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小説ですわよ番外編ですわよ7-5
※↑の続きです。
舞は栗兎を睨みつけたまま、ハンドルに手をかける。
「イチコさん」
「うん」
言葉を交わさずとも、ふたりは通じ合っていた。声をかけたのは確認というより、相棒に黙って勝手な行動をとらないという礼儀からだ。
舞はハンドルを切りながら、今度はピンキーに指示を出す。
「ピンキー、メタンガスを水平左方向に噴射して」
「かしこまりました」
ガスの勢いを借り、ピンキーが左方向へ急速転身。そのままショッピングモールの出口へ通じるスロープを下っていく。
舞の選択は撤退。相手は明らかに特異な存在とはいえ警察官であり、暴力沙汰を起こすのは探偵社のデメリットにしかならない。なにより威嚇射撃なしで拳銃をぶっ放してくるような危険人物だ。自己防衛の必要に迫られない限り戦いは避けたかった。
メタンガスの匂いを残して逃走した探偵社の連中に、栗兎は顔をしかめながらも鼻から息を漏らして笑う。
「いい判断だ。ウラシマとやり合っただけあって、嗅覚が冴えている。いや、冴えてるのはそれだけじゃないな」
初手でこの場所、ショッピングモールの廃墟を引き当てる勘の良さ、あるいは運命力、または調査能力。なんにせよ脅威だ。ここを調べられれば、栗兎の立場が危うくなるところだった。なぜならば――
「せっかくだ、顔を出しておくか」
栗兎はショッピングモールを寝床にしている人物と会うべく、店内へ続くガラスドアに向かってヒールを鳴らした。
第1条
いかなる場合でも令状なしに犯人を逮捕することができる。
第2条
相手が返送者と認めた場合、自らの判断で犯人を処罰することができる。
(補則)場合によっては抹殺することも許される。
アアイイオンナ。同名のグループ会社が全国規模で展開しているショッピングモールだ。国内最大手の実績を誇り、事業を拡大している中にあって、このアアイイオンナちんたま東店は先月をもって閉店した。ちんたま市の窃盗・万引き・強盗の件数が多いからではない。治安の悪さは織り込み済みだ。施設の各地に設置された監視カメラにはテーザーガンが内蔵されており、不審な動きを感知次第、犯罪者に電撃を食らわせることができる。経営も順調だった。地元の個人商店を出店させるなど、地域と協力体制を築いたことが功を奏した。
ではなぜ閉店したのかといえば、より好立地の場所へ移転することになったからだ。移転先はわずか数百メートル先にある、国道に面した廃工場地帯。長年停滞していた工場の取り壊しが決まり、跡地に新店舗を建設することが可能となった。億単位の損失を考慮しても、国道沿いというアドバンテージが利益に繋がると経営者は判断したのだろう。
問題は旧店舗の跡地だ。ちんたま市が何らかの目的で土地の購入に名乗り出たが、キナ臭いひと悶着があったらしい。関係していた市議会議員3名とアアイオンナ側の不動産コンサルタント1名が、不審死を遂げている。この件を調査していた経済ジャーナリストも行方不明となった。
そのような経緯から、旧店舗は両者が迂闊に干渉できない危険区域となった。裏を返せば、無法者にとっては最高の隠れ家というわけだ。
栗兎が個人的に繋がっている情報屋も、旧店舗を寝床しているひとりだ。栗兎が駐車場から4階フロアに入ると、各店舗を家代わりに占拠している者たちが一斉に身を隠した。しかし栗兎は警官でありながら全てを無視する。前述の通り、この場所は市議会とアアイイオンナの対立から不可侵領域となっており、公権力に属する栗兎が手を出せば面倒なことになるからだ。
したがって栗兎は、情報屋が潜む婦人向け下着売り場へ直行する。
「おい、いるか」
身ぐるみを剝がされたマネキンを薙ぎ払い、売り場の奥へと進む。何日も風呂に入ってない酸っぱい体臭が、栗兎の鼻奥を突く。目的の男は色あせたグレーのコートに身を包み、冬の気配が残る春の寒さをしのいでいた。
「別の場所に移れ。魔女の配下がこのあたりを探ってる」
「ああ、そうらしいな……」
栗兎は懐から札束の入った封筒――情報台と引っ越し資金――を取り出して男に渡そうとするが、寸前で留まる。
「5号機の情報は?」
情報屋の男は首を横に振った後、上目遣いで栗兎の顔色をうかがう。恐怖からくる怯えがあった。
「ただ……」
「ただ?」
栗兎は情報屋の悪臭をこらえ、顔を近づける。情報屋は両肩をびくっと震わせたあと、声を震わせて言葉を紡ぎ出した。
「最近『ちんたまでんき』の業者が、近くをうろついている」
聞き馴染みのない名前に、栗兎はすぐさまスマホで検索をかける。
ちんたまでんき。昨年の6月から事業を開始した新電力会社だ。2016年の電力自由化以降、電力供給事業へ新たに参入する電気事業者『新電力』が激増した。だが近年の燃料価格の高騰や、同業他社の多さから倒産が相次いでいた。そんな不況において、なぜか現れた新星が『ちんたまでんき』だ。軽く調べた範囲では、市内における契約件数は従来の電力会社についで2位となっている。
それだけなら取るに足らないが、代表取締役の名を見て栗兎は「へへっ」と冷笑を浮かべた。
清水沢 ピエール。ちんたま市長・清水沢 あすかの長男だ。
あまりにも唐突な5号機の調査命令に、栗兎は市警よりも大きな権力の気配を感じていた。まだ市長と5号機を結びつける根拠はないが、調べてみる価値はある。
栗兎は約束の半分である15万円を封筒から抜き、残りを情報屋に手渡す。
「さ、30万のはずでは?」
「残りが欲しかったら、私が市長へマグナムをぶちこむ確かな証拠を揃えてこい。そんときゃ追加で200万だ。それとも……」
栗兎がホルスターへ手を伸ばすと同時に、情報屋は「わかった!」と叫んで封筒をコートの内ポケットにしまった。
「お利巧さんだ。今後も自分の立場を決して忘れるなよ」
情報屋の男は返送者だ。その能力で市民を脅迫して金を奪っていたことから、本来ならば栗兎によって射殺される……はずだった。
生き延びた理由は男の能力だ。鷹の目――自身から周囲1kmの範囲の景色を、衛星写真のように上空から見ることができる超常能力。まがりなりにも警察官である栗兎にとっては、捜査へ大いに貢献するチカラだ。栗兎は男の睾丸にGPS受信機を受け込み、男を逃げられなくした上で、情報屋として雇うことにした。そして餓死した別の返送者を情報屋の遺体に偽装することで、バカな上層部の目をごまかしたのだった。
舞たちはショッピングモールから撤退し、栗兎との衝突を避けた。しかし5号機の捜索をあきらめたわけではない。他の返送者案件の調査を進めるフリをして、市民に聞き込みを始めた。そんな言い訳じみた行動が栗兎に通じるかわからないが、根拠が皆無というわけでもない。栗兎は逃げる舞たちに追撃を加えなかった。危険人物だが、少なくとも無差別殺人者ではないというのが探偵社の見解だ。いつ切れるともわからない命綱を頼りに、舞たちは調査を進めた。
そして、ある平凡な家庭に聞き込みをした際、思いがけず手がかりは得られた。主婦の中年女性の肌が異様にテカテカしていたことに、イチコが踏みこんだことがキッカケだった。
「おばちゃん、肌キレイだねぇ。神汁でも飲んでんの?」
「前は飲んでたけど、あの男が捕まってからやめたわ。今はね、うふふ……」
「なになに、気になるじゃん。教えてよ~」
「あなたは若いんだし、いらないでしょ。でもいいわ、教えてあげる。実は……ちんたまでんきの枕営業よ」
「なにそれ?」
「ちんたまでんきの若い営業マンがね、契約してくれるなら月に4回も若チンポをぶっこんでくれるっていうのよ」
「で、ヤっちゃったの?」
「ええ。すごかったわよぉ、何十年ぶりに痺れちゃった」
「電気だけにビリビリって?」
「そうよ、凄かったんだから~。その刺激で肌にもハリが戻ったわ」
「じゃあ契約したんだ?」
「ううん。愛情が感じられないって難癖つけて、来月お尻の穴でしてくれたら契約するって言ってやったの」
「ハハーッ、頭いいね!」
「でもね、聞いてよ。はす向かいの奥さんも、同じようなことして若チンポを楽しもうとしてんのよ。いくら若チンポといったって、ヤレる回数には限りがあるでしょう? それで奥さんと喧嘩になりかけたけど、画期的な解決方法を思いついたのよ」
「なになに?」
「私と奥さんと若チンポで3Pすんのよ。じゃんけんで勝ったほうがチンポ、負けたほうは指。次の日は逆で楽しむの。平等でしょう?」
「平和的だね」
「これがご近所付き合いってもんよ」
「さすがだ。じゃあさ、若チンポとの3Pについてもっと詳しく――」
舞はイチコが必要以上の情報を聞き出そうとするのを止め、ピンキー車内に引き返した。
「とりあえず、ちんたまでんきを洗いましょう。市長の息子が社長ってのも気になります」
「ああ、息子って……オチンチンじゃないガチ息子ね」
「さっきの主婦に影響されてんじゃないよ! ただ……直接調べたら、超対が嗅ぎつけてきそうです」
「そのあたりは、姐さんに相談するしかないね。事務所に戻ろう」
かくして、奇しくも探偵社と栗兎、両者共に『ちんたまでんき』を次の目的に定めることとなった。
その日の夕方、栗兎が愛車のフォード・グラントリノ・スポーツを停めたのは、ちんたま市の最南端にある自宅であった。2LDKのアパートはファミリー向けで、戸籍上の独身居住者は栗兎だけである。
玄関をくぐってリビングに向かうと、隣接する和室からいつもと違う気配がする。横開きの戸をすべらせると、同居人が珍しく起きて窓際で夕方の風を浴びていた。
「ただいま、お姉ちゃん」
栗兎は他の誰にも聞かせたことのない穏やかで甘えた声を、同居人にかける。
「ああ、おかえり」
同居人はぶっきらぼうで抑揚のない声だ。しかし不機嫌ではないと栗兎はよく知っている。
「珍しいね、この時間に起きてるなんて」
「私もよくわからんが調子がいいんだ」
「よかった」
「少し……ほんの少しだけだが、スカラー電磁波が活性化したおかげだろう。もしかして会ったのか?」
「うん……でもお姉ちゃんとは全然違ってた」
栗兎はアアイイオンナで遭遇した森川イチコを思い出す。黒い長髪、白い肌、使い古された黒ジャージ。いずれも同居人とは全く異なる。
「だろうな。あれは我らにして、恒点観測員から独立した別の何かだ」
金髪のツインテールに浅黒い肌、しかしてメイド服ではなく儚げなパステルピンクのパジャマを着た女が呟く。
「そっか……あ、今日の晩御飯はね生姜焼きにしようと思うの」
「タモリ式のか?」
「もちろん! 食べられそう?」
「ああ。今日は調子がいいからな。いただこう」
「わかった。ちょっと待っててね」
栗兎は少女のような笑みを同居人に浮かべ、帰り道にスーパーで買った豚肩ロースをシンクに置く。
十数年前、自分を救ってくれた恩人――日々命を蝕まれている同居人の好物を作るため、栗兎はフライパンを取り出してコンロの上に置いた。
つづく。