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小説ですわよの番外編ですわよ1-1

※↑シリーズの短編です。

『トム・ハンクス・ババア』

 2022年12月23日(金)。午前8時52分。
 ショッキングピンクのハイエースが、ちんたま市の交差点で青信号を待っている。出勤のピークを過ぎ、道行く自動車は減りつつあった。
 水原 舞みずはら まいは助手席から身を乗り出し、バックミラーに自らの髪の毛を映した。頭頂部付近の数本が、ぴょこんと天を指していたので、急いで手櫛で直した。それでも、やはり跳ね上がっている。
 舞は諦めてタブレットを取り出し、今朝1件目の仕事内容を確認する。
「標的の返送者は、依頼者自身よ」
 ピンピンカートン探偵社の事務所へ出勤した際、社長の上羅 綾子かみら あやこの放った言葉が、舞の脳内でリフレインした。

 標的は、銭井 花螺ぜにい から。94歳。かつて異世界へ転生し、何らかの理由でこの世界へと帰還した“返送者”のひとりである。舞の仕事は、この返送者たちをハイエースで轢き、転生先の世界へ送り返すことだ。
 いつもなら事務所の工作部隊“軍団”の調査を元に、返送者を見つけて轢けばいいだけだ。しかし今回は事情が異なる。標的の銭井自身が、探偵社へ頼みごとがあると依頼をよこしてきた。高齢で家から離れるのが難しいということで、舞たちが銭井の家へ赴くことになっている。

「こういう依頼って、今までにもあったんですか?」
 舞は運転席の相棒、森井 イチコに訊ねる。イチコは切れ長の目を前に向けたまま答えた。
「初めてだよ。依頼をこなしたあとに轢くってのは、なんだか気が引けるなあ」
 信号が青に変わり、ハイエースが発進する。イチコの長く艶やかな黒髪がわずかに揺れた。
「やっぱり轢かなきゃダメなんですかね」
「状況次第かな。姐さんからは、必ず返送しろなんて言われてないから」
「それに相手は、おばあちゃんですし」 
「いや、おばあちゃんでもヤバイのいるから、そこは変な先入観持たないほうがいいよ。前に指先からロケット弾を撃ちまくるクソババアがいた」
「ええっ……」
 返送者の多くは異世界で何らかの超常的な能力を得ている。舞は標的の銭井がどんな能力を持っているか、不安になってきた。暖房を貫通して、車内に寒気が流れこんでくる。予報によると午後は雪が降るらしい。ハイエースが曇り空の下を走っていく。

 ちんたま市と戸渡市の境目付近に、銭井の家はあった。木造の平屋の玄関にはインターホンがない。舞はガラス戸をノックする。
「銭井さん、いらっしゃいますか。ピンピンカートン探偵社です~」
 舞の声がわずかに木霊するだけで返答はない。舞は戸の木枠を掴んで揺らす。
「銭井さ~ん! いるんでしょ~! 出てきてくださいよ~! 自分から依頼しといて居留守はないでしょ!」
「水原さん、まずいよ! 借金取りに聞こえちゃうって」
 舞はイチコに腕を掴まれ、我に返った。
「じゃあ、どうしましょう。勝手に入っちゃいます? 昔はよかったんですよね? このガラス戸、ちょっと引っ張ったら取れますよ」
「でも今は令和だよ。みんな個人主義で生きてるんだから、いくらババアだからって昭和の馴れ馴れしい流儀はダメだよ」
 しょうがなく舞が木枠から手を離すと、かすかに「おほほ」と笑い声が聞こえてくる。その方向――右を見ると、老婆が縁側に腰掛けてニコニコしていた。その腰は90近く曲がっている。
「昭和のババアはここにおりますよ。さあ、こちらへ」
 老婆の柔らかい手招きに、舞とイチコは顔を見合わせ、それから縁側に向かった。
銭井 花螺ぜにい からさんですか?」
「ええ。探偵社の方ですね。ご足労いただきありがとうございます。どうぞお座りになって」
 促されて銭井、舞、イチコの順に縁側へ腰掛ける。こちらの来訪時間を予期していたかのように、湯気の立った湯呑みとお盆にはいった煎餅が用意されていた。
「皆様のことは存じ上げています。昔、ちんたま市内で返送者を轢いていたのを、よくお見掛けしていたんですよ。私が“こちらの世界”へ帰ってきたとき……そう、最初の東京オリンピックからずっと」
「え~、あのころから?」
「そう、日本初の大リーガーが生まれた年よ」
「ああ、村上ね! いたいた。彼、まだ生きてるの?」
「昭和の人だからって、勝手に殺したらダメよ」
「ハハッ。ごめんごめん」

 銭井の落ち着いた言葉遣いと、イチコのヘラヘラした返答とは裏腹に、舞は心臓を掴まれたような緊迫感を覚えた。探偵社やショッキングピンクのハイエースの存在は、ごく一部の例外を除いて、認識できない魔法が掛けられている。つまり銭井は“例外”だ。それも1964年の東京オリンピックからずっと探偵社を認識している。探偵社も最低60年間弱は活動していることになる。そしてイチコは、その時代をよく知っている……?
 舞はごまかすように、本題を切り出した。
「それで銭井さん。本社にご依頼があると、伺っておりますが」
「ああ、ごめんなさい。年を取ると、話がすぐ脱線しちゃって」
 銭井は茶と煎餅を「どうぞ」と手でうながしながら、話し始める。
「あたしね、そろそろこの世界から消えたいと思って。でもその前に、返送者を一度でいいから轢いてみたいのよ」
 変わらず柔らかな口調で、銭井が言った。
「ねえ、いいでしょう?」
 銭井は昭和の口調で、イチコの黒スウェットを掴んで引っ張る。
「そうだなあ。うん、いいよ」
 イチコが頭をかきながら応えると、銭井は90度に曲がった腰がまっすぐ伸ばし、すっくと立ち上がった。そしてスタスタと家の敷地を出て、ハイエースまで歩いていく。
「さ、いきましょう」
 銭井がバンバンと図々しく叩くので、舞はため息まじりにキーレスのスイッチを押した。銭井は相棒のイチコがいつも座っている運転席のドアを開け、乗りこんだ。
「なっ……このクソ昭和バ……!」
 舞は出かかったところでイチコに肩を揉まれ、罵倒を飲みこむ。舞は助手席に、イチコは後部座席に座り、ハイエースが発進する。

「えっと、それで返送者はどこ?」銭井が訊ねる。
「69ピンキーセプター、2件目の情報をナビに出して」
「かしこまりました」
 イチコが69ピンキーセプター――ハイエースの正式名称――に呼びかけると、カーナビが近くの穴川河川敷に赤い丸を表示した。
「目標まであと約800mです」
「行くわよぉッ、イヤッホォォウ!」
 銭井がアクセルを全力で踏み抜いた。エンジンが唸りをあげ、ハイエースが飛び出していく。

 目的地までのあいだ銭井は早口で、身の上を語ってくれた。
――10代前半のころ、東京大空襲によって目の前で学友がバラバラになったこと。
――自分も爆弾で焼かれ、気づいたら異世界にいたこと。
――その異世界もこの世界と同じく太平洋戦争が起こっていたが、日本が人型巨大ロボット兵器を開発に成功したことで戦争に勝利したこと。
――銭井はロボットの生体コアとなり、ロボットを意のまま操って勝利に貢献したこと。
――結果、日本は世界を掌握し、技術も経済も発展の一途を辿ったが、他国の連合軍と繰り広げた第3次世界大戦によって地球すべてが荒廃したこと。
――銭井は世界荒廃の“戦犯”として処刑され、この世界に戻ってきたこと。
――戻ってきた世界は結果的に平和な国として発展していたが、自分は戸籍を失っており、同じ境遇の返送者コミュニティ”ウラシマ”の力を借り、ひっそりと生きるしかなかったこと。
 同情すべき背景であるが、舞にはそう思えなかった。銭井の運転とテンションが明らかに異常だったからだ。物腰柔らかな態度に騙された。このババアはとんでもないことをやろうとしている。
「守れ友を♪ 轢け敵を♪ 第4次せか~い大戦だ~♪ テレ~ン♪」
 ハイエースが今までにない揺れを起こした。舞がイチコを見る。
「ハハッ……」
 イチコのこめかみから汗が流れる。
 誰かがこのババアを止めなくては。

つづく。