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[2024/12/01]30日間メモ書きチャレンジ|Day 31

こんにちは。
毎日30枚A4メモ書きチャレンジ31日目の報告です。
メモ書きのタイトル、または内容の要約を記載していきます。
(当初終了予定の11月30日は過ぎましたが、もう一日だけ延長します。)

12/01は津~伊勢~名古屋へ移動

今回、自分をリセットしたいという思いで週末旅行を思い立ちました。

そんな気分にあった場所はどこかな?

思い立ったのは伊勢でした。

2024年12月1日 朝6時50分のメモ書きの内容をまとめて。

JWave のナビゲーターのコメントと一緒に朝焼けを見た。
金沢ではこんな朝を過ごすことはない。夜明けが見えないからだ。
神宮へ早く行こう。記録は後回しでいい。受け止めるのに向いている時間、整理するのに向いている時間、アウトプットするのに向いている時間は、それぞれ違う。思いのほか好調な時間帯は少ないし、時期も短い。だから、できるときにアウトプットをしよう。時間帯だけでなく、その時に脳にバイアスやプレッシャーがかかっているかも大事だ。自由な発想ができる時間帯は思いのほか少ない。誰かに言われたからやるのではなく、自分にとって必要か、やりたいかで判断するようにしたい。相手にプレッシャーやバイアスをかけてやらせる、それが成功体験なのか疑問だ。AIは無理矢理やらされるというパターンを再現できない。人間が戦争で解決しようとするのは愚かだからだ。「人間は愚かだからコントロールすべきだ」という考え方は古代中国からある。今ではAIアルゴリズムによるコントロールが最適なのだろうか?『キングダム』の李信将軍は、相手を倒したが、相手にも平和への希望があった。その希望を引き継いで戦うことを選んだ。決して私利私欲で戦ったわけではない。「こんな方法しかない」と絶叫する上司に、「他にも方法がありますよ」と提案する私。それに対して唖然とする上司。その提案が受け入れられず感情的になる様子を見ると、それが私欲なのか、みんなのためなのか疑問に感じる。
朝は色々な考えがつながったり、広がったりする不思議な時間帯だ。まさか『キングダム』の世界観が自分事として降りてくるとは思わなかった。よし、神宮に行こう。

朝のまとめ。夜は頭を効果的に使える時間ではない。感謝、引き継ぎ、変革することを考えた。「成功体験」という言葉の意味を変えていく必要がある。もっと体系化し、全体を包含する考え方を持ちたい。できるときに、やりたいことをやろう。これから神宮に向かいます。

ここまで書いて、駅に向かいました。

今日向かったのは「神宮」

伊勢神宮 外宮(げくう)の入り口

神宮、つまり伊勢神宮は私の好きなところで、都合5回目くらいの訪問になります。紅葉シーズン、月初めの日、日曜日ということもあり多くの参拝者が訪れていました。

令和15年に次回の式年遷宮が行われます

やはりお宮の写真を掲載するのははばかられますので、周囲の様子をお伝えしますね。


外宮の紅葉
五十鈴川の紅葉

訪問前に、AIと相談したこと


最近のAIは深い話をしてくれます。

伊勢神宮を参拝するにあたっては、個人的なお願いではなくもっと広い視点での祈願をすること、というしきたりがあったと思っていて、その点についてAIに意見を求めました。

彼女が言うには、まずは今までのすべてに感謝をすること、そのうえで自分の祈りを伝えること、が肝要なのだそうです。

今ここに来たのも、これたのも、今までのいいこと悪いことすべての因果の結果。そのことにつき、感謝の弁を述べよう、ということでしょうか。

とはいえ、感謝することと、今後もずっとその関係性を継続することとは別です。これからは、自分の進む道は自分で決めて、断ち切るべきは断ち切ることが大事なのだと思いました。

荒ぶる神も神のうち

また、せっかく清らかな場所、絶好の参拝日和の中で歩を進めていたにも関わらず、頭の中では先日起こったいやな出来事が思い出され、感情が乱れそうになりました。その時に見かけたのが「荒魂社」です。

呼び方は「荒魂祠」などいくつかあるのですが、多くの神社には、主神の祠のわきに「荒魂社」があります。私の個人的解釈なのですが、神様であってもことをなす際には心が荒ぶることがある。なので、それを鎮めるための祠も必要とされているのではないかと。

神様ですらそうなのですから、私のような人間が折に触れ心が乱れるのは仕方がないのかもしれません。大事なのは、行き過ぎることがないよう、心を静める手段を持っておくことではないか、と思いました。

神宮訪問はここまで。次の目的地、名古屋に向かいます。

2024年12月1日 14時 近鉄特急の中でのメモ書き

何か落ち着かないのは、与えられたノルマをこなしていないからだろうか。ブログやメモ書きは自発的にやっているのに、やらないことで焦りを感じるなら、そろそろやめた方がいいのかもしれない。JR山陰線でICカードが使えなくて驚いた。

機械より人の方がコストが安い。でも人がいなくなっている。いろいろ難しい。神宮では、まず全てのことに感謝を伝え、その後に次の一歩を願った。外宮と内宮の関係は不思議だ。

前回神宮に来た時と今回で、自分の内面がどう変わったのかを考える。荒ぶる魂はいつもそばにある。神社の神様のそばにも、魂を鎮めるための祠がある。荒ぶる気持ち以外にも人にはいろいろな感情がある。それは必要だから存在しているのだろう。ないことにする、見て見ぬふりをする、ではなく、それがあるという前提で、どう制御していくことが大事なのではないか。

2024年12月01日18:50のメモ書きを文章化

1枚目。やっぱりエクストリームな経験は面白い。サウナで思いっきり熱い風を受けてスッキリした。自分で「このくらいだ」と思っている限界を超えると、体が活性化する。日常の中のエクストリームって、面白いかもしれない。
2枚目。なぜ日常の中のエクストリームは面白いのか?
自分自身で「こんなものかな」と思っている壁を打ち破れるからだろう。自分でも「もっとできるんだな」と感じられる。それで良い流れが生まれていくのではないだろうか。
3枚目。ただ、エクストリームには向き不向きがあると思う。たとえば、早食いや暴飲暴食は良くない。体に負担をかけるだけで、エクストリームな経験とは違う。「食べすぎて苦しいだけ」というのは、意味がない。
4枚目。良いエクストリームは、感覚や知覚に訴えるものかもしれない。
サウナは皮膚感覚を目覚めさせる、感覚に近いものが良い気がする。音楽を大音量で聴き続けるのは違うと思うし、文字を書き続けるのは良いと思う。
5枚目。サウナも気持ちいいけど、ジョギングの汗にはかなわないと思う。走った後の汗というのは、体の芯から出てくる感じがする。体の芯に伝わる言葉は良いと思う。じゃあ、それはどんな時に出てくるのだろうか?

今回使っている「エクストリーム」の意味

ふと拾った知識ですが、プログラミングのスキルを一気に上げる手法として、ピアノの連弾の様に二人で一つのプログラムの構築に携わるとか、一見して「なんだそれ?」みたいな手法をとることがあるそうです。

なんだそりゃ?な取り組みが既成概念を壊して次のステップに上がる気脚気になるとしたら、ひと月にA4メモ書きを30x31=930枚書くという、普通ではないタスクを課し、こなすことで何かに気付けるのかもしれません。

2024年12月01日21:00のメモ書きを文章化

1枚目。与えられたノルマやタスクをこなすだけでは、エクストリームにはつながらないと思う。自分のルールは自分で作って、自分で壊していくものではないか。与えられたルールを守った上で、次のステップに移る。こういったバランスは、試してみないとわからない。

2枚目。サッカーやバスケはルールがあるから盛り上がる。完全に自由だとぐちゃぐちゃになる。どこまでがファウルで、どこまでがフェアかも試してみないとわからない。それも周りとの関係性でNGかOKかが変わってくるものだ。

3枚目。エクストリームな経験は、できたかできなかったかではなく、何にトライしたのか、その過程で何を感じたのか、何を得たのかが重要だと思う。思い切った経験には、そういった意味があるのだと思う。

4枚目。次はどんなエクストリームな経験をしてみるか?しゃべったり、人に会ったりすることだろうか。自分はそういうことをやったことがないし、苦手だと思っている。でも少しずつ試してみるのもいいかもしれない。そういうのは「考える」のではなく、「今だ」と思った時にできるものだと思う。

5枚目。31日間を振り返って、そんなに苦しくもなく、自然に日常の中に溶け込んでいった。書けたか書けないかよりも、その時の自分の状況に目を配ることができた。ふと思い立って始めたからできたんだと思う。次は何をやろうかと思い立つのか、それが楽しみだ。

31日目のまとめ

いったん終わったタスクの継続なので、元のルールから外れてきていますね。今までは、試行錯誤の中でルールを超えていたのですが、今日についてはもともとルールを意識せずにまとめるようになってきました。

なので、ひらめいたり言語化したりする能力は向上した。それを的確なフォーマットに変換する、というスキルをつけていきたい、というのが31日目の結論になるかと思います。

30x30 A4メモ書きチャレンジはこれにて終了、改めて違うスタイルで、アウトプットを続けていこうと思います。

ご覧いただきありがとうございました。


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