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冥い(くらい)時の淵より

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亡き父が遺した小説です。小説家を目指し、新人賞に応募したけど 選考に落ちた原稿です。 叶わなかった父の夢を叶えたいと思い、マガジンに投稿します。 40年以上前の作品です。
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2022年8月の記事一覧

冥い(くらい)時の淵より

冥い(くらい)時の淵より

序 6

少女の名を呼ぶ声が、あちこちに聞こえた。
人々が慌ただしく走り回る足音が続いた。
そして、総ての報告は、少女がどこにも見当たらない、と
言うものであった。

やがて駐在が駆け付けた。
まず、少女の部屋を調べた。
全く異常がなかった。
少女が収容された時と同じ状態であった。
あたかも、少女がベッドに寝た姿のまま蒸発したようだった。
駐在は頭を抱えた。
とりあえず、村にこの件を通報する事にし

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冥い(くらい)時の淵より

冥い(くらい)時の淵より

一  1

京都。
11月も末になると、京都の冷え込みは一段と厳しくなる。
落葉は歩道を敷き詰め、寒風に乾いた音を立てて舞う。
並木にも、もはや身にまとう葉は残り少なく、
寒々とした細い裸身を、冬空に晒そうとしていた。
平安神宮より西へ少し、東山通りに面して
スナック『馬酔木』がある。
昼は観光客や学生で賑わうこの界隈も、夜12時を過ぎれば
さすがに人通りは少ない。
時折、飲んだ帰りの学生がある位

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冥い(くらい)時の淵より

冥い(くらい)時の淵より

一  2

村上は、いつもと変わらず
あまり機嫌の良い状態ではなかった。
ここ1、2年、この虚無的な表情が、
村上の平均的な顔と言っても良かった。
何かを考えている、と言うよりも、
常に、得られなかったものを回顧しては、
不毛な追想にふける、と言ったイメージであった。
そして、アルコールの摂取量と比例して、体の奥から、
不気味な、陰鬱な、殺気のような妖気が滲み出すのだった。

もう店には客はいない

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