見出し画像

冥い(くらい)時の淵より

一  1

京都。
11月も末になると、京都の冷え込みは一段と厳しくなる。
落葉は歩道を敷き詰め、寒風に乾いた音を立てて舞う。
並木にも、もはや身にまとう葉は残り少なく、
寒々とした細い裸身を、冬空に晒そうとしていた。
平安神宮より西へ少し、東山通りに面して
スナック『馬酔木』がある。
昼は観光客や学生で賑わうこの界隈も、夜12時を過ぎれば
さすがに人通りは少ない。
時折、飲んだ帰りの学生がある位だった。
『馬酔木』にも、【準備中】の札がかけられていた。
ドアの上から、薄暗い照明が、虚しく地を照らすのみだった。

既に閉めた『馬酔木』のカウンターに、
ダブルのオンザロックを片手に凝然と
坐っている男がいた。
眉間の2本の縦皺と、鋭角的な顔の線が、
どこか暗い印象を男に与えている。
手に持ったウィスキーでさえ、決して旨そうには
思えない飲みっぷりであった。
村上雅彦・29歳。
K大学の文学部、大学院に在籍している。
村上は今日も結局、お決まりのコースを経て
『馬酔木』に来ていた。
午前中は殆ど大学には行かない。
昼から少し構内にいて、図書館を覗く。
助教授達と挨拶し、世間話をして下宿に戻る。
調べ物をし、資料の整理をすれば、すぐ夕暮になる。

自分で料理をする、と言う事に全く無縁な村上は、
日没と同時に外食に出る。
それも、この数年パターン化し、マンネリの外食であった。
生活に新しい色添えは全くなかった。
食後は、数少ない友人に電話して時間を潰すか、
再び下宿で読書するか、だった。
そして、11時半を回ると『馬酔木』に足が向くのだった。

『馬酔木』は小さな店だ。
カウンターにストゥールが8脚。テーブルも4つしかない。
昼は一応、喫茶店として開いていて、夜7時以降スナックとなる。
照明を少し変える位で、店に大きな変動がある訳ではない。
バイトの女の子も、ひとりで足りていた。
主に学生相手の喫茶店であり、スナックだった。
客の主流は、東山通りを少し上がった
熊野にある学生寮の連中だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?