中村隆一郎

中村隆一郎

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チェーホフ小論

劇評「桜の園」( 新国立劇場・鵜山仁演出 2015/11) どんなチェーホフがあろうと解釈も描き方も一向にかまわないのはミンシュ主義の国だから当然だろう。とはいっても、今度の「桜の園」は恐ろしく気の抜けたヒンシュ主義的ウスッペライ舞台であった。ヒンは貧のことだ。 どうせ不評に違いないからツィッターですませて劇評を書くまでのこともなかろうと思っていた。ところが、誰も何もいわない。それは不思議じゃないかと思っていたところ、「チェーホフの真髄が感じられた・・・本来のチェーホフを

    • 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」を読んだ

      呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」が面白い(その1) 呉智英さんが本を出したと聞いたので、取りあえず本屋に走った。 吉本隆明は、原理主義者である、という記述からはじめよう。 ところで、この本によると、吉本隆明は同じ原理主義者といっても民主主義原理主義者であった。通常民主主義とは市民民主主義をいうのだが、吉本の頭の中にある民主主義にはこの「市民」がない。市民の代表格であるインテリ、知識人、有り体に言ってしまえば偉そうに大衆を啓蒙しようとする奴は含まないらしい。むしろこうい

      • 「井上ひさしさん、お別れの会」(丸谷才一)の近代文学史

        劇評「水の手紙」「少年口伝隊一九四五」を書いている時に、「井上ひさしさん、お別れの会」で、丸谷才一が弔辞を述べたことを知って引用しようと思ったが、内容に少し違和感があったので思いとどまった。弔辞は、朝日新聞が伝えたもので、全文はいずれ四冊目になる「挨拶文集」に載るだろうが、以下は記者がまとめたその要旨である。 「皆さんもそうだと思いますが、思い出すことが多い。人柄が魅力的だったし、口にすることに中身があって、愉快で面白かった。しかし私が語らなければならないのは、日本文学史に

        • クロード・レヴィ=ストロースと「焼き海苔」のこと

          僕は学者になろうと思ったことは一度もない。その能力があるかどうかはともかく、一つ事にこだわるなどというのは性に合わないし、キザな言い方をすれば、学者になるには堪え性がなく、色気が多すぎた、と思う。 しかし、ものを考えるのは自分の習い性だと思ったから哲学を専攻した。後になって気がついたが、実はこれは将来がおぼつかない選択だった、それでも他の連中が気にしたように就職先があるかどうかなど一顧だにしなかった。 それと言うのも、中学生で大江健三郎と出会い、その延長でジャン=ポール・サル

          佐々木孝丸と「代々木大山公園」のこと

          佐々木孝丸のこと 「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ 暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの (くりかえし)」 できあがったばかりの訳詞に節を付けて、大正期の若者たちが、はじめて、それも密かに声に出したのは、「代々木大山公園」近くの藪の中だったと、翻訳した俳優、佐々木孝丸が書いている。(あとで、本人の記述を紹介しよう。ちなみ

          佐々木孝丸と「代々木大山公園」のこと

          「北のまほろば」と「安東氏」という謎

          津軽半島の西に十三湖という岩木川他数本の川が流れ込む汽水湖がある。昔、ここを拠点に北海道からオホーツク、沿海州にかけて交易で活躍した豪族「安東氏」がいたという。 だが、この「安東氏」、どこから現れたものか、また何故、忽然と消えたのか? 学生時代、国史専攻の友人が、研究テーマにすると言っていたので、覚えているが、この「安東氏」については、十三湊で繁栄した痕跡が途絶えたあとは、追いかけようもないと思って失念していた。 △ この間、TVをつけたら司馬遼太郎の「街道を行く」の新シ

          「北のまほろば」と「安東氏」という謎