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『当事者』ということ

世の中が、多様性だの、ダイバーシティだの、LGBTだの、LGBTQ+だの、騒ぎ始めたのは、もうどれくらい前なんだろう。
会社の毎月の全体会議で、経営者が「ダイバーシティが重視されてきた時代になっている、LGBTとか多様性の時代だ」とか、急に言っていたのは、かれこれ、4,5年前、だったか。
その前に、SDGsがなんだか盛り上がっていて、さも人類の共通目標、みたいになんかよくわからないけど出てきた。
その中に、LGBT差別をなくそうとか理解しようだのが、入っていたときは驚いた。

そしたら最近は、LGBT、LGBTうるさいなぁ…というような、理解すればいいんでしょ、差別しなきゃいいんでしょ、わかったから、みたいな意見や。
当事者さんたちも、権利擁護だのなんだの、ガツガツ主張するのは違くない?と、白い目で距離を取ったりしている人たちも。

右へ行こうとすれば左へ、という人がいる、それは大事なことだとも思う。
極端な意見や理論にならないよう、多角的にとらえる必要があるのは、どんなこともそう。

そこで、ゲイ業界に所属する、いち当事者としてできることって何なんだろう?と考える。

ノンケの同僚(Kとしよう)に、ついうっかりゲイバレをしてしまった時がある。
不倫、という話をしていた時に、つい「奥さんいる人とヤるとか考えられない」と口を滑らせてしまったときがあって、「え?どういうこと?」と。
もう、取り繕えない…と思い、ゲイであることを白状した。
「え、そうなの?俺の人生ではじめてかも、ゲイの人って」と、なんだか拍子抜けする返答で、ふーん、そうなんだ、くらいの受け止め方で、ホッとしたのを覚えている。

Kは美男子でモデルでもやったらいいのに、くらいのイケメンで、ゲイから好意を寄せられないなんてことは無いだろう、という人だった。
そんなKが「人生ではじめてかも、ゲイの人」と、言ったのだ。

いや、んなことあるかい、と。

バレたの、Kが30くらいのときだったと思うけど、30年生きてきて、周りにいなかったわけない。
いたけど、見えにくかったから気づかなかっただけ、主張しなかったからわからなかっただけ、なんなら彼氏を彼女と置き換えたりとかしてたりして異性愛者だと思わされていただけ。
なんだと思う。

唯一、会社で、そのKには以後好きな男の話とかゲイのSEXの話とかしたりした。
Kは、だいたいに人に興味があまりないというか、へぇ、そーなんだ、そんなことあるんだ、へぇ、マジで?くらいのリアクションタイプだったのは、本当に助かった。
(とはいえ、ほんといい迷惑だったと思う、ごめん)


会社に勤めだして3,4年した頃に、中途採用で入ってきた男の子(Yとしよう)がいる。
一瞬でわかった、あ、この子ゲイだ、て。
話し方や身ぶり手ぶりがホゲてたから、すぐにわかったし、たぶんYも僕がゲイだというのはすぐにわかっただろう。
普通に仲良くなったし、仕事も同じ部署になることはあったが、ご飯にも行ったが(2人で行ったことはないけど)、お互いゲイということはバラすことはなかった。
Yは別の仕事をやるために会社を辞めた。

仕事を辞めてから、ゲイってことを確認したら、そう、て言って、休みの日に泊まりに行ってお酒を飲んでゲイトークで盛り上がった。
職場で好きだった人の話とか、「よしだ湯さん、◯◯さんのこと好きだったでしょ、つか、バレバレでしたよ、笑」とか言われたりして。
「私は◯◯さん、好きでした、辞める前ふたりで話したとき、◯◯さん、泣いてくれたんです」とか。

まあ、仕事に性のことなんて関係ないから、後日談でも良かったけど、でも、一緒に仕事してる間にお互いバラしてたら、それはそれで違ったのかな…

さて。

この2つの事例からだけど、ゲイって、よっぽどじゃなければ、いないことになってたり、見えないことになっていること。
そして、当事者同士ですら、お互いゲイとしてのうちらは存在しないことにしようという暗黙の了解でいたりすること。

世の中がこれだけLGBTとか言っているとしても、10人に1人はセクシャルマイノリティなんですよ(8人に1人とか、13人に1人とか、少し揺れ幅があるけど)と言ったとしても、見えない、のである。

芸能人でも、直近でAAAの與真司郎くんが泣きながらカムアしてたけど、芸能人とか著名人でカムアする人なんて、ほぼいない。
見えない、のである。
見えてくるのは、マツコさんとかのドラァグクィーン系さんとか、わかりやすーい感じ。

がしかし。

見えないものを見るとか、できないから。

人々は忙しいから、見えないものを深掘りして見ようとしない。
わかりやすくゲイっぽい人もいるけど、たいていはそうでもなく生きてるし、それっぽくても確証がなければわからない。

たまーに、同性婚とかテレビで取り上げられたり、LGBT法案とか、裁判とかが話題になったり、くらい。
でも、それらしき人が周りにいないから、関心を持とうにも持てない、見えない、から。

かといって、現実世界で、当事者として、見える化を試みたいかというと、それは、やっぱり、まだ難しい人の方が多いだろう。

youtubeとか、ネット記事とかで、少しずつ当事者たちが顔を出してきている。
ゲイtuberもゾロゾロと増えてきてる。
いろんな文章にLGBTの人が当事者として語っているのを見る。
もちろん、僕が、当事者だから意図的に見てしまうところもあるけど、こうして、見える化されていくと、誰かの目に止まって、へぇ、そうなんだー、と教養になる。

僕は、顔出しするのは気が引けるけど、こうして、noteとかで文章を書いたりして、当事者としての生きるを書き残してみることで、何かが変わるためのエンパワメントの一粒にでもならないかな、と思っている。
せめてもの、見える化、だ。

同性愛を気持ち悪いとか感じる、というのは、それはそれだ。
でも、慣れでもある。
僕も、女性器とかリアルな写真とか見ると、うぅ…となってしまう。
男性器を見ると気分が上がるけど。
でも、だからと言って、男女もののアダルトビデオを見れないかというと、そうでもないし、女の人の裸とか、見てもふーん、と思える。
たぶん、それも、慣れなんだと思う。
何度も見てきたから。

世の中が、少しずつ、いろんな当事者たちに目をとめるようになってきた。

ニッチな世界がまだまだある。
LGBTは、そのニッチな世界の代表格として、前に出てきて、見える化されてきた。
それがいいか悪いかはさておき、見慣れていく、ということは重要な気がする。
なかったことになっていた、世にも珍しいことにされていた世界が、世の中には、まだどれだけでもある。

見える化されてきたその先については、まだこの後の、5年、10年後に評価されればいいくらいに考えている。

当事者として、社会のためにできること。

たくさん、こんな、くだらないことを書き続けること。

当面の間は。

(そう思うと、女性の生理のこととかも、本当に見える化されてきた、とか、フェミニズムとかフェミニストさんたちとかが頑張ってきたのかもしれないし、まだまだ女性の権利みたいなところは男性のそれに比べると劣勢かもしれないけど、少しずつ社会が変わってきた。LGBT系はまだまだ劣勢だけど、少しずつ社会が変わったら、その後、社会は何に着目するんだろう。どんどん、個になっていく、共同体という社会をまなざしていたところから、個へ。でも、なんとなく、揺り戻しのように、個から集団へ視点が戻っていくのかも。個を大切にすることが平和でいいけど、その頂点に達したら、今度は集団へ、例えば戦争とか、そーいうところへ。わかんないけど、揺られ揺られ放物線を描きながら肥大化してきた人類の歴史からすると、なんか、そんなことを思う。話がそれまくってすみません)

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