買ってあったKANさんのライブBlu-ray、「25歳」を見ました。 明後日KANタービレに足を運ぶことになっていて、私は先に見ようかどうしようか迷っていたけれど、手元にある彼の姿をやっぱりはやく見たくなったので再生することにしたのでした。 2022年1月のバンドライブ映像。ファンにとっては大きすぎる意味を持つ今回のBlu-ray。 しかしながら、KANさんとバンドメンバーの華やかでポップな衣装、ダンサブルなステージングに、気がつけばずっとニコニコしていました。 ピアノを
ゆるやかに、躁状態からうつ状態への切り替わりを感じている。横たわっている時間が増え、眠るべき時間に眠れず、やるべきことが手につかない。 明日の朝は散歩に出られるだろうか。 そんな元気を保持するための予定すら、不安として存在する。
私の頭の中で、KANさんとmeiyoさんが繋がった瞬間のときめきをここに記しておきたい。 きっかけは昨日の夜。鬼レンチャンが放送されていて、meiyoさんが出ているのを横目で見た。テロップで、ああ、「ビート de トーヒ」の人だ、と知った。 その後、X(Twitter)でKANさんファンが何やら湧いている。 どうやら一曲目に愛は勝つを歌っていたらしい。 …そういえば、なんか見たことあるぞ、このお名前。確かに、KANさん界隈で。 早速調査を開始。 ここから先はコアなKA
ビリージョエルの新曲が発表された。 何度か聴いたが、こんな試みをしてみた。 脳内でKANさんにカバーしてもらおうと。 KANさんの声はいくらでも脳内で再現できる。半生をかけて聴いてきたのだから。 だが、ダメだった。 やはりKANさんのすべてをかけて、KANさんが音楽的に分解して、再構築して、音にして声にして初めてそれはKANさんのカバーになる。 無力だ。 だけど、その工程を経ていくつかの発見があった。 今まで当たり前に愛してきたKANさんの姿、仕草。 いつも弾き語りの
もうひとつ言うとすれば、KANさんのハイセンスな言葉選びに触れて育ってきた人間として打首・大澤会長の文章にはしばしば感嘆させられる。なんとも思慮深く、知性を感じるワードセンスは、Twitterならびに歌詞でも存分に味わえる。 また、北海道にやたらと縁が深いのも偶然だろうか。
KANさんと打首さんでは音楽性もルーツもファッション性も全く異なるが、KANさんが言っていた「思いついちゃった音楽家の責任」と同様のことを打首の大澤会長が言っているのを見て、心が震えた。
私は30年間KANさんを聴き続けてきた。彼が他の星に移動する少し前、打首獄門同好会を好きになった。打首さんのライブに行ったら対バンはスキマスイッチ。勝手な・個人的な・思い込み的な発想だが、スキマスイッチがバトンを渡してくれたよう。常田さんのピアノにKANさんの遺伝子を感じた。
KANさんが亡くなった。 11月3日、彼の過去の作品がサブスク解禁になった時、悪い予感がよぎった。 10月に彼はフランス旅行に行って、無事帰ってきた。 もしかして、と思ったが、正常性バイアスが働いた。まさかKANさんがこのままいなくなってしまうわけがない。 公式サイトで彼が書いたように、「いつかこのことをサラッと洒落にして」復帰するのが当たり前だと思っていた。 ジョークを交えつつも、生きてステージに帰ってこられたことを観客に「ご心配おかけしました」なんて告げてピアノに向
私について、私のために文章を書いてみることとしました。登場する著名人は(ほぼ全て)敬称略です。おゆるしください。 生まれついてのおっちょこちょいで、幼い頃から傷ついてばかりいました。 ここ四年ほど、何ひとつ興味を持てずに寝たきりの生活をしていましたが、少し元気になりリハビリがてら推し活といわれるものをしています。 物心ついた時には、ドリフと欽ちゃんが大好きでした。 小学生になると、周りがみな光GENJIを応援する中、CHA-CHAを追っかけていました。 中学生になると、K