小説ですわよ第3部ですわよ8-2
※↑の続きです。
ピンピンカートン探偵社の次期社長。舞は驚きこそすれ、困惑はしなかった。自分が社長にふさわしいなどという自惚れからではない(嘘だ、ちょっとあった)。返送者が激減し、軍団の半数と珊瑚が去った以上、探偵社の業務体制が何らか変化することは明白だ。最悪、綾子は事務所を畳むだろうと予測はできた。
窓の外では、アブラゼミがシュワシュワとパートナーを求めている。暑さがひどすぎて全滅したのかと思っていたが安心した。岸田が淹れてくれたアイスコーヒーの氷が、涼しげな音を立てて溶ける。
「永遠なんてものはない」
綾子の言葉は、舞の心を読んだかのようだった。しかし、話の続きは全く違う意味だった。
「イチコは記憶を取り戻し、あるべき場所へ還っていく。軍団や七宝さんは、それぞれのよりよい人生を求めることを選んだ。大いなる意思に管理されていたマルチアヌスも不滅ではなく、貴方たちがいなければ消えていた。当たり前のことなのだけど、吸血鬼は長く生きすぎて忘れてしまう」
綾子はアイスコーヒーを喉を鳴らして飲み干し、グラスを置いて続ける。
「これからの探偵社は、人間の『今』を守ろうとする者に任せたいの」
「それが私ですか? リーダーならホワイトや岸田さんのほうが向いているんじゃ……」
「ホワイトは表立って社長をやらせるにはヤクザすぎるし、岸田は吸血鬼ではないけど私たち側の存在」
「あー、確かに……消去法でいうと、私になるかー」
舞は自虐して笑ってみたが、綾子は対応せず溶けかけの氷だけになったグラスを岸田に差し出し、おかわりを要求してから話を再開する。ついでに舞もおかわりを頼んだ。
「水原さん。貴方はどんなときでも先頭を走り、私たちの道を切り開いて不可能を可能にしてきた。自覚はないかもしれないけど、ギャルメイドや宇宙お嬢様を相手に暴力で立ち向かおうとするなんて、異常者というレベルじゃないのよ」
「そ、それ、褒めてるんですよね?」
「なにより貴方は、他者を救おうと寄り添うことができる。宇宙お嬢様たちをも救う結果をもたらしたのは、イチコの存在も大きいけど、貴方がいなければ成し得なかった」
こそばゆい。綾子は元々、舞を高く評価してくれているのは知っていた。だが後継者に選んでくれるまでとは思っていなかった。それにイチコが隣の席に座ってくれると安心するように、綾子が上にいてくれることが心地よかった。褒めるべきところは褒め、舞たちが調子に乗りすぎたときは叱り、俗物ぶりをイジっても怒りながら許してくれる。最高の上司だ。叶うことなら綾子の下で働き続けたいというのが本心だ。しかし綾子が語ったように永遠なんてものはない。舞の願いは甘えなのだろう。
これまで面倒を見てくれた恩に報いたい。舞は全身全霊で頭を垂れて返答とする。
「身に余る光栄。謹んで拝命いたします」
「……ありがとう。今すぐって話じゃないから安心して。ゆっくり時間をかけて、水原さんにとって良いタイミングで引き継げるようにするから」
舞が頭を上げると、綾子の表情を緩めた綾子と目が合った。魂が抜けたように思え、胸が締め付けられる。
「社長は私に引き継いだら、どうするんですか?」
「芸能界の本格的な支配に乗り出すわ。占いグッズの収入も順調だし」
舞が入社する以前から、綾子は占い師としての顔を持っており、インチキくさいグッズを売っていた。さらに神沼が所有していた青汁工場を占拠・改造し、グッズの大量生産体制を築いた。その目論見がどうなったかは聞いてなかったが、今の話からするに順調らしい。そして一番の野望であろう芸能界で第2の細木数子となるべく、動き出すということだ。『吸血鬼は永遠などないことを忘れる』と言いながら、自分が最も『今この瞬間』を生きている。
「社長がゴールデン番組のMCになりにでもしたら、ネットでガンガン悪口書いてやりますよ」
「やれるもんなら、やってごらんなさい。貴方を火あぶりにしてあげるわ」
「寂しいな。事務所でこうやって、社長とバカ話をするのが好きでしたから。遠くない未来、そんなこともできなくなるんですよね……」
「あらなに、芸能人とは世間話をしてくれないわけ? 寂しいのはこっちのセリフよ」
「……えっ?」
意外な答えに面食らう。綾子は綾子で舞の発言が不可解なようで、眉根に皺を寄せている。
「ここは芸能プロダクションと探偵社を兼ねた事務所になる。私は探偵社の特別顧問として籍を残すわ」
「じゃあ社長はここに残るんですか!?」
「残ったら悪い?」
「そうじゃなくて! てっきり都内のいいところに芸能事務所を建てるものかと!」
「そんな金の無駄遣いするわけないでしょ。転移魔法があれば都内だろうが、ちんたま市だろうが拠点なんてどこだっていいの。だったら安いほうがお得でしょう?」
「ということは、社長は書面上の立場が変わるだけで、ここにずっと……」
「当たり前よ。ここに思い出が残ってる。簡単に捨てるわけないでしょ」
舞は無意識に乗り出していた身体を、背後のソファに沈めて両足を放り出した。
「3階の物置を改装して、水原さんの社長室にするわ。あ、リフォーム代は会社持ちだから安心なさい」
「当たり前です!」
永遠などないが、変わらないものもある。綾子の俗物さが、舞には何よりの支えであった。
その日の夜。事務所から徒歩20分ほどの裏筋競馬場で、花火大会が催された。競馬場へ真っすぐと続くメインストリートの両脇に出店が並び、刀傷で片目が潰れたオヤジや、耳が齧れられたかのようにギザギザに欠けた若いアンチャンが、たこ焼きをひっくり返したり、鉄板の上で焼きそばを舞わせていたりする。
「おにいさん。このお好み焼き、ウインナーが入ってるんだね!」
「わはは! そりゃ誰かの小指だよ!」
子供の無邪気に対し、洒落にならないジョークで返すチンピラの下っ端もいた。
「ちんたま市って、本当に治安最悪ですね」
橙色の下地に菖蒲柄の浴衣を纏った珊瑚が、あんず飴のはしっこをかじりながら呟く。子供っぽい色と柄の渋さの絶妙なバランスの浴衣が、いかにも珊瑚らしい。あんず飴は酸っぱかったのだろう、噛んですぐ顔をしかめる。
「今の市長も反社と繋がりがあるし、どうしようもないね~」
わたあめを噛みちぎる舞は、桃色の下地に水仙柄の浴衣だった。母のお下がりだ。落ち着いた色合いで気に入っていたが、“待ち合わせ相手”には確実に『水洗便所』とイジられることがわかっていた。
その待ち合わせ相手とは、具体的な場所を指定せずメインストリートのどこかで落ち合うことになっていた。混雑しているが一本道なので、往復していれば必ず会える。珊瑚は事前に「子供のころ、友達と同じことやりましたけど結局お祭りが終わる寸前まですれ違い続けたんですよ」と忠告したが、待ち合わせ相手は「それはそれでスリルがあって楽しいじゃん!」と聞かなかった。
なので落ち合えないことを覚悟していたが、一往復せずとも待ち合わせ相手と合流できた。右手にはしょっぱい系の食べ物のプラパックを何段も重ね、左手の指の間に甘いもの系の串を挟み、大股開きで近づいていてくる。綾子のお下がりである黒地に燕柄の浴衣を着ていたが、色気とか過ぎ行く夏の切なさとか、そういった情緒を一切感じさせない。いつも通りの調子である。強いてあげるなら口にチョコバナナを咥え、まともに話せないところか。
「おぼぼっ、おごごごごっ!」
舞と珊瑚は相手から食べ物を受け取り、手を自由にしてやる。その相手はチョコバナナを手に持ち、真っ黒になった唇を動かした。
「おまたせ~!」
舞は挨拶の代わりに、相手が喜びそうなネタで応える。
「フェラチオみてえだな」
伝説の野球選手・王 貞治が池の鯉に小指を突っ込みながら放った名言を再現すると、待ち合わせ相手はチョコで汚れた歯を出して笑った。
「ハハーッ、ハッ!」
スカラーサンシャインを発動させてから1週間後。新たに誕生したビッグアヌス02の存在が安定した。その管理者になった森川イチコが、森川イチコとして過ごすことのできる最後の夜が今日だった。始まりなのか、終わりなのか。区切りをつけるように最初の花火が撃ちあがる。
※次回、最終回ですわよ!!