「淫夢」の衰退を考える 3

淫夢民の欲望を、淫夢の歴史から紐解いてみる。

淫夢の歴史というのは、帝国の歴史に他ならない。それは、領土拡張により殖産興業を行おうとする帝国主義の現代ネット版というべきものである。

初期の淫夢は、TDNネタにはじまり、4章が注目されていくと野獣先輩が代表的キャラクターの座に就いた。その頃は新たな本編・淫夢ファミリーの発掘が盛んに行われた。まさに淫夢は新素材が尽きなかったのである。

2010年代初頭にはすでに、淫夢の「風評被害」と称した他コンテンツ・コミュニティへの侵略行為が開始された。たとえば、クッキー⭐︎は2010年、NSDR兄貴は2011年、GNHくんは2011年といった具合である。

元々の「風評被害」といえば、あずま寿しやトヨタ・センチュリー、北海道日本ハムファイターズなどの、いわゆる「ほんへ」に映り込んだり、淫夢ファミリーが所属しているなど、「一次創作」=「ホモビデオ」の周辺に対する、(冗談半分ではあるが)文字通りの風評被害のことを言った。

しかし、2010年代初頭からの「風評被害」は、明らかに異なるものである。「東方二次創作」「無関係のミュージシャン」「オタク向けコンテンツのキャラクター」は、いずれもホモビデオや淫夢ファミリーに直接関係せず、きわめて「こじつけ」的に関係を持たされた。

この時点では、あくまで「ほんへみたいな演技」だの「顔が野獣先輩に似てる」だの、かろうじて理由づけがなされていた。(勿論それも冗談半分ではある。)
もっともそれは、「風評被害」=侵略の黎明期の様相に他ならない。

その後、淫夢は「風評被害」をより恣意的に生み出していくようになる。あらゆるものに「(淫夢)」タグがつけられたり、「ホモと見る」と称して無関係な動画を転載したり、Twitter(現X。ウィヒッターとも。)で釣りが横行するようになる。
そのような動きは現在は沈静化してこそいるが、2010年代を通してきわめて盛んに淫夢民たちが行ってきたことである。ゆえに「淫夢厨」はその存在のレベルであらゆる界隈で嫌悪され、「語録」の使用だけでコミュニティが荒れたりすることになった。

「風評被害」を生み出すことで、淫夢はノンケ・コンテンツの影響を自然と受けいれ、外部コミュニティからの人口流入を許すこととなった。いわば、淫夢は影響圏を拡大し続け、「淫夢の外部」は縮小し続けた。

そして現在、「風評被害」は滅多に生まれなくなった。一方で淫夢慣れした若年層が、わざと淫夢語録や野獣ネタを使うなどの行為するようになった。そのような状況は、淫夢がネット文化全体に敷衍したものと理解される。

以上が、淫夢史における「風評被害」の概要である。
「風評被害」という名の侵略により、淫夢は拡大し続け、「帝国」はホモとノンケと区別がきわめて曖昧になるまでの規模を誇るようになった。

ところで、これは淫夢民の欲望とどのように関わるのか。
それを明らかにすべく、問いを立ててみたい。
「淫夢はなぜ、「風評被害」を産み続けたのか?」

「風評被害」=淫夢の帝国主義的拡大とは、なぜ淫夢民により行われたのだろう。考えてみれば、淫夢には他の分岐もありえたろう。すなわち、淫夢は今日までの拡大をすることなく、ホモビデオ由来の素材の再利用のみで繁栄していたという可能性。あるいは、「風評被害」が2010年代初頭ごろには終わり、それ以降の流れは「淫夢から外れる」と批判され、今日ほどには拡大しなかった可能性。

ここに、淫夢民の欲望を読み取ることができるのではないか。すなわち、淫夢民の欲望とは、淫夢の外部に向かって侵略し続けたいという欲望である。いいかえれば、ノンケ・コンテンツを「淫夢化」し続けたいという欲望である。
もしこれが「欲望」の正体ならば、合点がいく。すなわち、淫夢が拡大し続け、淫夢の外部が存在しなくなった今、ノンケ・コンテンツは極小数となり、つまり汚染すべきものがなくなってしまった。淫夢民たちは、その状況にこそフラストレーションを溜めているのではないか。

つまり、淫夢には「開拓の欲望」的なものがあり、しかしフロンティアが存在しなくなったために、強い欲求不満を覚えているというのが、もはや淫夢民の共通認識として「オワコン」という声が上がる現状の正体なのではないか。

しかし、更に問いをつきつめる。
「フロンティアは、まだ残っているのではないか?」

フロンティアが未だに存在するなら、淫夢化すべきものもまだあるはずである。そして実際、淫夢の汚染がおよんだとは到底いえないコンテンツ・コミュニティは非常に沢山存在する。たとえば、「サッカー」コミュニティはなぜ淫夢に侵略されないのか?「政治」は?「キリスト教」は?

何が言いたいのかというと、淫夢による「風評被害」にも限界があるということである。どんなものでも無条件に呑み込むブラックホールのごとく、淫夢は語られてきたのだが、依然私たちの生活を振り返ると、むしろ淫夢の一般化はネットの一部に限定された話であるとよく分かる。

「帝国」の比喩でいえば、寒帯のひろがる極地とか、マリアナ海溝の底とか、大気圏外の宇宙空間とか、人間の生存が極めて難しい場所は、侵略されなかった。それと似たことが、淫夢にも見られるのではないか。

では、淫夢が侵略できないところとはなにか。


(長くなってきたし、今回は)終わりでいいんじゃない?


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