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小説「悪い音楽」(著:九段理江)を読んで

みなさん、おはようございます。

このブログは、私が自分自身でゆらゆらと試したり考えたりしたことについて記載しております。今回は正月休みに読んだ小説について書いてみました。


「悪い音楽」:芥川賞作家、九段理江さんのデビュー作

単行本「Schoolgirl」に収録されています


今回の記事の進め方

できるだけネタばれは避けたいので、今回はこのような進め方をします。

  • 小説の概要についてPerplexityによる紹介記事を掲載

  • それぞれの特徴について補足説明

  • 今回の主人公に似た人物を探してきて、比較してみます

Perplexityによるまとめ記事

九段理江のデビュー作『悪い音楽』は高い評価を受けています:
1. 第126回文學界新人賞を受賞しました。
2. 作品の特徴として以下が挙げられています:
- 読みやすく、入りやすい作品だと評されています。
- キャラクターの作り方が王道的で、その特異性が巧みに描かれています。
- 音楽の才能を持ちながら人の心がわからない主人公を通じて、人と芸術作品の関係性を問う作品となっています。
3. ストーリー構成に関しては:
- 技巧的で練られた構成が評価されています。
- わかりやすく、一気読みできる読みやすさがあると指摘されています。
4. 文章のスタイルについては:
- 言葉が溢れ出てくるようなスピード感のある文章だと評されています。
- 音楽的なリズムを持つ文体が特徴的だと指摘されています。
5. 総合的な評価として:
- ストーリー、文体、描写が総合的に良いという印象を与え、多くの読者に「まあまあおもしろい!」と感じさせる作品だと評されています。
6. 専門的な観点からは:
- 音楽家の描写が的確で、「ここまで音楽家のことがわかるんだろうか?」と感じさせる作品だと評価されています。
- 余計な言葉を排除し、的確な言葉だけで物語を紡いでいると評されています。
これらの評価から、『悪い音楽』は九段理江の才能を示す印象的なデビュー作として広く認められていることがわかります。

Perplexityによるまとめ記事

あれ、なんか変ですね。

いままでのPerplexityさんの記事からは「収集した多くの記事から紡ぎだしたまとめ」という印象を受けていたのですが、今回は「少ない意見からなんとか体裁整えました」かの様に思えてしまいます。

あとは、人間が補うこととして進めていきましょう。

主人公の人物像について

行動や発言の癖についてつぶさに描写

- 音楽の才能を持ちながら人の心がわからない主人公を通じて、人と芸術作品の関係性を問う作品となっています。
- 音楽家の描写が的確で、「ここまで音楽家のことがわかるんだろうか?」と感じさせる作品だと評価されています。

Perplexityさんの記事より

おそらくブログか書評でこのように評している人がいたので、Perplexityさんはその言葉を拾ってきたのだと思いますが、もう少し解像度を上げていきましょう。

1.初動の着眼点が一般の人と少し違う

【状況】怪我をして血を出している人がいる
【着眼点】あーあ(カーペット汚れた)

【状況】いきり立って歩いている人がいる
【着眼点】ピアスがジャラジャラ鳴っている

【状況】歌い終わったあとの感動的なパフォーマンス
【着眼点】歌詞と全くそぐわない

【状況】父親が私の選択に猛反対している
【着眼点】何が父を熱くさせているのだろう?

私がピックアップした主人公の発想パターン

人の挙動や態度評する際の言葉遣いが独特。ともすれば人間性や共感力に欠ける、という印象を与えるのがこういった点だと思います。

2.スイッチが入ると没頭してしまう

・独特な音の響きを持つピアノに出会うと、周囲も気にならず、トイレに行きたい気持ちも忘れて弾き続けたくなった。
・顔の筋肉のトレーニングを取り入れ始めたら、ほかの行動の最中にもそのことが意識の多くを占めてしまう。

私がピックアップした主人公の課題へのこだわり

3.閉塞状況下での行動の選択

・張り詰めた会議中、誰かの発言をきっかけにラップのライムが脳内に鳴り響いてしまう。
・面白みのない音楽教師の日々の打開策として「文化祭での音楽教師の出し物」に異様な思い入れを持って取り組む。
・切迫した状況の中で、優先すべきではない「悪手」を選んで自分を窮地に追い込んでしまう。

私がピックアップした主人公の緊急時の対応

4.主人公が考えている「常識的な行動」

全編を通して、この主人公は自分の行動や判断の「正しさ」を問わず語りに述べています。それがこの作品のスピード感やテンポの良さにもつながっているのですが、どことなく「重心がずれたまま、くるくると回り続ける独楽(こま)」のようにも思われてしまいます。

う~ん。どこかでこのような人物を見かけたような気がする。

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の主人公とどこかにている

2000年のラース・フォン・トリアー監督の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。ミュージシャンのビョークさんが、この独特な主人公、セルマさんを演じきって話題になりました。

ビョークさんのファンだった私も、その作品に触れ、表現に圧倒され、頭を抱えて劇場から出てきました。映画館からの帰途、車のステアリングを握ったまま、自宅するでもなくぼんやりと運転を続けていたことを覚えています。

1.セルマさんの基本情報

・苦しい生活の中で息子を育てている
・ミュージカルが大好き
・劇団では「ずれた」パフォーマンスがあり、役を外される

ダンサー・イン・ザ・ダークの主人公について

2.セルマさんの妄想スイッチ

・閉塞状況で「リズム感のある具象音」を聞くと妄想スイッチが入る
・妄想の中で盛大にミュージカルが始まる
・妄想ミュージカルの中ではセルマさんが絶対的なヒロイン
・我に返ると、現実はもっと悪くなっている

ダンサー・イン・ザ・ダークの主人公について

3.窮地で選ぶ悪手

・子供が最優先、という理由で最悪の選択をする。
・事実を言えば窮地から脱することができるのに、言おうとしない。
・相談すれば済むことも、一人で対応しようとしてさらにもめる。

ダンサー・イン・ザ・ダークの主人公について

セルマさんと「悪い音楽」の主人公の違い

ただし、それぞれのキャラクターには明確な違いもあります。

「私はもう、見るべきものはすべて見てしまった」

映画中盤、クライマックスとなるミュージカルシーンで、セルマさんはすでに何かをあきらめているかのような歌詞を歌っています。

なので、そのあとの不可解と思われる行動は、そんな心情が作用していた、と捉えることもできるかと思います。

「猿だとは知っていた、どんな猿か、までは考えていなかった」

ひたすら視点が内に向かうセルマさんとは違い「悪い音楽」の主人公の視線と言葉は、周囲の人たちをばっさばっさとなで斬りにしていきます。

それはまるで、春風亭一之輔師匠の寄席の枕(本題の前の世間話)のような切れ味の鋭さ、テンポ感、そして独特の「ズレ」です。

閉塞感や切迫感の中のキレとテンポと着眼点

そういえば、落語もラップも、その世界観や登場人物の置かれた状況は必ずしも恵まれたものではありません、その状況を描写したり、受け止めたりするためにあの独特な口上や視点、パフォーマンスのメソッドが生み出されたともいえるのかもしれません。

であれば「悪い音楽」の主人公のセリフ回しの中にどことなくユーモアが感じられる理由も、わかるような気がしてきました。

「悪い音楽」の着地点

どうもこの主人公は、生徒たちの合唱コンクールの進行もそこそこに、今の閉塞状況をラップに乗せたパフォーマンスを披露。文化祭の大トリを演じきったようです。(部分的にしか触れられていない。)

そのあと自宅で過ごしている彼女が、今までとは違う「変化」を感じた。この小説の幕はそこで閉じられます。

なにが聞こえたのでしょうか?

もしかしたら、ラッパーからさらに斜め上の方向に駆け上がり、噺家に転向しようとでもいうのでしょうか?

「悪いラッパー」「悪い噺家」の登場を期待しています。

おわりに

今回はAIに手伝ってもらう部分は最小限にして書いてみました。

九段理江さんの作品は、登場人物の描き方が独特です。だからAIにとっても人間にとっても、ポイントを把握し、感想が書くということに難しさを感じました。もちろんそれが魅力でもあります。

今回は不完全燃焼に終わったPerplexityさん、次回に期待です。

次回は雪辱を晴らしますよ


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