「淫夢」の衰退を考える 1

「淫夢は衰退している」

これは現在の淫夢民の共通認識である。
拓也さんのブームは淫夢に希望をもたらしたかに見えた。が、実際には淫夢が「オワコン」であるとの空気感に変化がないのは、どういうことだろうか。

そもそも、「淫夢の衰退」とはいかなる現象か。
それ以前に、「淫夢」とはなにかが改めて問われなければなるまい。


「淫夢」とはなにか。
現在は主に、「コンテンツのジャンル」と「界隈名」のいずれかを指すものとして用いられる。
前者については、「〇〇淫夢」等、動画のタグに顕著にみられる。
後者については、「淫夢の人たち」等、界隈そのものを俯瞰するときに使われる。

「淫夢の衰退」というとき、多くの淫夢論者は前者の用法、すなわち「淫夢コンテンツの衰退」を意識していたのではないかと思う。
いうなれば、「淫夢界隈の衰退」、すなわち淫夢というコミュニティの視点は、意識されてこなかったのではないか。

したがって、従来の淫夢衰退論が行なってきた解決法の提示は、「コンテンツを完全に生産するにはどうするか」という論点によるものが多かった。それにより示されるのは、動画制作レベルでの技術向上とか、プラットフォームの構造改革とか、要するに技術的解決法である。

しかし、技術のみをたより淫夢復興を成し遂げられないことは、もはや明確である。なぜなら、生成AIの爆発的利用拡大、プラットフォームの多様化を経てもなお、淫夢は変わることができなかったからである。技術による淫夢復興とは、コンテンツの生産性を高めるという条件は満たしても、「オワコン」観を払拭することに対しては無能である。

私が言いたいのは、「淫夢界隈」の次元における復興、つまりコミュニティを構成する淫夢民たちの主観レベルでの「復興感」が広がらない限り、淫夢は永続的にオワコンでありつづけるのではないか、ということである。

しかし、それはどのようにして実現可能になるのだろうか。現時点で、私には答えを提示する能力はない。ヤダハズカシイデスー…

こ↑こ↓で重要な論点を示しておきたい。それは、淫夢拡大期に生じた、淫夢界隈内部での「同質性の喪失」である。

現在では忘れられはじめているが、かつての淫夢といえば、「風評被害」と称して他のコミュニティに侵略し、コンテンツを汚染した。その後、コンテンツは淫夢界隈において「ネットの玩具」と化すことになる。

しかし、淫夢は拡大の副作用として、ノンケの淫夢帰化を招くことになった。それはすなわち、「従来のホモ=淫夢的価値を内面化した淫夢民」と「新世代のホモ=ノンケ的価値を内面化した淫夢民」との共存をもたらした。しかし共存は決して安泰なものではなく、結果界隈に残ったのは、「淫夢における大きな物語の終焉」であった。

詳述は別の機会に譲るとして、ここで言及しておきたいのは、もはや圧倒的多数の淫夢民が共有する「淫夢の面白さ」なんてものは存在していないという疑惑である。それは淫夢民の主観レベルでの復興の困難さを意味するものに他ならない。
淫夢衰退の阻止は、まさに淫夢に課せられたチョーSな試練なのである。


技術による淫夢復興の不完全性が明らかな今、淫夢民は界隈の視点からの再考を求められているのではないか。

もっとも、そんなことに時間を割くなんてあ ほ く さいのだが、ほんとうに淫夢が滅びたら相当数の淫夢民が困ると思うので、私はもう少し考えてみたい。(メサイアコンプレックスだってはっきりわかんだね。)

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