自粛する露悪文化の欺瞞

ヒカキンマニアというコンテンツ(?)がある。

淫夢界隈とは結びつきが強いとは言えないが、ニコニコで展開されている露悪文化という点では共通している。また、少数ながらも淫夢動画やそのコメントに、ヒカマニの素材や語録が現れることがある。その程度には関わりがある。

なお、ヒカマニの概要については大百科の記事なりを参照してもらいたい。


ヒカマニ界隈の「自粛」

ヒカマニ界隈では、ウン發さんことHIKAKINに対して、迷惑を掛けてはならないことが強く意識されている。
界隈内の人間がHIKAKIN本人の動画に突撃することがあれば、それは悪い、と。
このことは、ヒカマニのアットウィキにおける注意書きからも読み取れる。

HIKAKINに迷惑を掛けないことが信条とされるヒカキンマニア。
けれどもこれは、矛盾に満ちた信条ではないか。なぜなら、ヒカマニ動画を投稿すること自体が、HIKAKINに対する加害行為であり、本人を不快にさせていることは容易に想像がつくからである。

考えてもみよ。
いくら中学生レベルの下ネタとはいえ、自分の発言や肖像を玩具的に加工され、それを集団レベルで行われることの果てしない不愉快を。

また、実際にHIKAKIN本人に対して「語録」などを書き込む界隈民が存在することも周知されている。
はてには現在ヒカマニネタとされる「卵」ネタがHIKAKIN本心の動画サムネイルに使われるなど、明らかにHIKAKIN本人にヒカマニの存在が知られていることは理解されているのである。

十分迷惑をかけているではないか。

なのに、どういうわけか「本家に迷惑をかけるな」という信条が大事にされる。
これはいったい、どういうことなのだろうか。


コントロールとしての自粛

上記のごとき矛盾に満ちた自粛の正体…
実質的には、コンテンツをコントロールするための手法ではないのか。

つまり、HIKAKIN本人が激怒すれば、コンテンツが滅びることは分かっている。
だから、自分たちは迷惑をかけないように「振る舞うようにする」。そうすることで、コンテンツの主導権をヒカマーの側が握ることができる。自粛をしてしまえば、敗北をすることもない。ゆえに、このような信条が必要とされた…

HIKAKINに迷惑をかけないことを装っておきながら、実際は自分たちの利益保護こそが第一義であるという、欺瞞に満ちた信条。
けれども、似たような現象は、ネット文化ではよく見られる。

淫夢における自粛

淫夢においても、「平野店長は聖人なので叩いてはならない」とか、良心的なことが言われることはある。

そしてこの度の拓也動画の大量自主削除、これは間違いなく自粛の動きに他ならなかった。

しかしいずれの場合でも、「もう二度と淫夢に関わりません!」と本人に宣言する人間は一人たりともいない。本当に本人のためを思っているなら、本人に失礼な真似はしないと誓うことこそが誠実さではないのか。

けれども、そうはしないのである。
そういう意味で、我々淫夢民とはつくづく「人間の屑」である。

なにが「屑」かというと、「本人のために自粛しました…」とばかりに振る舞っておきながら、その実態とは自分たちのためでしかない、という欺瞞の態度である。自分たちが加害行為を止める気は到底ないのに、まるで裁判対策のように謝罪だけは展開する。

そのようにすることでしか維持できないコンテンツなど、人権侵害コンテンツと呼ばれるに相応しい。

そしてその事実を隠蔽することが、一体なんになるのだろう。
私はもはや、自分たちの加害性を覆い隠すのではなく、加害性を本当の意味で「正当化」することの方が余程誠実な態度であると思っている。少なくとも、嘘をついてはいないのだから。

【おしり】

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