遂にオワコンと化した淫夢

実は最近、淫夢動画を見るということがあまりなかった。なんとなく、さっきニコニコを開いてみると、唖然としてしまった。絶望したのである。

「真夏の夜の淫夢」は死んでいる。
はっきりいって、オワコンである。

淫夢要素のない「ホモと見る」の動画群に上位を占められ、人気の出る動画はお決まりの投稿者の淫夢実況か空手部の本編改造ぐらいである。そして拓也動画は本格的に壊滅した。
おまえに、再生数やコメント数を見ても、到底活況とはいえない。(あくまで主観だが、しかしそうとしか思えないのである。)

淫夢の衰え自体は、慢性的な問題だったろう。
しかし、つい最近の「事件」が、ついに淫夢にトドメを刺してしまった感がある。

拓也動画が、なくなってしまった。


最後の華だった拓也動画

拓也動画とは、はっきりいって粗製濫造であった。簡単な編集技術さえ習得してしまえば、(それら勿論、凝った編集ができた方がおもしろいに違いなかったが)文字通り誰でも作れるような代物でしかなかった。動画のほとんどはAIによる生成に外部委託され、おまけにフォーマットがほぼ決まりきっていた。

けれども、そのような敷居の低さこそが、かろうじて淫夢を活気づけていたのだろうとも思う。
それに動画内容が陳腐だからって、淫夢で「まともな作品」を求める方がお門違いなのだろうから、何も問題はなかった。

そして今、拓也動画の存在がギリギリのところで淫夢の盛り上がりを支えていたのだろうと思う。実態としては最後の悪あがきかもしれなかったが、視覚的に目立って、実際再生数・コメント数ともに掻っ攫っていった拓也動画群は、近年の淫夢に稀なる華であった。

そしてついに、我々はその華を失った。


淫夢という「場」

ところで今回の騒動で分かったが、淫夢民にとってもっとも大事なのは、動画そのものというより、盛り上がる雰囲気のようなものだったに違いない。だからこそ、拓也さん本人の怒りという出来事は、「めちゃあつ」だったノリを冷ましてしまったということで、何よりもクリティカル・ヒットだったんだと思う。

動画そのものというのは、あくまで「場」のようなものでしかなく、重要なのはそこでどのような交流があるか、ということだったのだろう。というのも、淫夢民たちの行動を振り返れば、「動画を削除から死守する」ことも、あるいは「削除されてもいいようアーカイブ化する」ことも殆ど試みてこられなかった。動画というコンテンツの要素というより、コンテンツを共有する界隈の存在こそが、淫夢の本質だったのだろう。

そして我々は、「場」を失った。
もう歌えないし、踊れない、そんな気分の淫夢民で溢れかえっている。
そりゃ淫夢なんて人権侵害だし、ひとを貶して笑う「場」なんて許されないかもしれないが、けれども、かつて自分が参加してきた界隈がここまで惨憺たる状態まで「堕ちたな…」と感じるのは、痛いものである。


淫夢難民について

ところで、これからの「淫夢難民」はどうするのか。しばらくはX(旧Twitter。ウィヒッターとも。)で駄弁る日々を過ごすのだろうが、いつか淫夢を忘れてしまうのだろう。

彼らに淫夢を動かせるとは思えない。
ポスト・フェストゥムに憑かれ、いつまでも淫夢の過去の幽霊に苦しんでいる、彼らが、淫夢に希望する日はあるのか。
淫夢を蘇らせるには、前提として淫夢民の精神状態の回復こそが必要なのではないかと思う。つまり、過去と未来の狭間、「今」を生きる淫夢民の精神の復活が。


いずれにせよ、もう淫夢は枯れました。
これからも淫夢で楽しみたい人は、淫夢を守るのではなく、淫夢を復興させるというモチベーションで頑張ってください(他人任せ)。

【おしり】

※追記
もしかしたらスマホ規制のせいで淫夢動画が見れなくなってただけかも知れません。事実確認の上、後日に再度追記をします。

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