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中学歴史⑤平安時代(前半)
① 平安京への遷都(せんと)
794年、桓武天皇(かんむてんのう)は奈良の平城京から「平安京(へいあんきょう)」に都を移した。これは、奈良時代に強くなりすぎた仏教勢力の影響を抑え、天皇の権力を強めるためだった。この平安京が、現在の京都のもとになっている。
また、桓武天皇は地方の支配を強化するため、東北地方の「蝦夷(えみし)」を征伐し、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任命した。
② 藤原氏と摂関政治(せっかんせいじ)
平安時代の中ごろになると、「藤原氏(ふじわらし)」が力を持つようになった。彼らは天皇の母や妻に自分の娘を迎え入れ、天皇の補佐役である**摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)**の地位を独占した。これを「摂関政治(せっかんせいじ)」という。
特に、藤原道長(ふじわらのみちなが)とその息子藤原頼通(ふじわらのよりみち)**の時代は、藤原氏の全盛期だった。藤原道長は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を詠み、自分の絶大な権力を誇示した。
③ 国風文化(こくふうぶんか)の発展
平安時代の中期、日本独自の文化が発展した。これを「国風文化(こくふうぶんか)」といい、貴族たちは華やかな暮らしを楽しんだ。
かな文字の誕生 … それまで公的な文書は漢字で書かれていたが、「ひらがな」「カタカナ」が生まれ、日記や和歌が発展した。
文学の発展 … 『源氏物語(げんじものがたり)』(紫式部)、『枕草子(まくらのそうし)』(清少納言)などが書かれた。
貴族のファッション … 十二単(じゅうにひとえ)などの豪華な衣装が流行。
寝殿造(しんでんづくり) … 貴族の屋敷は開放的で優雅な「寝殿造」という建築様式になった。
しかし、貴族が優雅な生活を送る一方で、地方では新しい勢力「武士(ぶし)」が力をつけ始める。