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映画「HappyEnd」についてもう一回考えました

みなさんこんにちは

このブログは、私が自分で見たり経験した事柄について、ゆらゆらと考えたり感じたことを元に書いています。


もう一度「HAPPY END」の記事を書きたくなりました

昨日「HAPPY END」という映画の記事を書きました。

描いた時間が日付変更直前だったので、その時思ったことを端的にまとめてしまったのですが、その後、あらためて思うことも出てきました。

とはいえ、昨日書いた記事を改定するのも忍びないので、新しく記事を書くことにしました。

あらためて概要をPerplexityがまとめます。

映画『HAPPYEND』は、2024年10月4日に公開された空音央監督の長編デビュー作品です。近未来の日本を舞台に、高校卒業を控えた幼なじみの親友、ユウタとコウを中心とした5人の青春群像劇を描いています。

## 作品の特徴

1. 社会批評: 【略】日本社会を批判的に描いています。
2. 映像美: 1990年代のアジア映画のような美しい映像表現が特徴です。
3. 音楽: リア・オユヤンが担当し、坂本龍一やエリック・サティを彷彿とさせる楽曲が使用されています。

4. テーマ: 友情、アイデンティティ、社会への違和感、政治的関与などが主要なテーマとして扱われています。

空監督は、各シーンに「映画的な喜び」を感じさせる要素を入れることを意識し、視覚的なギャグや音へのこだわり、ショットの美しさ、編集の遊び心などを取り入れています。

また、「怒り」の感情を重要視し、それを愛情表現の一つとして描いています。
『HAPPYEND』は、政治的なメッセージを含みつつも、普遍的な友情のテーマを通じて幅広い観客に訴えかける作品となっています。

Perplexityによるまとめ記事を編集

今回触れない部分(太字の部分)

・映像美
・ギャグ
・編集のこだわり
・音楽

おそらくこの映画の評価が高いのは、上記のような、映画に詳しい方の琴線に触れる部分があるからだと思います。

一映画ファンである私にメンションできることはないので、その点については、私もほかの方の記事を見て学ぼうと思います。楽しみです😊。

私が気になったのは、次の点です。

なぜ「近未来の日本」が舞台、と強調しているのだろう?

この映画の情景を箇条書きしてみました。

  • 管理主義が進んでいる。いつの時代を意識しているのだろう?

  • デジタルツールを使った管理が普及している。

  • 学校の生徒の多人種化が進んでいる。

  • 学校では引き続き制服が着用されている。

  • 校舎の構造も大きくは変わっていない。

  • 監視カメラや監視モニターだけ、妙に新しい。

  • 授業で使われている教材は変わらない。

  • 倉庫の鍵は昔のまま。持ち出す際の申請手続きも昔ながらの紙のまま。

  • 悪い子たちはクラブに入り込んでダンスをしている。

  • 80年代にはなかったような曲ではないかなと思う。

  • 70年代のようなデモが繰り広げられている。

  • 空の雲に、ニュース速報が映し出されている。

そんな状況の中で「80年代のような」青春群像が描かれていました。

近未来感、言うほど感じないんですよね。

さて、本作の監督はなにを求めて、どのような設定をしたのでしょうか?

「普遍的な青春像」を求めた結果の近未来?

社会がどんなに変わっても、
10代の若者たちの青春の姿は変わらない。
変わらないでいてほしい。
それとも「本当に変わらないのだろうか?」という問いかけ。

「青春群像を描きたい」という思いが先にあり、それを浮かび上がらせる手段として、いろんな時代のいろんな要素が付け加えられていった。

その状況を「近未来」と表現してみました。

私はそんな印象を受けました。

監督が描きたかった「青春」とは?

青春を定義する

  • 自我の目覚め

  • たまたま同じ場所で出会った仲間との友情

  • 周囲が変わっていく中で、自分たちも変わっていく。

  • その結果、友情や関係性がどう変わるのか、変わらないのか

そういった微妙な変化を描いていきたい。

そんな想いを具現化していった作品ではないかと思います。

「尾崎豊」的な青春

前回の記事で、本作の登場人物たちの青春はどことなく尾崎豊さんの楽曲を想起させる、と書きました。

この点についてもう少し考えてみます。

今回の登場人物たちの心情を想像すると、尾崎豊さんや、同時期の大ヒット曲「チェッカーズ」の『ギザギザハートの子守唄』の歌詞が連想されます。

「卒業」と「ギザギザハートの子守歌」に共通する心情

  • 大人たちの言うことに従いたくない反抗心

  • 自分の感情や考えを理解してもらえない孤独感

  • 自分自身のアイデンティティを模索する姿

それらは、自分や自分たちを中心にした考え方、つまり自己承認欲求に基づく行動や発言ではないかということです。

「中島みゆき」的なスタンス

その一方、この物語をよく見ていると違う視点が見えてきます。

それが、中島みゆきさんのスタイルです。

ちょうどこの頃、中島みゆきさんの代表曲の一つ『ファイト!』が発表されました。

チェッカーズや尾崎豊さんが歌っていたのは、学校や家族、周囲の大人たちが自分を認めてくれない、という焦燥感でした。

一方、『ファイト!』で描かれているのは、もっと広く深い社会の中の見えない壁、村社会、ジェンダー差別など。

それに立ち向かう人たちの姿が描かれています。

ユウトとコウの溝

登場人物の2人の主人公について考えると

1人は恵まれた家庭でマイペースに過ごしながらも満たされない状況、それは尾崎豊さんやチェッカーズの歌で表現される閉塞感です。

もう1人は理不尽な差別に向き合わざるを得ない状況。それは、中島みゆきさんの歌が表しているような感覚です。

そんな2人の微妙な想いの違いが、物語の中盤以降に明確になります。

物語のラストと青春の対等性

コウは、自分の前の理不尽な壁に対峙すべく行動を起こします。

そんなコウからは、ユウトはいつまでも変わらず自分の享楽しか求めていないように見えてしまいます。

ユウトは、自分の恵まれた環境、コウが変わっていく姿。自分は何をすればいいのか、という問いに向き合います。

物語の終盤で、主人公たちそれぞれの行動は、自分たちの関係を取り戻したいという想いから起こったのだと思います。

理由のない友情

その時たまたま近しい距離にいただけ。

それでもその関係はそれぞれにとってかけがえのないもので、それが壊れるくらいなら、それ以外のものすべてを手放してもいい。

そして、あの印象的なクライマックスシーン。

青春は、めんどくさい

青春とは本当にめんどくさいものだなと思いました。

でも、だからこそ素晴らしいとも感じました。

何よりよかったのは、この2人の関係性が常に「対等」であったことです。言い争いの中でも、どちらかが一方的にマウントをとることはありませんでした。

私自身、相手と対等に向き合っているか、ということを意識したことがほとんどありませんでした。

いかに自分の正しさを強調するかばかりに力を入れていた結果、今の状況になったのだな、としみじみ思っています。

本当にこの映画を見てよかったです。

自分の思考の遅さに苦笑いしつつも、見た後の満足感に浸っています。

次はどんな映画を見ようかな。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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