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映画「ナミビアの砂漠」(監督:山中瑶子/主演:河合優実)を観てきました

みなさん、おはようございます。

このブログは、私が自分自身でゆらゆらと試したり考えたりしたことについて記載しております。今回は先日観てきた映画について書いてみました。



観てきた映画:ナミビアの砂漠(監督:山中瑶子・主演:河合優実)

公式サイト

公式サイトから転記したコピーなど

いじわるで、嘘つきで、暴力的。そんな彼女に誰もが夢中になる!

公式にあったコピー文

世の中も、人生も全部つまらない。やり場のない感情を抱いたまま毎日を生きている、21歳のカナ。

優しいけど退屈なホンダから自信家で刺激的なハヤシに乗り換えて、新しい生活を始めてみたが、次第にカナは自分自身に追い詰められていく。もがき、ぶつかり、彼女は自分の居場所を見つけることができるのだろうか・・・?

公式にあったストーリー紹介文

『ナミビアの砂漠』は、運命的に出会っていた山中瑶子と河合優実、ふたつの才能が、ついに念願のタッグを組み、“ 今” の彼女たちでしか作り出せない熱量とセンスを注ぎ込んで生み出された。河合が扮するカナの二人の恋人を演じるのは金子大地と寛一郎という、山中監督と同世代で今の日本映画界をけん引する若き俳優たち。カンヌ国際映画祭でも「若き才能が爆発した傑作」と絶賛され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞する快挙を成し遂げた。2020年代の〈今〉を生きる彼女たちと彼らにとっての「本当に描きたいこと」を圧倒的なパワーとエネルギーで描き切った『ナミビアの砂漠』が、先の見えない世の中に新しい風を吹き込む!

公式にあったストーリー紹介文

観て受けた印象:日を追って変わってきました

1.見た直後:「わかんない」

今までみてきた河合さんの出演作は

「由宇子の天秤」
「あんのこと」
「ルックバック」

どれも胸に迫ったり、考えさせられたり、見てよかったなと思う作品でした。つまり私の中では「河合優実さんの作品=ハズレがない」という品質保証安心印がついていたんですよね。

しかし「ナミビアの砂漠」はわかりませんでした。

観終わって直後は「この話って、なんだったんだろう?」という疑問、それからしばらくは作中の表現に対する嫌悪感がつきまといました。

でも、わからないままで済ますのもなんだかいやなので、一日ごとに受けた印象を、記録することにしました。

2.翌日の印象:「これは映画版『YOASOBI』なのかな?」

お互いに譲歩せず、創造的な挑戦を続けるYOASOBI

YOASOBIの楽曲には「群青」や「優しい彗星」のように、聞いていて気持ちが盛り上がったり癒されたり曲もあれば、「怪物」や「アイドル」のように「人間にこんな曲歌えるの?あ、IKURAさん歌ってる。。すごいな」という曲もあります。

制作するAYASEさんと歌うIKURAさんの関係性には興味深いものがあるな、と思っています。

AYASEさんとIKURAさんの関係性についてのPerplexityのまとめ記事

Ayaseさんがikuraさんに難しい曲を次々と投げかけているスタイルは、実は相互理解と創造的な挑戦に基づいたものです。

ikuraさん自身は、Ayaseさんの楽曲に対して「取りあえず挑戦してみる」という前向きな姿勢を持っています。彼女は「音源として最高のもの、最高のクリエーティブができることが最優先」と考えており、Ayaseさんから提示される曲に対して「ノーと言うこともない」と述べています。

Ayaseさんの作曲スタイルは、ボーカロイド(初音ミク)での制作経験から来る「自由な作曲」が特徴的です。彼は「生身の人間は歌えないだろう」と思えるメロディも平気で作曲し、ikuraに挑戦的な課題を投げかけます。

ikuraさん自身も、Ayaseさんの曲の「引き出しの多さ」に驚き、「一オクターブ飛んだり、スピードも自分が作る音楽より全然速かったり」する曲に対して、スキルアップの機会として前向きに捉えています。

さらに、Ayaseさんは「YOASOBIから出た楽曲としての面白さ」を重視し、ikuraの声の美しさだけを追求するのではなく、創造的な挑戦を大切にしています。二人は「お互い、いい意味で全然譲歩していない」関係性を築いており、これが彼らの音楽の独自性につながっているのです。

Perplexityのまとめ記事

この視点を「ナミビアコンビ」に向けてみました。

お互いに譲歩せず、創造的な挑戦を求めた山中・河合コンビ

山中監督の初作品を見て衝撃を受けた、当時学生の河合優実は、「いつか出演したいです」と直接伝え、「女優になります」と書いた手紙を渡したという。『ナミビアの砂漠』は、運命的に出会っていた山中瑶子と河合優実、ふたつの才能が、ついに念願のタッグを組み、“ 今” の彼女たちでしか作り出せない熱量とセンスを注ぎ込んで生み出された。

公式の記事を一部編集して転記

「ナミビアの砂漠」で目を引くのは、河合さんの激しい演技です。

「あんのこと」では、激しい描写と穏やかな場面のバランスがよく、落ち着いてストーリーに入っていけました。「ナミビアの砂漠」はそうではありません。「え、またそんなことするの?」とお腹いっぱいになるくらいに過激な描写が繰り返されます。

個人的には「こんなに見たくない」と思いました。

その一方。メイキング映像の中で、撮影前に監督と俳優がきめ細かく意思確認を行っているシーンが気に留まりました。

この二人の関係性が気になり、Perplexityにまとめてもらいました。

山中監督と河合優実さんの関係性についてのPerplexityのまとめ記事

映画『ナミビアの砂漠』における山中瑶子監督と主演の河合優実の関係性は、長年の相思相愛から生まれた特別なものです。

1. 出会いのきっかけ:
- 河合優実が高校生の時、山中監督の『あみこ』を観て感銘を受けました。
- 映画上映後、河合は直接山中監督にファンレターを手渡し、「女優になります」「いつかキャスティングリストに入れてください」と書いていました。

2. 夢の実現:
- 山中監督は河合の活躍を見守り、いつか一緒に仕事をしたいと思っていました。
- 約3年前、別の原作企画で河合にオファーを出したことがきっかけとなり、最終的に『ナミビアの砂漠』という形で実現しました。

3. 相互理解と信頼:
- 山中監督は河合の魅力を引き出すキャラクター設定を考え、「無責任で自分勝手だけど、どこか憎めないところのある人」という主人公像を作り上げました。
- 河合は山中監督のファンであり、監督の作品に出演することを長年夢見ていました。

4. 創造的なコラボレーション:
- 山中監督は河合の演技力を信頼し、複雑な主人公カナを演じさせることで、彼女の新たな一面を引き出すことに成功しました。

この関係性は、才能ある監督と俳優の「夢のタッグ」として描かれており、互いの信頼と尊敬に基づいた創造的なパートナーシップとなっています。

Perplexityのまとめ記事

作中に何度も現れる過激なシーンは、監督と俳優の話し合いの結果生み出されたものである。ということは理解できました。

表現者にその「限界」を求めるありかたに共通点

YOASOBIとナミビアコンビに共通するのは「表現したいものがあり、それを表現者に表現させる」よりも「限界を超える表現を表現者に求める」姿勢。それを監督者の独りよがりではなく、表現者の同意を得ながら進めている点に共通点がある、と思いました。

3.翌々日に思ったこと:その説明ってありなのかな?

とにかく破天荒というか、支離滅裂というか、一貫性があるようでないような主人公の行動や言動。

この映画の途中で、その「原因」と思われることの説明がありました。それはある立場の人が、主人公にオンラインで伝えるという形でなされます。

私はその展開に違和感を覚えました。

「それを原因にされると、今後本人の努力や心がけで対応できることが限られてしまうのでは?今までのすべては何だったんだ?と、失望するばかりではないのか?」

4.三日目に思ったこと:その説明がすべてではない。

その後引き続きもやもやしていたのですが、AIの見解やほかの方のブログを拝見したところ「必ずしもそうではない」と考えが変わりました。

医師からある指摘を受けたあと、主人公は自分を知りたい、という意思を見せ、実際に対応を試みています。物語の最後のシーンも、一瞬ではありますが「あれ、なんか変わった?」という匂わせを感じさせるものでした。

また、主人公の言動を改めて振り返ってみると、彼女の言動が不安定な理由が、医師から指摘される要因以外にもあるように思えてきました。

むしろ、不安や不満を表現する手段が一般の方よりも唐突で激しい。その理由がそれなのでは?という問いの立て方の方が妥当な気がしてきました。

5.四日目に思っていること:

説明はないが、考えるヒントがあちこちに埋まっている

映画館で見ていた時には「散文的でまとまりがない」としか思っていなかった会話や出来事の一つ一つに、主人公の発言や行動の形成過程を理解するヒントが埋まっているように思えてきました。

ナミビアの砂漠とトレッドミル

ではこの作品のタイトルの意味は?

物語の中で、主人公がよくみている動画。

ナミビアの砂漠の水飲み場に置かれたカメラ。時々立ち寄る野生動物が映し出されます。

これが何を表しているのでしょうか。

主人公がけんかをしているシーンで、その姿を俯瞰している、トレッドミルに乗った主人公の姿が唐突に表れます。

現状を俯瞰したい。自分がだれで、何をしているのか知りたいと願う主人公の姿を現しているのではないかと推測しています。

この作品は、河合優実さんありきの作品

これまで見てきた河合優実さん関連の作品はどれもよかったのですが、あくまでも台本があり、それに対して河合さんがどう表現するか、というものでした。

「ナミビアの砂漠」にはそれがありません。

山中監督自身、河合さんを理解する、というよりはやりたいことを思いっきりやってもらう、というスタンスで撮影に臨んだ、という趣旨の発言をインタビューでされています。

物語の中の河合さんに何かを説明させるのではなく、その姿を見て何か感じ取ってもらうのが山中監督の意図だとしたら、今の私はまさにその通りの反応をしてしていることになります。

多くのブログから学びを得ました

逡巡しながら、ほかの方のブログを見て「ああそういうことだったのか」と膝をうち、改めてパソコンに向かってブログを書いています。

その中で一番インパクトを受けたのが「アウトプット大全」の著者、樺沢紫苑さんの見解です。

樺沢紫苑さんの見解(Perplexityまとめ)

精神科医の樺沢紫苑氏は『ナミビアの砂漠』について以下のような見解を示しています:
1. 主人公カナの特徴:
- 共感性の欠如が目立ち、心に闇を抱えている。
- 境界性パーソナリティ障害の可能性がある。
2. 映画の象徴性:
- タイトルの「ナミビアの砂漠」はカナの「心の砂漠」を表現している。
- 砂漠の中の樹木や水場は「父性」を象徴している可能性がある。
3. カナの心理:
- 頼りがいのある男性像(父性)を求めている。
- 過去に中絶の経験がある可能性が高い。
4. 映画の構造:
- 前半の描写が後半で回収される緻密な構成。
- ラストシーンには希望が込められている。
5. 総合評価:
- 骨太でマニアックな作品。
- 5段階評価で4.6点と高評価。

樺沢氏は、この映画がパーソナリティ障害を抱える人物の内面を描いた精緻な作品であると評価しています。
Citations:
[1] https://kabasawa3.com/blog/book-movie/namibian-desert

Perplexityのまとめ記事

自分がモヤモヤしている課題について、一瞬で的確な見解を出せる。そんな方が世間にはいらっしゃる、と衝撃をうけました。

同時に、考える方向性を示して下さったことに感謝の意を覚えました。

最後に

そういった自分の思考の遅さに気づいたり、ほかの方の視線に触れ、新たな視点を受け入れることができた。そんな機会をもらえた、という意味でも、この作品との出会いはありがたかった、と今は思っています。

数年後に振り返ってみたとき、私の思考に大きな影響を与えてくれた作品、として記憶に残っている。「ナミビアの砂漠」はそのような作品です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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