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ポーランド旅行⑤ クラクフ(アウシュヴィッツビルケナウ博物館)

長い長いフライトを終え、次の日からついにクラクフ観光が始まります。
(ルフトハンザの機内で飲むドイツビールが美味しかったです)

クラクフ初日はアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の観光でした。
この場所に行くためにこの旅行を決めたため、期待と緊張で朝から少しソワソワしていました。

午前8時頃、ガイドの方と合流し車で博物館まで送っていただきます。ポーランドの方ですが数年前に日本にいらっしゃったとのことでとても流暢な日本語を話されていました。

1時間ほど経つと、YouTubeで見たことのあるアウシュヴィッツ周りの景色が見えてきました。
博物館の回り方としては、ポーランド語のガイドツアーの時間帯に一緒に入り、私たちだけ専属のガイドさんから日本語で解説を聞く形でした。

アウシュヴィッツ強制収容所の門

映画やネットで幾度となく見たこのアーチの門を目の前にして、とにかく写真を!と思って撮ったのですが意外とサラッと通り過ぎたのであまり自分の目で確認できませんでした。

たくさんの靴
死の壁
死のブロックとされていた11ブロック

ここに来るまでに沢山のことを学んだはずだったのですが、ガイドさんからの話を聞いて初めて知ることが沢山ありました。

特に衝撃だったのが、アウシュヴィッツは「ユダヤ人のための強制収容所」だと思っていたのですが、違ったことです。
ナチスがユダヤ人の絶滅を決めてゲットーが解体されるまではポーランド人であればここに入れられ、必ず殺されていた、と教えてもらいました。ユダヤ人がここに送られ虐殺されている作品が多かったので異なる理解をしてしまっていました。
「ポーランドの政治犯も収容されていた」と書かれているのをよく見たので政治的な運動をしていた人たちだと思っていたのですが、ポーランド人であれば政治犯とされ、収容されて殺されていたそうです。
教えていただいたガイドさんのご家族もここに収容され亡くなっていらっしゃると聞いて、まだそう遠くない過去に行われていたことなのだと実感しました。
そもそも当時、日本はドイツと同盟を結んでおり、数十年後にそんな日本から来た日本人観光客がポーランドの方から"日本語"で当時のことについてガイドを受けることがあるなんて当時の人たちは想像していなかったと思いますが、ふとそんなことを考えて、世界平和を願わずにはいられませんでした。

印象に残っていることとすると、ポーランドに行く少し前に「関心領域」という映画を見ましたが、そこで出てくるアウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘスの家がアウシュヴィッツの中から見え、ゾクっとしました。
(写真が撮れていませんでした。)

この日は少し地面がぬかるんでいて歩きにくいと感じましたが、当時これ以上に大雨だった日や、とても寒い日、暑い日にも働かされていた人たちはどんな気持ちだったんでしょう。

ビルケナウの方にはアウシュヴィッツから出ているシャトルバスがありますのでそれに乗って向かいました。

死の門

シンドラーのリストでも出てくる死の門です。
目の前にして"絶望"の2文字が頭に浮かびました。

中はそれはそれは広く、一周まわると結構疲れるほど広大でした。
それぞれのバラックは夏は暑く、冬は寒い、とても劣悪な環境だったそうです。

中を見学できるバラック


中に入れるバラックがありました。
狭い寝床に10人ほどが重なって寝ていたようです。
こんな環境だったら、病気にかかった人がいればすぐに感染が拡大してしまうことは容易に想像ができます。

寝床

2つの博物館で合わせて見学には3時間半ほどかかりました。
下調べしていたにしても、実際に見ると言葉を失ってしまうほどの衝撃があり、知らなかったことも沢山知ることができました。

人種や性別、信仰など、そうした違いを理解し、争いが起きず、世界が平和であるように、そう願いながら博物館を後にしました。

旅の目的としていただけあって、沢山書いてしまいました。この日の他の工程は次の記事にします。

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