お風呂嫌いのその理由は?~介護現場の説得の奥義~
お風呂嫌いのT子さんは
2人の息子さんに連れられて入所してきた
T子さんに「行くな」と言われて
なかなか帰れないお2人でしたが
ようやく話がついたのか?
静かになった頃を見計らって
息子さんたちは施設を後にした
T子さんは
80代の小柄なやや色黒の女性
有料老人ホームでは珍しく
認知症がかなり進んだ状態で入所してきた
お体はお元気で
時々腰が痛くなる程度
ずっと独居だったためか
たくさんの人との共同生活は
彼女のココロに刺激を与えたようで
会う人会う人に
笑顔で挨拶をされて歩いた
T子さんは耳もかなり遠くなっていて
いろんな人に話しかけては話しかけられ
お話ししようとするも
相手の話が聞こえず
ほとんどの会話は成立していなかった
認知症で耳が遠い利用者さまは特に
自分の話を相手に何度もお話される
話した先から話したことを忘れるので
ふとした瞬間に
また同じことを話始める
認知症の方のよくある風景でも
それだから
最初はみんな
笑顔で応えてくれていましたが
繰り返される話にだんだんイライラし始め
T子さんの存在や会話を拒絶することもしばしば
T子さんが話しかけると
「いいからあなたは黙っていて」とすら
言われてしまいます
それでもT子さんは
少し時間が経つと
怒鳴られた事すら忘れてしまい
何度でも笑顔で
同じことを同じ人に話しかけます
片思いの人の再告白場面を
何度も見させられているような感覚に
不思議なもので
認知症であることを理解している
施設のスタッフは
T子さんが同じことを言っていても
さほど気にすることなく業務を行えますが
施設に住む同年代の他の利用者さんは
なぜこの人が同じことばかり何度も話すのかが
全く理解できていないようで
クレームとして職員に
「この人をどうにかしてくれ」
「この人はおかしい」
と言って来られる人すらいらっしゃる
ご自身が認知症であること自体も
ご理解されていらっしゃらないことも多く
たとえご自身に認知症が少し入っていたとしても
相手のそれを認める様子はほとんどない
各々が我が道を行くといった感じに
それが認知症というものなのかもしれません
この施設では大抵
入所された翌日、または翌々日に
入浴介護が開始される
T子さんも
入所の翌日、入浴を予定していた
入所日にご家族から聞いていたのは
羞恥心が強いため
入浴拒否をすることがあるということ
もちろん、スタッフはそれを踏まえて
T子さんに入浴してもらえるよう
説得する時間を設けて開始
初日は経験豊富なサービス責任者がそれを試みた
ところがお風呂場の浴槽を見たとたん
「私は入らないからね」
「今日、家に帰って入るから入らない」
と言われ、結局その日は入らずじまい
入浴は翌日に持ち越された
介護施設では
1週間に2回以上の入浴が
必須となっているので
体調不良や本人の意思により
入浴拒否があった場合は
また別の日と入れ替えて対応を行っている
施設には浴室が3つあったが
40人近い利用者さまが
週2回以上(1人1時間)入るとなると
ほぼ毎日フル稼働で
浴槽が空くことはあまりなかった
なので入浴拒否が発生すると
その日入る予定のなかった利用者さまに声掛けし
入浴していただくこともよくあった
この調整がうまくいかないと
スタッフの出勤具合も相まって
週の後半や月の後半の入浴スケジュールが
許容オーバー気味になり
スタッフも浴槽も
空きのない多忙スケジュールになる
1日経つ間
いろんなスタッフがT子さんに話しかけ
T子さんの挙動を観察させていただくも
どのようにしたら入浴してもらえるか?
はっきりわからないまま翌日を迎えることに
唯一の頼みは
息子さんをキーワードに入れて話すと
聞く耳を持ってもらいやすいという情報だった
運が良いのか悪いのか
T子さんの入浴介助は私の出番に
住宅型有料老人ホームでは
入浴時間は1人の利用者さまに対し約1時間
特別養護老人ホーム(特養)や通所サービスのデイサービスに比べ
ものすごく時間に余裕があるスケジュールとも言える
特養を例に出すと
従来型で60人の利用者に対し
大型の浴場を完備している施設では
午前10人、午後10人を5名程の職員で担当する
個浴や寝台浴を完備している20人MAXのユニット型では
午前に4~6人
午後も4~6人
個浴はスタッフ1名、寝台浴はスタッフ2名
といったスケジュールに
特養との違いは
入所している利用者さんの
介護度や認知症の重さが異なる点
特養は要介護3以上の高齢者しか入所できないので
他施設で対応しきれなくなった認知症の重い人や
介護度が比較的高い人(車椅子や寝たきりの高齢者)が
多く集まる傾向にあり
ご自身の意思で入浴するというよりは
順番が来たのでお風呂に入る感覚に近い
有料老人ホームは
開設したての頃は特に
介護度が低く自立している人が多く
認知症も軽い人が多いため
「お風呂はゆっくり、マイペースで入りたい」といった人や
こだわりの入浴セットを持っていらっしゃる方も多く
1人で入るのが心配だからという理由で
本人ができないところをお手伝いさせていただき
後は見守りをさせていただく程度の軽介助がほとんど
その代わり
気分や体調などで
決められた時間に入りたくなくなるといった
個々人の都合での拒否や
スタッフごとの対応に対する不満など
サービス業的な対応を求められることが多い
よって「話を聞く」時間が多くなる傾向に
入浴嫌いなT子さんが相手だと
「説得に時間がかかりそうだ」と判断
その直前の業務を急ピッチで行い
少し早めに終わらせて
通常の時間より10分前に
T子さんの居室のドアをたたいた
そう
入浴してもらうためのトークが始まった
体をきれいにすることは大事なことだとか
周りの人に臭いで嫌な思いをさせてしまうとか
そんな一般的な理由は通用せず
それらの話を出すと
「もうすぐ家に帰るから」
「自分で毎日風呂に入っているから
ここでわざわざ入らなくても良い」
という話で終了
その後は何を言っても聞く耳持たずに
普通の仕事だったら
嘘をつくことは罰せられたりしますけれど
認知症の方に対する対応の場合は「嘘も方便」
本人が納得して動いてもらうために
ものすごく大事な要素にもなります
仕方なくキーワードと言われていた
息子さんの話を切り出してみた
息子さんが明日来て
買い物に一緒に出かけるため
今日はここでお風呂に入って
きれいにしておいてほしいと言われた
そう話すとT子さんの顔色が変わる
急にしっかり話を聞き始め
「明日息子が来るのかい?」
「そんなことを言ってたの」
「明日でかけるの?」
ようやく会話のキャッチボールが始まった
「じゃあ仕方ないね」
話すこと約15分
ようやく入浴することの許可をいただけたので
早速T子さんを
地下のお風呂場へと促した
実はT子さん
入浴拒否以外にもいろんな課題をお持ちです
洋服ダンスを居室に置いていない
正確には居室にタンスはあるが
そこに服はほぼ入っていません
服が居室内にあると
自前のビニール袋に小分けに入れてしまい
布団の中に隠したり
ゴミ箱の中へ入れたり
とにかくタンスではないところに
しまいこんでしまうのです
ビニール袋に入れるものは
洋服だけにとどまらず
使用後のティッシュペーパーや
お菓子の空袋や
歯ブラシや歯磨き粉
使用済みのリハパン(紙パンツ)やパッドなども
洋服と同じ袋の中に入れてしまう
衛生的な面から考えても
この行動を放置してはいけないと察し
早々にご家族の許可を得て
洋服はほぼ全て居室外へ持ち出し
スタッフがそれを管理することになりました
T子さんの行動の理由とは?
T子さんは、居室を出るたびに
鍵をかけられないことを
ものすごく不安に感じられるご様子で
・泥棒に入られるから鍵をかけたい
・どうしたらよいのか
と何度もスタッフに尋ねてきます
肌身離さず持ち歩いている
ベージュのポシェットには
ご自身の家の鍵がいつも入れてあり
最初の頃は
居室から外に出ると
おもむろにその鍵を取り出し
居室のドアにかけようとされていらっしゃいました
そのたびに
その鍵では鍵がかからないこと
この施設ではどこの部屋も鍵がかかっていないこと
貴重品を持ち込んでいる人がいないこと
夜寝る時は中から鍵をかけられること
を説明することになる
彼女の特徴は
説明を聞いた直後は
「ああ、そうなの。要らないのね」と納得され
その場はそれでおさまってくれるところ
人によっては
なかなか納得してくれない場合も多いので
T子さんの素直さにほっとする場面でもあり
T子さんはおそらく
鍵をかけられない焦燥感から
・大事なものは盗まれないように
・小分けにまとめることでいつでも持って行けるように
・他の人がどこにあるのかすぐにはわからないように
ビニール袋に入れて隠してしまうのでしょう
問題なのは「隠したこと自体を本人が忘れる」こと
T子さんの居室内のモノは
気を付けないとどんどん隠されてしまいます
なので入浴の際の着替えは
あらかじめスタッフが
別途保管している洋服箱の中から選び
居室内には決して持ち込まず
お風呂場に置いておくという運用になりました
地下の浴室まで連れて行くと
また1つ問題が発生
「あなたも一緒に居るの?」
「恥ずかしいから、お風呂に入れないわ」
今度は羞恥心からの拒否が始まった
こうなったら仕方がない
既にお湯を溜めた浴槽を眺めながら
近くに置いてあったストレッチャーに2人
横並びに腰掛けた
T子さんは再び
・家に帰って1人でお風呂に入るから今は入らない
・人に見られるのは恥ずかしい
と入らない理由を並べ始める
とりあえず話が終わるまで
反論せずに時々相槌を入れながら聞いてみることに
聞いてみること約10分
静かになったところでもう1度息子さんの話をすると
「息子が入れって言ってるのね」
ようやく決心されたのか
T子さんは自分から脱衣所の方へ歩き始めた
「ここで服を脱げばいいの?」
脱衣所に置いてあった椅子のあたりで
そう声をかけてくださった
「はい、そこにおかけになって、脱いだ服はこのカゴへ入れてください」
チャンスは逃さずつかまねば!で
入る気になったT子さんの気持ちが変わる前に
猛ダッシュの入浴介助が始まった
自分から動き出すと早いもので
T子さんはせっせと服を脱ぎ始めた
独居で認知症だったT子さん
お風呂も相当入っていなかったのでしょう
温かそうな湯舟を見ながら
「綺麗なお風呂だね。ここに入っていいの?」
少し嬉しそうでもあり
「この服はまだ着るから、ここに置いておいてね」
「パンツが汚れているから、これは触ったりじっと見たりしないでね」
「あー恥ずかしい、私が自分で捨てるから」
T子さんが入浴を拒否した理由はこれだった
脱いだリハパンの中は血痕と便が少量付着していた
これらを他の人に見られるのが恥ずかしかったのだ
介護職員としては本来
それらを記録したりナースに報告したり
しっかり見て記録し申し送る必要がある
でもこのタイミングでそれをやってしまうと
T子さんの入浴拒否が復活するだけでなく
今後の入浴拒否にもつながりかねない
「わかりました。これらはそのまま置いておきますね」
とりあえずそうお伝えし、触らず
裸になったT子さんを浴室へお連れすることに
浴室の椅子が冷たい事でビックリされないよう
T子さんが腰掛ける前に
浴槽のお湯を洗面器で回しかける
「寒い、寒い」
T子さんは浴室の椅子に腰掛けるとすぐ
そんな言葉を連発し始めた
小さくて細いT子さんは
脂肪が少ない分寒がりなのだろう
早々に温かいシャワーを足元からおかけすると今度は
「熱い、熱い、ぬるくして!」
カラダが冷えていらっしゃったのか
ぬるめのシャワーも熱がられた
急いでシャワーを更にぬるくする
次に、洗髪のお手伝いをすると
「洗ってもらっちゃって、私だけこんなんしてもらって、いいの?」
と何度もおっしゃられる
「他の人も、順番にやっていますよ」
そうお話しながら
今度は背中をタオルで洗ってさしあげる
手足や腹部、陰部はご自身で洗われるご様子で
洗い終わるのを見守りながらお待ちすることに
看護師からの申し送りでは
Tさんの羞恥心が強すぎて
トイレの介入が難しくてなかなかできておらず
でも、臀部からの出血がありそうなので
臀部を綺麗にしてあげて欲しいと言われていた
「お尻の部分を洗ってもよいですか?」
とお伺いするとTさんは即
「お尻は、痛いから自分で洗うからいいわ」とおっしゃられる
リハパンの潜血はどうやらお尻から着いたようだ
少しむくみ気味の足の指先までは
ご自身では上手に洗えていらっしゃらなかったので
「足の指は、洗わせていただきますね」とお声掛け
足の裏と指間を洗わせていただくことに
その間
「あー気持ちイイ。足まで洗ってもらっちゃって、いいのかしら」
そんな陽気な言葉も出てきた
シャワーで泡を流すと
Tさんは自ら立ち上がり湯舟の方へ
どうやら早く湯舟に入りたいらしい
入りやすい場所の指示や
つかまりやすい手すりの位置などをお伝えしながら
静かに湯舟に浸かっていただく
「あー、あったかい」そうつぶやいたと思うと
「あ、痛い。いたたたっ」
浴槽の底にお尻が着くと
少しお尻をのけぞられた
「お尻が痛いんですか?」
とっさに伺うと
「いたたたた、お尻が痛いのよ。あ、でも治ったかな」と言いながら
再度お尻を底に戻される
しっかり見えてはいないものの
脱腸ぎみなのか痔なのか
お尻を底に着く際に痛みが少し
でもその後は
「あーあったかいねー」と言われ
穏やかな表情になられる
入浴時のささやかながらのギフトとして
湯舟に浸かっている時間は
自分だけの至福のひとときにしてあげたいと
そっとその場を離れた
時計は45分を過ぎていた
次の人へお風呂を空け渡すまで
後15分しかなく
T子さんの気を付ける点として
脱いだ服やリハパンなどへの執着心がある
幸い認知症なので直前の記憶から忘れるので
脱いだ服やリハパンは今のうちに隠すことで
新しい服やリハパンに着替えてもらう必要がある
そして隠すなら
湯舟に浸かっている今がチャンス!
慌ててカゴに入ったそれらを
隣の浴室のカーテン裏に隠し
着替え用に準備しておいた服とリハパンを
別のカゴに入れ
椅子の横へ配置した
「もう出るよー」
湯舟に浸かってまだ数分しかたっていないのに
T子さんから声がかかった
(思っていたより早いな)そう感じながら
「はーい、今うかがいます!」そうお声をおかけし
浴室へ戻った
「あー気持ち良かった。綺麗なお風呂だね」
そう何度もお話され
T子さんは無事、浴槽から脱衣所へ移動いただけた
その間、バスタオルでカラダを拭き
小さめのタオルを手渡し
ご自身でもカラダを拭いていただく
案の定T子さんは
そこにあるカゴの中の洋服で着替えを始めた
着替えている時間は
それを見守りつつ
次の入浴者のために浴槽を洗う時間となる
T子さんに浴槽を掃除させていただくことを伝え
急ピッチで風呂釜を洗い流し
浴槽内の床や椅子や洗面器も洗い流す
最後に浴槽に湯舟を入れ始めて作業は終了
T子さんの頭髪をドライヤーで乾かし
クシで綺麗に整えてさしあげる
「あらーこんなにしてもらって。いいの?」
T子さんは口癖のようにそうおっしゃられていた
そうしてT子さんの最初の入浴介助は無事終わった
T子さんを居室までお送りし
ふたたび地下の浴室まで戻ると
脱衣所で使ったタオルの後片付けをし
床に掃除機をかけ
次の人用の新しいタオルを椅子の上に準備する
隠しておいた洋服を洗濯に出し
次のスタッフのために
これらの情報をスマホの介護用ソフトに保管する
ここまでが1時間
特養の入浴介助時間に比べて
余裕の1時間ではありますが
説得&気遣い&個別の対応によっては
短い1時間でもあり
Tさんのお風呂嫌いは
汚れた下着を見られるのが嫌だったから
そう、人として当たり前の感情でも
それに気付かず無理やり入浴を強いると
お風呂嫌いが更にエスカレートする
「受け入れて前へ」は
普通の人とのコミュニケーションと全く同じで
認知症の場居は、見ている次元が異なるので
受け入れるのに少しコツがいるけれど
認知症だから特別というものではなく
お風呂嫌いの利用者さんのもう1つの話はこちらからどうぞ
→ 痒みの極みの狭間で~感染と隔離がもたらすもの~
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