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小説ですわよ番外編ですわよ7-2

※↑の続きです。

 白昼の道路に、我々は立っていた。正確には我々の一部であり、この世界では『私』と表現するべきなのだろう。顕現したばかりのため、その感覚は理解しかねるが……私ということにする。
 私の傍らには人間の女がいた。泣いていた。粘性のある赤い液体に汚れることも憚らず、倒れた同族にすがりついていた。両親だろうか。
 そして私の眼前には、小太りの男が立っていた。右手には包丁が握られていた。新鮮な赤い体液がしたたり落ちていた。
 ただそれだけだ。

 このような状況は珍しくないという。ここに居合わせる人間たちは、私の目的には何ひとつとして関係がない。不要な干渉で秩序を乱さぬためにも、今すぐ立ち去ることが最適解だ。強いていえば目的達成に支障をきたさぬよう、私の存在を人間たちの記憶から抹消しておくことか。だが、その行為によって想定外の事態が起こりうるため、やはり黙って去るのが正しい。

 だが私はそうしなかった。できなかったというべきか。私は男と戦う決断を下した。
 人間に同情したわけでも、人間の感情を理解したからでもない。『私でも我々でもない、かすかに繋がった何者か』が、この男を許すなと言っていた。

 その強い情念に抗えず、私は攻撃の構えをとった。
 右肘を折りたたみ、指先を揃えて空へと向けた。身体の芯からスカラーエネルギーが右手に流れ、青白く発光した。
 次に左腕を一度水平方向にピンと伸ばし、同じくスカラーエネルギーが左手に流れていのを感じたあと、左肘を折りたたんで右腕へと近づけていった。
 そして左右の指先を曲げながら合わせて『♡』を象り、前へ押し出した。
 ――スカラー光波熱線。左右のスカラーエネルギーがスパークを起こし『♡』の空間から何条もの小さく細いビームの束となって打ち出された。

 光波熱線を受けた男は、流血も爆発もしなかった。全身が光の粒子となって分解され、消えていった。スカラーエネルギーあるいはスカラー電磁波、すなわち我々の一部に取り込まれていったのだ。私のツインテールの先から余剰エネルギーがプラズマとなって放出され、空中でパチパチとはじけていた。

 そして私は自覚なく、少女に手を差し伸べて言葉を紡いだ。
「生きろ」
 もう一度言うが、人間に同情したわけでも、人間の感情を理解したからでもない。強がりでもない。
 なぜなら私が人間を理解し、愛するようになるのは、もうしばらく先のことなのだから――

 2023/4/5(水・仏滅) 11:03。
 ピンピンカートン探偵社の3階で、森川イチコは夢から覚めた。目の前には白い天井、横には空になったベッド。先に起きた軍団たちは草野球の練習にでも出かけたのだろう。いつもと変わらぬ景色。違うのは、強く脈打つ心臓と、肌着を濡らす気持ちの悪い汗。

 最近やけに現実味がある夢を見る。だが過去の実体験ではないと思う。少なくとも自分が記憶を失う前の出来事ではない。
 イチコがこの世界に現れたのは、1964/10/10。最初の東京オリンピックの開会式が行われた日。夢の中に広がる街並みは、ここ十数年の光景だった。別の日に見た夢は、明らかにこことは違う世界の出来事だった。なのに夢から覚めた今も手のひらに残る、スカラー光波熱線の熱さは何なのだろうか。

 なんとなく予想はできた。自分はスカラー電磁波の意思、宇宙お嬢様とい宇宙に優しいギャルメイドに連なる存在。本来ならば自分は森川イチコという個ではなく、スカラー電磁波の意思の一部。先ほど見た夢は、他のギャルメイドたちの体験なのだろう。こんな夢を見るのは、自分が森川イチコではなく元のスカラー電磁波の意思に戻りつつあるのだろう。だが――

「まあいいや」
 イチコは今、なにも考えないことにした。記憶と真名を取り戻したとき、自分はこの世界を去る。その避けようがない別れの時まで自分は森川イチコでありたい。だから、いつも通りに生きることにした。
 3階の部屋に誰もいないことを確認し、纏っていた服をすべて脱いで風呂場で熱いシャワーを浴びる。血流が活性化し、手から足の先まで意識が巡っていくのを感じる。例えこの先どうなるにせよ、これが『生きている実感』であることは揺るぎないと確信できた。
 イチコはすっぽんぽんのまま風呂場から出て、3階の外階段から屋上へ上がり、汗だくになった肌着とジャージを洗濯機に投げこむ。そして着替えに持ってきた黄色の全身タイツを纏い、その上から赤色の胸プロテクターとパンツを装着。最後に円形カップ焼きそばの被り物を頭につけて、ヤキソバンのコスプレに着替え終えた。

 ヤキソバンとは、かつて『日清焼そばU.F.O.』のCMに登場した変身ヒーローキャラクターである。このヤキソバンに扮して深夜や早朝にパトロール(徘徊)へ出かけるのが、最近のイチコのマイブームであった。
 昨年、別世界アヌス02がこの世界に侵略した影響で、因果が歪んでイチコの服がヤキソバンのコスプレになってしまったことがあった。侵略は失敗に終わり、世界の因果は修復されたが、イチコの心中にはヤキソバンへの憧れが残っていたのだ。以来、ちんたまに巣食う悪を人知れず懲らしめるヒーローになるべく自主的にパトロールを繰り返していた。
 実際に返送者や半グレを何人かぶちのめし、社長の綾子は「このところ妙に治安がいいのよね」と首をかしげていた。正義の味方は正体を誰にも知られてはいけない。どうやら上手くいったらしい。綾子のぼやきを聞き、イチコはひとり満悦していた。

 だが誤算があった。今日の探偵社の出勤時間は11:30。イチコは前夜に目覚ましを11:00にセットし爆睡したのを忘れたまま、ヤキソバンのコスプレで事務所の外階段を降りてしまった。
「あーっ、マイケル富岡だ!」
 出勤してきた舞はヤキソバンを演じるマイケル富岡に扮したイチコに気づき、猛スピードで外階段を駆け上がってくる。
「なんでこんな格好してるんですか、イチコさん」
「いやあ、他に着替えがなくってさあ」
 嘘である。イチコのトレードマークたる黒ジャージは何着もあり、舞はそれを知っている。いよいよヤキソバンの正体がバレることを覚悟したが、舞はイチコの手を引いて事務所2階へ駆けこんだ。

「超対か。ホワイトから噂は聞いてたけど、いよいよ表立って動き出したようね」
 舞から針井はりい 栗兎くりとの報告を受け、綾子は目をひそめた。
 ちんたま市警超常能力対策室、通称:超対。S県警やちんたま市警は、探偵社からの情報提供で返送者を認知していながらも、彼らが起こす事件を「市民の癇癪」という雑極まりない理由で長年処理してきた。事実ちんたま市民は狂暴なため、これまではごまかしが効いていた。しかし昨年のアヌス02による侵略を市民が目の当たりにしてしまったことで、ようやく超常能力者(返送者)への対策に動き出し、結成されたのが超対というわけだ。

 舞もイチコも「今さら遅い」と憤りを感じた。探偵社の稼ぎは減るし、今まで自分たちが死ぬような思いをしたのは何だったのかという怒りもある。だが公的な組織が動くのであれば、返送者による犠牲が減るのだから納得はできた。
 しかし綾子と彼女はそう考えていないらしい。綾子が指をパチンと鳴らすと、社長室から女が出てきた。
「今回は彼女……いえ、彼女たちからの依頼よ。説明してくれる?」
 女が頷いた。金髪のツインテール、小麦色の肌、そしてメイド服。
「う、宇宙に優しいギャルメイド!?」
 舞とイチコは目を剥いて、腰掛けたソファから飛び上がる。ギャルメイドは意に介さず淡々と告げた。
「超対よりも早く、汝らに回収してほしいものがある。かつてアントニオ猪木が開発していた永久機関だ」

 つづく。