
感想 映画『ブロークバック・マウンテン』
久しぶりに映画『ブロークバック・マウンテン』を観た。
2005年の作品ということは、かれこれ20年近く、そのころから経過している。
おすぎかピーコかが、その当時画期的な作品、という感じで評価していた記憶がある。
20年と時を経て見えてくるものがあったようにも思うし、あの当時と変わらない感想もあった(僕自身の成長が無いのかもしれない)。
あらすじ
1960年代のアメリカ、ブロークバックマウンテンというところで、ジャックとイニスという青年二人が羊の放牧の期間限定仕事で出会う。
ある夜、二人は互いに体を求めあうが、その時代は同性愛にかなり否定的な時代であり、お互いそれぞれ女性と結婚し子を設ける。
しかし、時を経て、二人は再開し、禁断の恋にまた溺れ…
感想
率直に言うと、あーかなわぬ恋からのバッドエンドで、悲しくなって終わってしまったな、と。
同性愛→それぞれ女性と結婚→再開し禁断の恋。
好きになってはいけない→好きになる→両想い→あきらめる→諦められない。
もう、本当にそうなんですけど、これが普通に男女ものだったら、あまりによくありすぎて映画として成り立たないわけです。
ドラマにならない。
そうなると同性愛者NGの時代背景とか、抑圧とか、文化とか…を紐解いてみたりする必要があるのかもしれないが、もう堂々巡りだからやめておこう。
ヒース・レジャーに寄せて
イニス役のヒース・レジャーがこれまたかっこいい。
もごもご何言ってるかわからないしゃべり方もすごくいいし、クールガイなのに純粋にジャックのことを思っているところなんて、手放しでかっこかわいいと思ってしまった。
この役者さん、2008年、28歳の若さでこの世を去っていることを、調べて初めて知ったのだが、なんというもったいないこと…。
wikiで調べたところによると、かのメル・ギブソンと共演したこともあるらしく、ヒースは同性愛ものの映画に出ることをやめておけ、と言われたそう。ヒースはその助言を振り切って、この映画に出てくれた。メルは敬虔なキリスト教信者(どの派か忘れましたが…)で、同性愛NGという考えは譲れなかったよう。その後、メルとヒースの人間関係に溝ができてしまったそうである。悲しい。
もし、その当時から約20年経った今ならば、そのようなことは無いのだろうか…アメリカはゲイをあざ笑う国でもある印象。ともかくホモっぽいことをおちょくる。ヤンキー文化が根付く国。いや、アメリカという主語がでかすぎるのでいけないが、他方では、日本よりもゲイに寛容なところもあるようで、街中で男同士で手をつないでいても普通なところもあるようだ。日本は新宿二丁目くらいだし、真夜中のひとけの無いところとかしか手をつなぐなんて、できんぞよ。
男女なら当たり前にできることもできない世の中っす。
令和の多様性の時代とかなんとか言っちゃっても、そんなもんですよね。
と、ほんと、ヒースの体当たりの演技に花束を贈りたい。
好きな人の服
映画『his』でも、主人公たちが服を交換しあって、もらった服に顔をうずめて臭いをかぐ…というシーンがあった。
映画『エゴイスト』でも、自分の服をあげちゃうとかもあった。
ブロークバックでも、イニスがジャックの服に顔をうずめて、思い出の品として持ち帰るシーンがある。
これって、なかなか男女ものの映画やドラマには出てこない描写なんだろうな、と思った。
確かに、トレーナーとか、ユニセックスな衣類を交換する可能性はあるけれど、同性同士だから衣類の交換とか、そういうことがしやすいんだろう。
また、衣類という単純なものだからこそ、気軽さの中の親密さというのか、醸し出される表現もあるかもしれないし、特に、におい、という男特有のものとか、フェロモンとかそういうのを感じ取れたりもして、とても良い。
においやフェロモンって、合わないと臭いだけなのに、好きな人のにおいやフェロモンだと、どんな香水にも適わないすごさがある…。
残される女性たち
ゲイと結婚してしまった女たちの無残さは計り知れない。
イニスよ、ジャックよ、どうしてバレないように、お墓までもっていくようにできなかったの?と問い詰めたくなるかもしれない。
でも、二人ともそれができなかったんだよね…。
でも、ジャックの妻役のアン・ハサウェイの何かの記事で言っていたことだけど、アンの実兄が同性愛者で、同性愛NGなキリスト教の宗派から、同性愛OKな宗派に家族全員で改宗したんだって。
ブロークバックに出たことも、とても意味がある、と言っていた。
ジャックは、同性愛者ということがバレてボコボコにやられて殺されてしまったようで、アン演じる奥さんのひきつった顔、声、つらかったよ…。
イニスの奥さんも、まさかの男同士のキスを目撃してしまって、動揺もすごかっただろうに、これもまた時代背景なのか、だいたい夫が同性愛者だなんてことは妻にとっても地獄だったんだろう、簡単に問い詰めたり別れたりなどできなかったのかもしれない。
同性愛とは常に世間体との闘い。
世間体が強固に男女の物語である以上、そしてホモフォビアがその物語の中でどれだけでも語られている以上、そんな男と結婚してしまった自身も恥でしかないのだから。
そもそも、そんな奴おるんかいな、くらいの時代だったろうしね…
世間とは、世間の感覚からずれることで悲劇を生む、おそろしい場所でもある。
令和の時代になったとて、大きく変わっていない。
最後に
かわいそう、だとか、悲劇、だとか、そういわれればそうなのだが、やはり社会的なテーマが入ってくると、恋愛ものの悲しみを簡単に超える悲しみが襲ってくるので、見る人は注意した方がいい。
わからないけど、こういう同性愛ものの映画を観て、ストレート(ヘテロ)の人たちは、どんな感想を持つのだろう?
ちょっと興味深い。