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「『ハイブリッド・ヒューマンたち』-人と機械の接合の前線から」を読んで


はじめに

こんにちは。今回紹介したい本は、みすず書房から2024年に刊行された、イギリス人作家ハリー・パーカー氏による「『ハイブリッド・ヒューマンたち』-人と機械の接合の前線から」です。

どのような本か

元イギリス軍兵士である著者が、自身の経験を起点としながら、人間と機械の関係性、そして社会の在り方まで考察を広げた意欲作。単なる義肢や人体拡張に関する技術書ではない。著者の個人的な経験と、そこから導き出される普遍的な問いかけが、印象的な作品でした。

著者の体験から見えてくるもの

2009年、アフガニスタン紛争で負傷し、足を失った著者の経験は、本書を貫く核となる視点を提供しています。寝たきりから車椅子、そして義足の使用へと至る回復の過程で、著者は単に失われた機能の「回復」だけでなく、自身の「身体性」そのものについて深く考察することを迫られました。

特に興味深いのは、失われた部位に対する身体感覚の記述です。事故で体の一部を失った人は、それから長い時を経たあとで「ここにあったはずのもの(腕や脚)がない」という感覚にとらわれることがあるそうです。

それは私たちの身体認識の不思議さを示しています。この喪失感は、自分の心ではなく、身体のもっと深い部分がその事実をまだ受け入れられない事態として描かれています。著者のこの繊細な観察眼は、私たち読者に「身体とは何か」という根源的な問いの共有を求めています。

テクノロジーがもたらす可能性と選択

著者は義肢技術の進歩が示す二つの方向性を示しています。

一つは、以前できたことを限りなく忠実に再現しようとする考え方や技術。もう一つは、現実を受け入れ、その条件下でできることを確かめ、実行していきたいという考え方。それぞれを対比して描くことで、著者は私たちが技術をどのように受容していくべきかをの問いを提示しています。

さらに興味深いのは、義肢を自己表現の手段として捉える視点。思い出の品を収納できる義手や、デザイン性の高い義足など、単なる機能の代替を超えた、新たな可能性も紹介しています。これは、タトゥーのような身体への積極的な介入とも通じる発想であり、技術と人間の関係性に新たな視座を提供しているといえるでしょう。

AIとの共生という課題

高度化する義肢技術は、必然的にAIとの関係性という問題に直面します。著者は特に安全性の観点から重要な指摘を行っています。

一般的なAIシステムでは許容される「数百万回に1回の誤作動」という確率も、人体に直接関わる技術においては全く異なる意味を持つ。仮に義足においてそのような確率で誤作動が起これば、使用者の誰かに、深刻な事態が起こることになります。確率で考えると取るに足らない、でも当事者にとては重大な出来事が起こる可能性。その課題に向き合うことが研究者や技術者に問われています。

日本の金継と社会のエイブリズム

本書の結びで著者は、日本の伝統技術である金継ぎに言及しました。

破損した器を金で繋ぎ、より価値のあるものに生まれ変わらせるこの技術は、著者自身の経験と重なり合います。失ったものを単に補うのではなく、新たな価値を創造する、著者にはそれができているという自覚があるのでしょう。

それと同時に、著者は重要な視点も示しています。もともと障碍の有る人と無い人という格差がある状況に加えて、技術の恩恵を受けられる者と受けられない者との間に生まれる新たな格差。

この「二重の格差」は単なる経済的な問題を超えて、社会の在り方そのものを問いかける指摘といえる。

まとめ

必要なのは、世界と人と関係性の再構築

技術の進歩は私たちに多くの可能性をもたらします。しかし著者が巻末の最後に小さな記事で記したように、真に必要なのは障害者が世界に適応することではなく、世界が個々人のニーズに適応していくこと、それに気づくことではないでしょうか。

本書は、技術と人間の新しい関係性を模索する上で、貴重な示唆を与えてくれる一冊となっています。

参考:日経新聞読書欄の書評も、ぜひお読みください

参考2:私が感じた、関連付けして読みたい一冊

「個々人が世間のルールにあわせるのではなく、世界が個々人によりそってほしい。」というメッセージは、以前紹介したこちらの本と共通しますね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

#日経COMEMO #NIKKEI

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