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冥い(くらい)時の淵より

一  3

およそ、生き甲斐とか理想とかと、対極的な
位置に自らを設置しようと思って来た村上であった。

股間からは継続して快感が届けられていた。
名美は、まるでペットを可愛がるかの様な
熱の入れようだった。
この数瞬に、彼女のそれまでの知識全てを
動員させて、村上の局所に対峙しているかであった。

「もう!マーちゃんったら、また考え事してるんでしょ!
少し真面目に感じなさいよ!」
村上の股間で、顔を上げて名美がなじった。
「ごめん、名美さん。でももういいよ。」
村上はボソッと答える。
「そんなん、あかんよ。いいわ、私好きなようにするから、
もう少し付き合い。」
名美はそう言うと、再び作業に熱中し始める。
「うっ!」と呻く程の強烈な刺激が村上を突き抜ける。
視線を落とすと、軽くブラウンに染めた名美の髪が、
快感の波と同調するかの様に妖しくうねっていた。

名美は結局、60年安保から解放されていない、
と村上は思う。
人は、若い時代に何かを成そうとし、挫折し、
その傷を引き摺って生きるしかないのだろうか。
その後の生き様の全てに、精神的外傷(トラウマ)が
関わらざるを得ないのだろうか。

-遅れて来た青年-と村上は呟く。
昭和ひと桁生まれの作家の小説に、そんなのがあった。
第二次大戦の終わった時、小学校の高学年で、
子供心に『御国の英霊』になろう、と決意していたのが
終戦と同時にその夢を永遠に屠(ほふ)られる。
その後の全ての行動に、その傷がまつわる、
と言うのがテーマだった様に思う。
名美は、それでも60年には学生として
状況の中に居たではないか、と村上は思う。
彼女は自分の行動の選択に後悔していれば、それで済む。
村上は、言わば現代的な『遅れて来た青年』なのかも知れない。

-俺達の世代は、バリケードの中で受験した。
そして入学した直後、バリケードは取っ払われ、闘争は終わった-
またも村上は、無い物ねだりをしている自分に気付き、苦笑する。
-だけど、ホントに兄貴のヘルメットが欲しかった-
日焼けした兄の精悍な顔が浮かぶ。
笑った時の歯の白さは、村上の持っていないものだった。
村上は高校に入ってから、少しづつ、兄に話を聞かされていた。
兄は自分とは正反対に、情熱的に語る才能を持っていた。
いつも強固な意志を感じさせ、理想主義者である事は
年若い村上にも直感できた。
兄の勧めで読んだ本も多かった。
受験勉強の合間に貪る様に読んだ。
すると今度は受験勉強が嫌になった。
しかし、兄はそれを許さなかった。
勉強はしろ、と言った。
つまらん受験勉強の中にも、
本物の知識はいくつもあると。
そして、何よりも、大学に入って、
より高い学問と、本当の闘争をせねばならぬと。


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