」
「ええっと、つまり……」
「スカラー電磁波のことは知っていよう」
「はい。全マルチアヌスを満たす、意思を持つエネルギーですよね。無機物に命を吹きこむとか、異世界転生する死者に超常能力を与えるとか」
「それらは表面的な性質。スカラー電磁波とは全マルチアヌスの運命を支配する力なのだ」
 イチコが断言したところで、珊瑚は彼女が何者かを断片的に察した。イチコもまた、スカラー電磁波に深く関わる者。姿からして宇宙に優しいギャルメイドと同質か、極めて近い存在。経緯は不明だが過去の記憶を失い、この世界に現れた。そして今、イチコは本来の在り方を取り戻しつつある。

 イチコは続けて、珊瑚への試練ともいえる問いを投げかける。
「水原 舞も、軍団も、初代ピンキーに轢かれた市民も、王に粛清されたウラシマの民も。すべて、すべての死を消すことができるだろう。私たちの存ぜぬところで悪事を働いた残忍な死刑囚も、寿命を全うして自然の摂理で死んだ老人も、不慮の事故で命を落とした善良な市民も、すべて自在にだ」
「それって……」
 イチコは、あらゆる人間の『死』をなかったことにできる。その中から『死を覆す者』と『覆さぬ者』を選ぶこともできる。イチコはその選択を、委ねようとしているのだ。珊瑚は悩むまでもなかった。
「選べません。選ぶべきではありません」
「その心は?」
「死ぬ運命を辿った人の中から、親しい人たちだけの死を無効にするなんて、虫がよすぎます」
 こうして問答しているあいだにも、皮剥市のあちこちから爆発や悲鳴が次々とあがる。夜の帳が落ちたはずの空が茜色に染まっている。罪のない――中には罪人もいるだろうが、超常能力者に裁かれる筋合いはない――市民たちが命を脅かされているのだ。珊瑚の願いはひとつだった。

「生き残った者だけで、ウラシマから解放された返送者と戦います。イチコさん……力を貸してくださいっ!」
 曇りなき瞳に見つめられ、イチコはフッと微笑む。
「お前ならそう言うと思った。きっと水原 舞も生きていたら同じ決断を下しただろう。上羅綾子は……あれは卑怯者だから確信は持てぬが、悪人ではないし人間を愛している。意地悪をしてすまなかったな。私が私でなくなる前に、人間を信じられる言葉が欲しかったのだ」
「イチコさん……?」
「お前に残酷な選択はさせない。すべて私が私の意思で実行する。それが新たな混沌を招こうとも」
 イチコが左拳を腰骨のあたりに置き、右拳を天へ突きあげる。発光するとか、電気が迸るとか、凡俗な目に見える現象はひとつとして起こらなかった。ただ皮剝市の各所から起こる火災、悲鳴、サイレンの音が一斉に消え、夜が夜らしい静寂を取り戻した。何事も、そう何事もなかったかのように。

 ひとつ明確に変わったのは、イチコだ。両瞼が眼球の半分ほどまで下り、足元はフラついてネイビーを跳ねのけ、おまるに跨った。
「イチコさん、大丈夫ですか!」
 珊瑚が駆け寄り、イチコに肩を貸す。
「これでお前たち……私もだな……探偵社全員が望む未来に書き換わった。そもそも覚醒が不完全な私では、ウラシマの件で発生した『死』を覆すことしかできなかった。ウラシマから外に出た返送者たちの存在を無にできる力は残っていない」
「安心してください、顔が良いだけの不完全な私はなにもできません」
「ネイビーさん、静かに! イチコさん、それじゃあ……」
 再びウラシマの民が虐殺を始める――珊瑚は口に出しかけたが、すぐに飲みこんだ。空に浮かぶ、満ちる寸前の月。それを覆い隠すように、コウモリの大群が羽ばたいていたからだ。いや……吸血鬼の集団が。
 イチコは口の端を歪めて「ふっ」と笑ってから、糸が切れたように気を失う。ここまでの間、ネイビーは何が起きたのか全く理解できず、親指をしゃぶっていた。

 綾子を始めとする吸血鬼たちが、一斉に人差し指を突き立てる。雲ひとつつないにもかかわらず雷鳴が轟き、吸血鬼たちの指先に落ちていく。その雷を吸血鬼は自らの力と変え、指向性の攻撃として皮剥市の各所に撃ちだした。ジェット機の飛行を思わせる轟音のあと、珊瑚のスマホに綾子から通信が入る。
「遅くなってごめんなさい。ウラシマから外に出た返送者は、すべて鎮圧したわ。すぐそっちに行く。でも……大団円とはいかなそうね」
 綾子たち吸血鬼のさらに上空、雲より上に“それら”がいた。数百、数千……メイド服を纏う浅黒い肌の女性たち。スカラー電磁波の意思の代行者。すなわち『宇宙に優しいギャルメイド』の群体が、この世界に顕現したのだった。

 翌日。2023年4月4日(火)  8:15。
 『死』の日である。しかし舞は昨日死んだことなど、なかったかのように事務所の階段を軽やかな足取りで駆け上がった。2階の扉をあけると岸田が深々と礼をして迎え入れてくれた。
 ソファに寝ころがりながら手をあげるイチコは――なぜか黒ジャージの上にメイド風のカチューシャと前掛けを着けていたが、なにかの冗談だろう。いつものように、すべってることをイジり倒してやろう。
 そんなことを考えていると、この時間はいつも早朝オナニーをしているはずの綾子が社長室から神妙な面持ちで現れた。
「昨日のことを貴方たちに話すわ。私たちの『やすし』と『宇宙に優しいギャルメイド』のあいだで交わされた契約をね」

つづく。