小説ですわよ第3部ですわよ2-1
※↑の続きです。
「10年前までウラシマにいたって……」
舞は路肩にピンキーを止めて話を聞くためにハンドルを切ろうとするが、イチコに運転を続けるようにと手で制される。
以前、舞とイチコがウラシマに赴いた際、イチコは「王と10年前、一度だけ会った」と言っていた。嘘をついていたのか? ずっとウラシマにいた期間を「一度」と解釈するならば間違っていないが……
ここでピンキーがカーナビ越しに告げる。
「お話し中のところ、すみません。間もなく目的地に到着します」
ただのカーナビにはできない気遣いがあった。舞は午後の仕事の依頼者と待ち合わせている喫茶店に車を向かわせる。確かにイチコの過去は気になるが、今困っている依頼者を放っておくわけにはいかない。イチコは舞の意図を読み取ってか、付け加える。
「午後の仕事をこなしてから、姐さんも交えて話そう。あの人にとってもウラシマは因縁が深いから」
「わ、わかりました……」
午後の仕事の一件目、浮気調査は“滞りなく”済ませた。事前に依頼主の妻と浮気相手がホテルから出てくるところを、軍団が証拠写真として撮影していたのだが、依頼主に行為中の写真を強く求められたので従った。
浮気現場の高層ホテルは、周囲に同じ高さの建造物がないため、撮影に頭を使った。ドローンを飛ばしてもいいが、依頼主の妻に見つかる可能性があった。
結果、イチコと舞がホテルの屋上からロープをつかって降下し、浮気現場を窓から盗撮後、撤収した。撮影は舞、ロープの操作はイチコが担当した。途中、イチコが鼻くそをほじっていたせいでロープの巻き取りが遅れ、舞は見つかりそうになったがギリギリで難を逃れた。
見つかるリスクを考慮してもドローンのほうが安全で確実ではないかと舞は思った。“滞りなく”というのは、あくまで返送者の対処に比べればという話である。
問題は残りの一件、人探しであった。
依頼主の女性とは17時に、ちんたま市内の公園で待ち合わせることになっている。依頼の多くは、探偵社の事務所(綾子の魔法で事務所は存在を隠匿されているが、稀に存在を認知できる者がおり、彼らが依頼のため訪問してくる)か、オンライン通話(もちろん魔法によって外部に情報が漏れないようになっている)、あるいは依頼主の家や近の飲食店などで話を聞くことになっている。その理由は依頼の多くが極めてプライベートなものだからで、公園で話がしたいというのは珍しい。
舞たちを乗せたピンキーが、件の公園に着く。バスケットボールのコート1面分ほどの広さしかなかった。近く路肩には、白い軽トラが停めてあった。キッチンカー風に改造されており、側面に『やきとり』の赤い暖簾がかかっている。昨今あまり見かけない焼き鳥の屋台だが、舞たちは数か月前に遭遇したことがあった。
「イチコさん、あれって……?」
「おっちゃんが近くに来てんのかな?」
公園には、予想通り“おっちゃん”がいた。白いハチマキとダボシャツ、腹巻、黒の股引、一本下駄。冗談みたいな昭和の親父がベンチに腰掛け、タバコ(あとで確認したら『わかば』という販売廃止された銘柄だった)をふかしている。彼はウラシマの門番だ。おっちゃんの焼き鳥を買うことで、外部の人間がウラシマに入ることができる。
おっちゃんも舞たちに気づき、タバコを咥えたまま分厚い手をあげてくる。
「よう、イチコちゃん。それに相棒ちゃん。久しぶりだな、ブチ殺すぞ」
前歯と屈託のない笑顔が飛んできた。「ブチ殺すぞ」は悪意ではなく、ウラシマでは当たり前の挨拶らしい。イチコも手をあげて応えながら、おっちゃんに近づいていく。
「おっちゃ~ん、こんなとこで何してんの? サボり?」
公園の場所は、ちんたま市内。おっちゃんが門番をつとめるウラシマは西皮剥駅の近くで、ここから5~6km離れている。
「門番の仕事は上がった。あとは夜になったら、焼き鳥を売り回って小銭を稼ぐだけだな。その前に……」
夕焼けに闇が差し始めるのと同時に、おっちゃんの顔から表情が消えた。トロンと何を考えているかわからない虚無の目で、こちらを見据える。
「お前らと依頼について話にきた。待ち合わせはここでいいんだろ?」
「依頼って……えっ」
舞はスマホで探偵社専用の顧客管理アプリにアクセスした。
・九祭 阿曽子。
・43歳
・女性。
・ちんたま市北区 在住
・失踪した妹の捜索を希望。
これから会って詳しく話を聞くはずの依頼者だ。
「騙して悪ぃな。こうでもしねぇと、お前らんとこの社長さんに断られちまうからよ」
「ハハッ。な~んだ、おっちゃんだったのか。びっくりしたな~」
イチコはおどけてみせるが、おっちゃんの表情は虚無のままだ。昔、探偵社とウラシマはいざこざがあり、今でこそ休戦状態だが微妙な緊張状態にあると舞は聞いていた。いつも余裕があり、ふてぶてしい綾子も、ウラシマの話題になると歯切れが悪くなる。
そのウラシマに属する人物が、探偵社に依頼をしてきた。一筋縄ではいかない問題だろうと、容易に察しがつく。
だがイチコは臆することなく、おっちゃんの隣に座る。
「とりあえず話を聞くよ。あ、タバコちょうだい」
「しょうがねぇなぁ、ブチ殺すぞ」
イチコはタバコを一本受け取り、おっちゃんに火をつけてもらって吹かした。夜の闇が広がる中、タバコの煙がのんびりと上がっていく。舞は立ったまま話を聞くことにした。有事の際、いつでも相撲をぶちかませるようにするためだ。
おっちゃんがベンチに深くもたれながら、口を開く。
「依頼内容はシンプルだ。ウラシマの王を再返送してもらいてぇ」
「お、王を……!?」
貧しき民の王。ウラシマのリーダーとされている男だ。王の超常能力によってウラシマは外界から遮断された特殊空間に存在することができているという。
その王を再返送するということは、ふたつの大きな問題が起こることを意味していた。イチコがおっちゃんに、それを語る。
「探偵社にウラシマと戦争しろってこと? それに王がいなくなったら、そこに住んでる返送者たちはどうなるの?」
「戦争だろうな。住んでる返送者たちは気にすんな、こっちで片付ける」
おっちゃんは、やはり無表情で淡々と返答した。
「か、片付けるって……行き場のない返送者たちはどうなるんですか!?」
異世界から帰還したが元の世界に馴染めない返送者。そんな者たちが寄り集まっているのがウラシマだ。その楽園も王が消えれば、なくなってしまう。
「情けをかけるに値する返送者なんざ、もうウラシマに残っちゃいねぇ。いるとすれば、自分で言うのもなんだが……俺たち側だけだろう」
どうもウラシマ内で、王の派閥とおっちゃん派閥のすれ違いが起きているようだ。
イチコがタバコのラストひと口を吸い、煙を吐き出す。おっちゃんは視線を外したまま、携帯灰皿を差し出した。イチコは小さく「さんきゅ」と感謝し、タバコの火を消しながら話を続ける。
「ウラシマでなにが起こってるの?」
「詳しい事情はわからんが、王は外界に進出しようとしてる」
「外に!? どうする気なの?」
「わからん。キナ臭ぇのは確かだ。……嬢ちゃんたち、ここんところ返送者案件が減ってんだろ?」
おっちゃんは気を遣ったのか、黙って立ったままの舞に話を振ってきた。
「え、ええ、まあ。それとウラシマになんの関係が?」
「減ったのは案件だけで、返送者の数自体は変わっちゃいねぇ。みんなウラシマが拉致しやがったんだよ」
「なっ……!」
舞の心臓の鼓動がじわじわと大きくなっていく。以前、宝屋というウラシマ出身の返送者が事件を起こしたが、あくまで単独犯だった。それでも、かなり手を焼かされた。なにせイチコは一度殺され、事務所総出の弔い合戦でどうにか宝屋を倒したのだ。今回の件は、宝屋以上の脅威であることは間違いない。
おっちゃんはイチコにタバコをもう一本すすめるが、イチコは首を横に振って話の続きをうながす。
「どうやら兵隊を集めて、外界とやり合おうって腹積もりらしい」
「ハハッ。こりゃマジにヤバイね」
イチコが笑顔で取り繕うが、頬がひきつっている。
「でもさ、さらわれた返送者も、ウラシマに住んでる返送者も、そう簡単に王の言うことを聞くのかな? 大半は静かに暮らしたい人たちでしょ?」
「そう考えてる、まともな奴らは消された。さっきも言ったが、ウラシマには同情すべき人間は残っちゃいねぇんだ」
かなり逼迫し、狂気じみた状況らしい。舞もイチコも、鼻から深く息をもらして視線を落とす。
「……やっぱ、もう一本もらっていい?」
「ああ、いくらでも吸いな。ブチ殺すぞ」
イチコはおっちゃんからタバコをもらい、ひと口だけ吸ったまま黙りこんでしまった。
舞も、おっちゃんも次の言葉がみつからない。沈黙に比例してタバコの灰がどんどん長くなっていく。そして今にも落ちそうなほど垂れ下がってきたとき、イチコが口を開いた。
「整理しよう。私たちの仕事は、王を再返送。実質的にウラシマと全面戦争するってことだね。つまり大量の返送者と戦うことになる」
舞はイチコたちに聞こえそうなほど大きく唾を飲みこんだ。
「とんでもねぇことを頼んでるのはわかってる」
「うん。これは人情だけじゃ引き受けられない。大勢の命がかかっているんだ。相応の報酬を用意してもらうよ」
「ひとまず先払い10億。交渉が成立次第、すぐに振りこむ」
「じゅっ……!?」
桁違いの額、それも先払いに舞は叫びかけたが、重要な話なので飲みこむ。
「王を再返送できたら、ウラシマの金庫にあるもんを全部持ってけ。50億は下らねぇって話だ」
「う~ん、もうひと声」
イチコは野菜を値切るような軽さで言い放つ。舞だったら震え上がって、交渉どころではないだろう。
「さすがイチコちゃん。そうくると思ったぜ。じゃあ、とっておきだ」
ここでようやく、おっちゃんが歯のない笑顔を見せた。
「お前の失われた記憶と、真の名前を返す。これでどうだ?」
「!!」
イチコが指に挟んだタバコから、灰がついに重力に負けて落ちた。
つづく。