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冥い(くらい)時の淵より

二  2

ひとつの光景が目の前にある。
むしろ妄想であった。
由希の、清楚な白い肉体が見える。
その周りに数人の男達が居る。
どれも残忍な目を持ち、
毛だらけの無骨な体をしている。
男達は、美味そうな餌を前に、
その体の奥から欲情の焔を燃やしていた。
由希は無力であった。
恐怖と絶望に見開かれた由希の目を、
若原ははっきりと見た。
誘拐の妄想は、若原を絶望の淵に追い込んだ。
もしそうなら--
若原は自らの非力に愕然とする。

一体、何ができる?

歩きながら若原は煩悶していた。
妄想を必死になって否定した。
それが精一杯であった。
およそ、この一週間というもの、
心に余裕のあったためしがなかった。

いくつかの恋をしてきた若原であった。
この5月で29になった。
女にもう多くは求めまい、と思っていた矢先に
出会った由希であった。
今は一緒に暮らしてもいいとさえ思っていた。
何よりも、若原がそれまでに
知り得なかった聡明さが由希にはあった。
低劣なレベルで男に媚びることも、
反対に、背伸びをして論を打つこともなかった。
まだ20才のくせに、妙にわかっている所があった。
若原は、きちんと『男』として判られている気がした。
由希は、判らない事は実にあっけらかんと若原に尋ねた。
素直に答えると素直に受け入れた。
若原が返事に困るような、男の生理的な事まで
『ふーん、そうなの。単純だけど、結構大変なのねえ』
などと言った。

若原の中には激しい恋情と共に、奇妙とも言える、
友情めいた情が混在していた。
確かに、聡い女だと思う。
しかしベッドの中では、不思議とそれまでの
どの女よりも、あどけなく官能的であった。
官能の波に耐えて身を任せていると思えば、
一転して積極的に若原を責めたてもした。
若原は、まだ固い、清い由希の体を貴いと思った。

俺は恋の病、それも重症の病を患っているのだろうか--
とも若原は考える。
そして、その度にその考えを打ち消す。
それまでの恋が彼に、
今回の恋は単なる熱病だとは告げないのだった。

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