恋愛や夫婦関係に迷える私を、女友達の一言が救ってくれたハナシ。
その昔。恋だの愛だので悩んだとき、決定打になったのは女友達の一言だった。その言葉は本人も何気なく言ったものであって、それが私の運命の重要な道しるべになるなんて、その時はもちろんお互いわかっていない。でもいま振り返ると、あの一言が私の人生の行先を決めてくれた、ということに気づく。
「その人が最後の人になってええの?」
これは大学生の時の女友達、Sちゃんの言葉だ。Sちゃんは同じ学部の同じ学科で、私からすると都会の高校から来た「垢抜けた女子」。田舎から出てきたばかりの私とは対照的で、Sちゃんは流行りの服を着てメイクもバッチリこなし、B系の年上彼氏と付き合っていた。
そんなイマドキ女子なSちゃんは、意外と中身は真面目で硬派な女の子だった。私たちは、他に2人の女の子を含めた4人組でよく一緒に行動していた。そういう間柄だった。
その頃私は、高校3年生の頃から付き合っていた同級生の男の子と、絶賛遠距離恋愛中だった。彼は束縛が強いタイプで、遠く離れているにも関わらず私は常々行動を制限されていた。
例えば、サークル(軽音サークルだった)で飲み会があると聞くと、その場の男女比率を聞いてくる。しかも、事後申請だと機嫌が悪くなる。飲み会なんて人が入れ替わり立ち替わりするものだし、男女比率なんぞ常々変わるものだ。
そもそも、男子が多かったとしても女子で集まって飲んでいることもあれば、女子が多くたって1人の男子と長く話し続けることもある。だから、いつも適当に答えていた。
バンドを組んだ時もメンバー構成を聞いてくる。でも、「このアーティストのコピーやろうよ!」とバンドを組む時に、いちいち私だけが遠距離の彼氏に前もって「えーとこのバンドやろうって話になってて、女子は私を含めて何人で、男子は何人で…」と話をして、許可をもらってからやるなんて正直不可能だ。意味がわからなかった。嘘をついてもバレたら怒られ、正直に言っても機嫌を損ねることになるのだった。
バイトのシフトも毎月知りたがった。「連絡が取れないと心配だから」というのが彼の主張。私は当時ベーカリーレストランでアルバイトをしていて、ラストまで入ると帰りは23時台になった。終わったあとは、ラストのメンバーでその日残ったサラダバーを食べたりドリンクバーのアイスティーを飲んだりしながら、みんなでワイワイ店長の悪口や「誰と誰が付き合ってるらしい」なんていう話題でいつまでも盛り上がった。
そういう楽しいひとときがあることを彼が知ったら、逆に束縛に拍車がかかると思っていたから言わなかった。バイト先には同年代の男の子がたくさんいたから、ややこしくなるのは目に見えている。しかも時たま、バイトメンバーで飲みに行くこともあった。それを知ったらバイトも「辞めてほしい」とか言い出すかもしれない。
当然、私は「こんなんじゃ何もできない!そもそも浮気なんてしないんだから、もっと信じてくれればいいじゃないか!もっと自由にさせてほしい!意味わかんねぇ!」と爆発した。というか、しょっちゅう衝突していた。ケンカしていない時の方が少なかった。
彼は「こんなに遠くからいつも心配しているのに、それに応えようとしないのはおかしい。好きだから心配しているんだ。少しでもそれを取り除く努力をすることが、こちらに対する愛情じゃないのか」という理由でいつも怒っていた。
そんな言い合いをしていると、だんだん「すごく相手を思っている彼」と「それなのにその想いをムゲにして自由に遊びたがる彼女」という図になり、毎回私が悪者になった気分になって折れる…というパターンでケンカが終わる。そして、そのまま関係が続いていくのだった。
今になって思い起こせば、彼の主張は愛情ではなく子どもじみた「執着」みたいなものだとわかるし、私が「こんなに思ってくれているんだから、やっぱり私が悪いのかもな」と考えていたことは、別にそうでもないことだと理解できる。
そして、彼のことをもはや「好き」ではなく「情」だけで繋がっていて、「自分から別れを切り出す勇気がないだけ」だったことも。
確か大学2年生の冬だった。ある日、私が一人暮らしをしていた部屋に集まって、Sちゃんを含めたいつもの4人でガールズトークを夜通し繰り広げていた。
1人は「好きな人がなかなかできない」と嘆いていて、1人は「今は男とか興味ないわぁ」と笑っている。SちゃんはB系の彼氏の浮気の証拠を見つけてしまって「今度問い詰めたんねん!」と息を巻いていた。
私はいつもの彼の愚痴を話していたと思う。その時、Sちゃんがため息混じりに言った。
「も〜さやかちゃん。その人が最後の人になってほんまにええの?!」
ハッとした。最後の人とは、つまり結婚相手だ。「自分の人生で、最後に恋愛をする人」になっていいのか?という意味だ。このままズルズルと付き合っていったら、いろんなチャンスを逃してそうなる可能性だって、無きにしもあらずだ。
どうしてハッとしたのか。Sちゃんからこの言葉を投げられた時、即座に自分の心の声がはっきりと聞こえたからだ。
「それは、絶対にイヤだ」
その瞬間、「ああ、もうこの恋は終わっているんだ」と、腹の底から腑に落ちる感覚がした。ずっとモヤのかかった長い夢を見ていたのに、急にその夢から強制的に起こされたような、目の醒める思いがした。
そうしてようやく、私は彼に別れを切り出せた。
というか、いつものように大きなケンカをしたあと「お互いに少し距離を置いた方がいい。しばらく連絡を取らないようにしよう」と提案したと思う。
そして、長い長いお別れの手紙を書いて、一方的に送りつける形でお別れした。電話で話したら、きっとやり込められると思ったからだ。その後彼は、そういう形で別れを告げてきた私のことを、地元の同級生に愚痴っていたと風の噂で聞いた。
Sちゃんとは、大学を卒業してからはほとんど会っていない。
缶ビール片手にほろ酔いで、私に半分説教するノリで言った自分の一言が、私の人生の行き先を決めた一つのきっかけになっているとは今も知らないだろうし、きっとそんなことを言ったことすら、本人も覚えてもいないだろう。
でも、私はあの瞬間の衝撃を今でも鮮明に覚えているし、ずっと感謝している。
もしいつか彼女と再会したら、この話を話してみたいな。ビール片手に、あの日の夜のように。
「女の人は、決めたら早いから。離婚は、したいと思ったらいつでもできる」
これは、職業訓練のスクールで出会ったM姉さんの言葉だ。姉さん、と言ってももちろん実の姉とかではない。M姉さんは私より6つ年上で、複雑な家庭環境や大病などをたくさん経験していて、そういう人特有の凄みのあるオーラを纏った人だった。実際、とても頼れるリーダータイプの女性だったので、私を含め彼女よりも下の世代の子達はみんな彼女を「M姉さん」と呼んで慕っていた。
その頃、夫に対してどうしても許せない出来事が起こった。そして、夫婦仲は最悪になっていた。
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